102樫村愛子著『ネオリベラリズムの精神分析――なぜ伝統や文化が求められるのか――』

書誌情報:光文社新書(314),328頁,本体価格890円,2007年8月20日

ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)

ネオリベラリズムの精神分析―なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書)

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著者はラカン精神分析の枠組みによる現代社会・文化分析の専門家。その著者による精神分析理論を武器に臨床社会学の実践書が本書だ。現代社会(とくに日本)をネオリベラリズムと特徴づけ,そこで解体・簒奪されている「再帰化」(自分自身を意識的に対象化し,自己を再構築していくこと)と「恒常性」(幼児期の他者の全能のイメージを保存しながら,その担保のもとで現実認識を可能にさせる機能)の復活にネオリベラリズム克服の鍵を展望する。精神分析理論的方法による,自由,多様性,再帰性,民主主義,人権などと両立しえる未来社会構想の書物といえる。
本書の大部分は,分析装置として「プレカリテ」(フランス語で不安定化という意味をあらわす)をてがかりに,現代社会における「再帰性」と「恒常性」の基礎概念とそれらの解体・簒奪状況と現象(ニューエイジスピリチュアリズムマクドナルド化オタク文化など,さらには電子メディア,解離的人格システム)の叙述にあてられている。若者論や北野武論などの提示も興味深い。著者は,そのうえでネオリベラリズムの貧しい恒常性(原理主義)のオルタナティブとして豊かな文化と文化意識による共同性の獲得を提示する。
全編フランスを中心とした精神分析理論が散りばめられ読みやすくはない。そうした専門用語を外してしまえば,本書の骨格はいたって単純だ。ネオリベラリズムが進行する社会のなかで排除されつつある文化の重要性を主張することだ。
著者によるネオリベラリズム定義は「国家の地位が低下する」(はじめに)ととらえるところにまず特徴がある。市場至上主義とも言い換えられ,ネオリベラリズムが平板にとらえられている。さらに,フランスをつねに意識しているのだろうか,恒常性を再構成すべき日本社会を,「日本には抵抗の拠点となる豊かな言説や社会がない」(30ページ),「政治空間や政治文化が貧困な日本」(48ページ),「『世間的視線』が若者たちを覆い,それに抵抗する文化的力が弱い」(55ページ),「日本の知は輸入学問」(183ページ,293ページ)などと特徴づける。日本社会がこうであるなら,「社会・文化的な言説のレベルを上げ」(59ページ)ることもできなければ,「人間のあり方についての高度な認識を前提とした社会変容が進行すべき」(191ページ)根拠もない絶望的状況になろう。精神分析理論による社会分析が「左翼的な批判の狭さを越えて」(はじめに)いるとは言い難い。