013早坂啓造著『「資本論」第II部の成立と新メガ――エンゲルス編集原稿(1884-1885年・未発表)を中心に――』

書誌情報:東北大学出版会,335頁,本体価格3,000円,2004年4月14日

初出:新日本出版社『経済』第107号,2004年8月1日

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現在国際マルクス・エンゲルス財団によって,『新MEGA』(『マルクス・エンゲルス全集』Marx-Engels-Gesamtausgabe, MEGA2【2は肩付き】)が編集・刊行されている。それらは四部からなり(第一部:『資本論』およびこれに直接関連する労作を除く著書・論説・草案,第二部:『資本論』および準備労作,第三部:書簡,第四部:抜粋・メモ・覚え書きなど),全114巻122冊のうち,これまでに47巻55冊が刊行された。
このうち,第二部はこれまでほとんど未公刊だった『資本論』の諸草稿類を含むことから計画当初から注目されてきた(全15巻24冊の予定)。また,日本人研究者が編集に関係することになり,大谷禎之介法政大学教授(とリュドミラ・ヴァーシナ「現代史諸文書保管・研究ロシアセンター」研究員)が『資本論』第II部の諸草稿を,著者を含む「仙台グループ」(代表:大村泉東北大学教授)が『資本論』第II部の「エンゲルス編集原稿」とその初版本を,それぞれ担当することになった。これらは,『新MEGA』第二部第11巻および第12巻*1・第13巻として刊行される(第四部についても複数巻担当する。詳しくは,大谷「日本における新メガの編集」本誌2003年5月号参照)。
よく知られているように,現行版『資本論』第II部と第III部は,マルクスの草稿をもとにエンゲルスによって編集され,マルクスの死(1883年)後それぞれ1885年と1894年に刊行された。エンゲルスは,「第二バイオリン」奏者としてマルクスの思想を忠実に後世に伝えるべく,マルクスの独特の「象形文字」で書かれた草稿を解読し,編集を成し遂げたとされている。「私のよる書き換えと書き入れは,全部で十印刷ページにも達しておらず,それも形式的な性質のものにすぎない」(エンゲルスの第II部への「序言」)と。
本書は,いずれ公刊されることになる『資本論』第II部の「エンゲルス編集原稿」の成立経緯,性格,2巻(第12巻・第13巻)として編集されることになった事情,編集作業の事実経過および「エンゲルス編集原稿」にかかわる問題点を整理し,『新MEGA』編集者のひとりとして編集過程で得られたいくつかの新しい発見を論じている。徹底した「文献学的・書誌学的な見地」(まえがき)から「人類的遺産継承事業」(あとがき)の委細が見事に描かれ,「編集者の立場と一個人研究者との立場との,ぎりぎりの境界線に立っ」(同)た,『新MEGA』編集の現場からの緊張感が伝わってくる。
現行『資本論』第II部は,マルクスの8つの主要草稿(とりわけ第2のものと第8のもの)をもとにした「エンゲルス編集原稿」によっている。しかし,この「エンゲルス編集原稿」はたんなる「編集原稿」ではなかった。まず,外観はこうだ。「ボーゲン紙半裁(200ミリメートル×254ミリメートル)大の用紙792枚が,大部分はアイゼンガルテンによって書き写されたテクスト本文と,エンゲルスによって書き込まれた大小規模の変更――抹消・訂正・挿入・翻訳・編集上の指示など――で満たされている,手書きの草稿」(24ページ)。さらに興味深いことに,全体にわたって二種類のページ付けがあり,編集原稿作成過程の試行錯誤や具体的進行状況とともにいままで見えてこなかったエンゲルスとアイゼンガルテンとの共同作業の痕跡がある。アイゼンガルテンによる「口述筆記」だけでなく,彼による「単独筆写」もある。マルクス諸草稿とはかなりの異同があるほか,エンゲルスによるマルクスの述語の変更もある。
このように著者の検証によってはじめて明らかになったことはすくなくない。なかでも,アイゼンガルテンは「エンゲルス編集原稿」に想像以上に関与した。著者は,彼が編集に関わった様子をつまびらかにし,かつ独立の章で生涯と業績を扱った。本書の第一の貢献といっていいだろう。
エンゲルス編集原稿」は,マルクス諸草稿のどの箇所から採用されたのか,またそれら草稿とどのように異なるのかが具体的事例によって示されており,これらは,それぞれ「採用箇所一覧」と「乖離一覧」として『新MEGA』に収録される予定である。『新MEGA』には各巻共通で「異文一覧」が作成され,公刊されているが,マルクス諸草稿と「エンゲルス編集原稿」とのテクスト上の異同一切がわかるという新しい試みが披瀝されている(本書巻末の数葉の「付表」に成果の一部が反映されている)。本書の第二の貢献である。
著者は,「エンゲルス編集原稿」を対象にすることによって得た知見をすべて明らかにするとともに,それでもなお残る問題点とを切り分けた。編集に先立っておこなわれた諸草稿への標題づけや書き込みの詳細,アイゼンガルテンの貢献度の最終確定,「エンゲルス編集原稿」と最終印刷用原稿との関係,エンゲルスによる標題変更の是非などがそれである。「比較検討のための基礎資料」(280ページ)の確定は本書の第三の貢献である。このことは,『新MEGA』が「もはやそこにはいかなるタブーも存在しない」(同)国際的な編集事業としての性格を持っていることをも同時に示していよう。
著者は「エンゲルス編集原稿」成立と内容の詳細とを詳細に論じ,同時にそれが『新MEGA』に収録されることになった編集史とを縦横に絡めながら本書を構成している。本書にはタイトルが示す『資本論』第II部の成立という特殊研究にとどまらず,『新MEGA』編纂史に共通する「基礎資料」の提示の仕方にかかわる普遍性をももっている。「エンゲルス編集原稿」はいまのところ未公表である。だが,『新MEGA』第12巻・第13巻として刊行され,全貌が公表された後においても本書の「文献学的・書誌学的」功績は研究史上に確実に刻まれるであろう。
著者は,1998年(著者66歳)から「仙台グループ」に参加し,『新MEGA』編集に携わってきた。本書の基礎になった論文をもとに学位を取得したのは2002年(著者70歳)である。
本書は『新MEGA』編集にかかわる国際的な共同研究の成果であるとともに,円熟した著者の卓見が随所にちりばめられている。共同研究なくして本書はなかったし,本書に結実する著者の研究なくして共同研究はなかったと推測される。用意周到な人名および事項索引も著者ならではのものだ。現時点でのマルクス学の一到達点として熟読に値する一書である。

*1:2005年に刊行された。Marx-Engels-Gesamtausgabe, II/12, IX+1329 S, Akademie Verlag, Berlin 2005. ISBN:9783050041384.なお,国際マルクス・エンゲルス財団 Internationale Marx-Engels-Stiftung (IMES) のホームページでこの巻の内容と紹介を読むことができる。pdfファイル・358Kb。ちなみに,編集および協力者は以下である。Bearbeitet von Izumi Omura(大村泉=東北大学), Keizo Hayasaka(早坂啓造=元岩手大学), Rolf Hecker, Akira Miyakawa(宮川彰=首都大学東京), Sadao Ohno(大野節夫同志社大学), Shinya Shibata(柴田信也=元東北大学) und Ryojiro Yatuyanagi(八柳良次郎=静岡大学)/ Unter Mitwirkung von Ljudmila Vasina, Kenji Itihara(市原健志=元中央大学) und Kenji Mori(守健二=東北大学