1340永田陽一著『日系人戦時収容所のベースボール――ハーブ栗間の輝いた日々――』

書誌情報:刀水書房,vii+200+7頁,本体価格2,000円,2018年3月16日発行

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第二次世界大戦時のアメリカで日系人が隔離収容されたことはよく知られている。日系人戦時収容所はカリフォルニア州のルールレークとマンザナー,アイダホ州のミニドカ,ユタ州のトパーズ,アリゾナ州のポストンとヒラリバー,ワイオミング州のハートマウンテン,コロラド州グラナダアーカンソー州のローワートジェロームの10カ所である。西部諸州のほかアーカンソー州にもあったのは緊急に収容施設を作るためにもともと連邦政府の所有地を選んだからである。
アメリカ本土の日本人野球史となる本書は副題にあるハーブ栗間のインタービューのほか野球ならではの資料があって陽の目をみた。収容所ができる前に日系二世が日本のプロ野球で活躍する選手も出ていた。それでも「真珠湾」までにメジャーリーグに登場した日系人は皆無で,マイナーリーグにハワイ出身の3選手いただけだった(ちなみに日本人・日系人のメジャーリーガー第一号は1964年のマッシー村上雅則で,日系アメリカ人のそれは1975年のライアン黒崎である)。家族労働を生業とすることやアメリカ市民となった二世でもアジア系への差別があったことで日系人コミュニティに閉じ込められていた重い現実があった。
戦時収容所であったがゆえに野球に打ち込めた。1999年には日系二世野球史展が東京で開かれた。2003年のメジャーリーグの開幕前のオープン戦では90歳の栗間が始球式に登場した。このときのシアトル・マリナーズには長谷川滋利,佐々木一浩,イチローの日本人選手がプレーしていたが,始球式に登板した日系二世投手の元に寄ってきて話しかけたり,握手を求めることもなかったという。現役メジャーリーガーからすれば日系人とはいえ戦時収容所のアマチュア投手など知るよしもなかったのだ。