478伊部正之著『松川裁判から,いま何を学ぶか――戦後最大の冤罪事件の全容――』

書誌情報:岩波書店,xxii+294頁,本体価格2,500円,2009年10月9日発行

  • -

松川事件は,61年前の1949年8月17日の未明に起こされた。東北本線金谷川と松川間のカーブ地点で,青森発奥羽本線経由上野行き普通旅客列車が脱線転覆し,先頭機関車の乗務員3人が死亡した。何者かがカーブ外側のレールを取り外すという人為的な線路破壊によって引き起こされた事件である。容疑者として,国労福島支部関係者10人,東芝松川工場労組関係者10人が逮捕・起訴された。松川事件の直前には下山事件(7月5日),三鷹事件(7月15日)が発生しており,国鉄の人員整理を巡る第3の事件と喧伝された。
松川事件第1審(福島地裁,1950年12月6日)では死刑5,無期懲役5など全員有罪,第2審(仙台高裁,1953年12月22日)では死刑4,無期懲役2など17人有罪,3人無罪,第1次最高裁(大法廷,1959年8月10日)では原審破棄・高裁差し戻し,差戻審(仙台高裁,1961年8月8日)では全員(17人)無罪,第2次最高裁(小法廷,1963年9月12日)では検事上告棄却,となり,死刑判決から無罪確定まで14年を要した。事件そのものは,真犯人が不明のまま1964年8月17日午前0時に15年の時効が成立した。元被告らによる松川事件国家賠償裁判は,第1審(東京地裁,1969年4月23日)では元被告の無実と国に違法行為と賠償責任を,第2審(東京高裁,1970年8月1日)では国に違法性と賠償責任を,それぞれ認め,国が上告を断念することで結審した。
本書は,松川裁判の14年を追い,無罪を勝ち取るまでの過程を描いた部分(第2章)と裁判批判と救援活動に焦点を合わせた部分(第3章)を中核に,事件の概要(第1章)と真犯人の追及部分(第4章)から成り立っている。著者は,権力機構の末端に位置する裁判官の自己保身の姿と検察側の主張を一方的に報じるマスコミのミスリードとを散りばめつつ権力による意図的な冤罪事件の全容を,冷静な筆致で深く刻みこんでいる。
本書を読むと,改正検察審査会法(2009年5月21日施行)による検察審査会裁判員法(同前)の意義と限度を考えることができる。
かつて評者は吉原公一郎松川事件の真犯人』(1962年)を参考にして,松川の前に四国で予行演習をした,それが浅海事件――1949年5月9日予讃線浅海・北条間で起こされた列車脱線転覆事故――ではないか,を念頭に,小文「松川事件と浅海事件――歴史の事実今なお重く――」 (『愛媛新聞』1993年8月23日)を書いたことがあった。これを目にした愛媛新聞S記者が浅海事件60年にあたる昨年,現在の浅海を扱った記事「列車転覆 消せない記憶」(2009年5月9日)を書いた。機関助手2人と同見習い1人が犠牲になった現場には3人の名前が刻まれた「殉難之碑」が建てられているという。こちらも「真相は闇」のままだ。