「明治史研究のための情報ブログ」(→http://1868.seesaa.net/archives/20120706-1.html)から知った。
『歴史学研究月報』の第200 号(1976年8月)から第211 号(1977年7月)にかけて掲載された「論文の注について」(全11 回)の復刻である(pdfファイル→http://rekiken.jp/journal/ronbun_no_chu.pdf)。この資料は評者が修士課程在籍していた頃のもので,それまで我流で身につけた論文の作法がいかにいいかげんだったことを教えられた「論文」だった*1。たしかタイプ印刷に近く,イタリックを表現できずに下線を引くなどの工夫があった。本文の指摘にあるように,権威ある著者の作品に多くの誤用があるのを知ったのもこの時だ。
コピーをノートに貼り付け,長らく座右の「論文」となり,なんども参照した。執筆者は当時編集長だった富永幸生で,急逝後西川正雄が整理したとある。
復刻されたところをみると,当時と変わらず現在も同じ状況があるのだと思う。「注だけが立派で中味のお粗末な論文というものはまずあるまいと思うが,困ったことには,注記は惨めなほど不適当なのに,ときに優れた内容の論文がある。だから,「たかが注なんて」という意識もなかなか消えないのであろう。特定の研究者だけの問題ではないので具体的に名を挙げることは控えるが,優れた著作のなかにも引用史料や文献の発行データや所蔵場所には全くふれず,あるいは刊行物か未刊行史料かの区別も定かでない注記が少くない。みずから論述を検証しようとする後学のものにはたいへん不便であり,ときには戸惑うことすらあろう。その他の読者にもより深い理解の妨げとなることが多い。おそらく著者たちは意識もしていないことであろうが,ひょっとしたら,これは,わが国における研究の秘密主義的・閉鎖的傾向,独善的な狭い専門家仲間意識のあらわれかもしれない」。
論文は自分の研究の発表の場であるとともに,後学の検証の対象でもある。それを支えるのが「注」である。もっとも「注」が多いがゆえに尊いわけでもないが,たかが注,されど注である。インターネット時代の論文作法としても通用する。時宜をえた復刻である。
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