020中井浩一著『大学入試の戦後史――受験地獄から全入時代へ――』(その2)

「第一章 大学全入時代」は前回引用した文章ではじまり,大学全入時代の様相について紹介している。三択問題で触れた私立大学の定員割れ,設置認可制度の規制緩和(事前規制から事後規制へ),志願者を増やした法政大学の例,複数受験回数や大学合同の取り組み,国立大学の生き残り競争,高校の未履修問題などがそれだ。未履修問題への著者の意見――得をしたのは世界史を学習できた高校生だ――は,評者も意見も同じくする。
「第二章 「小論文」入試」では,79年から始められた共通一次試験による大学の偏差値による序列化への対応であったことから,現在も継続して採用している慶應義塾大学と一部を残して撤退した早稲田大学京都大学経済学部の論文入試の例まで触れている。この入試がどのような内容の小論文をかかせるか,また,対策が進んだとしても高校教育にいい影響力を発揮できる小論文は可能であることを提言している。
「第三章 AO入試――SFCの栄光と挫折」では,AO入試の嚆矢である慶応義塾大学SFCアメリカの大学を例に,SFCの問題提起を考察している。サブタイトルにある「栄光と挫折」に著者の意見が集約されている。
「第四章 AO入試の広がり」では,早稲田大学筑波大学九州大学AO入試に触れ,AO入試が研究対象として変化してきたこと,アメリカとは異なる日本的AO入試の可能性に言及している。
「第五章 国大協と文科省」および「第六章 東大と京大」では,まず入試改革をめぐる国大協の組織としての中途半端さとそれを利用した文科省の姿勢とが指摘され,京大の「徹底的に自己チュウであり,強引であり,全体への配慮がない」(193ページ)ことが批判されている。前者については,国立大学が法人化によって文科省から予算的にも運営的にも自立したわけではないことをまずは指摘しておこう。依然として国立大学は文科省のゴーサインなしでは定員一人動かすことができないのだ。後者については,評者も同じ意見をもっており,著者の母校への期待とも受けとめておこう。
「第七章 入試制度改革の歴史」では,これまでの入試制度を整理し,各国立大学が自主的に新たな一期校,二期校制度を作り出せなかった弱点を指摘している。一提案として傾聴に値するが,ただし,「法人化で,もはやその自由をしばれる者は存在しない」(224ページ)ではないことだけは知っておいてほしいと思う。法人化の最終的狙いが大学全体のスクラップ・アンド・ビルドであったことははっきりしているし,自立性が担保されたと見るのは誤っている。また,「教育をバカにし,私学につけをまわした」の見出しがある。この主語ははっきりしない。国大協なのか(そうも読める),文科省なのか(そうも読める)。真意はどうやら国の高等教育政策の批判であることで,あえて主語をボカしたように読んだ。「国立大の法人化で国立大へのコントロールすら利かなくなった」(230ページ)というのも事実と異なる。
「第八章 課題と対策」では,最終的にはアメリカ的入試制度を展望しつつも,課題と対策を「ムラ社会」の存在とそれからの脱却(「未来の立場」)にみる。評者はかねてからセンター試験を資格試験的なものし,そのうえで各大学のアドミッション・ポリシーに対応した入試科目の設定が望ましいと考えている。多くの私立大学が志願者確保のために試験科目を削減してきたこと,他方で国公立大学は受験の複数機会の確保ということで前期・後期(および中期)日程試験の厳守を強いられていることなど課題は多い。
週刊誌ではほぼ定期的に大学特集がある。確実に売れるからだという。本書も多くの読者を得るであろうが,真摯な提言が多く含まれているだけに,とくに多くの大学関係者が反応して欲しい。