433松永俊男著『チャールズ・ダーウィンの生涯――進化論を生んだジェントルマンの社会――』

書誌情報:朝日選書(857),321+x頁,本体価格1,400円,2009年8月25日発行

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ダーウィン生誕200年,『種の起源』出版150年を迎えた昨年に出版された。
ダーウィンについて,「神学部」に入学したのではなく「学芸学部」であること,ガラパゴス諸島で進化論を着想したのではないこと,ダーウィンの乗ったビーグル号が海軍の練習船「乾行(けんこう)」になったという奇妙な話の真相,フィンチが進化論にとって重要であったという誤解,ウォレスからの進化論盗用説の誤解,獲得形質の遺伝による進化説をラマルキズムと呼ぶ間違い,終生自然神学の立場を変えなかった「宗教」観などダーウィン神話の解体が本書の中心になっている。地質・植物・動物に関心を持ち続けたナチュラリストダーウィン大英帝国の力を背景にしたジェントルマン(親の遺産の運用で生活に困らない),当時の大学の実態なども簡潔にまとめ,ダーウィンの生涯をほぼ時系列で追っている。
よく知られているダーウィンマルサスとの関係については,「社会科学者の中には,『人口論』と自然選択説との関係について,社会科学が自然科学に重大な寄与をなした事例とみなす者もいたが,それは過大評価であった」(155ページ)としている。マルサスの「人口(population)は抑止されなければ等比数列(ratio)的に増加するが,生活資料は等差数列(ratio)的にしか増加しない」との『人口論』第6版(1826年)を引き,「幾何級数」「算術級数」との翻訳は誤りであろうと指摘しつつ,ダーウィンが学生時代に読んだペイリー『自然神学』にほぼ同様の記述があり,マルサスを読むまでもなくマルサス原理を熟知していたこと,『人口論』は人間の幸不幸が能力の優劣ではなく運によるとしており自然選択説の核心部分を欠いていることから「過大評価」とする。「ダーウィン本人は『人口論』のおかげで自然選択説が生まれたと思いこんでいた」(同上)。『人口論』がはたして著者の言うように「刺激剤」「きっかけにすぎなかった」(同上)かどうかはなお議論を必要としよう。
マルクスが自著『資本論』第1巻第2版を署名入りでダーウィンに献呈したことも知られている。ダーウィン1873年10月1日付けでマルクス宛に礼状を送っているが,ダウン・ハウスに現存する『資本論』は「全822ページのうち初めの105ページしか切り開かれておらず,書き込みもない」(304ページ)そうだ(当時の書物は閉じられたページをペーパーナイフで切り開きながら読む)。「ダーウィンマルクスにまるで関心がなかった」(305ページ)。
1960年以降草稿類が翻刻され,85年以降には書簡集が刊行されているという。マルサスはほどほどにダーウィンに影響し,マルクスはまったくダーウィンに影響しなかったという新しい刺激をもらった好著ではあった。