007島めぐりクルージング「忽那(くつな)西方4島をめぐる盛り沢山コース」

松山離島振興協会「愛ランドまつやま」(http://iland-matsuyama.hp.infoseek.co.jp/)主催のクルージングに妻と参加してきた。昼食込みで1人4,000円ということ,一度も行ったことがない島ということで秋の一日を楽しんできた。松山市には人が住んでいる島が9島あるとのこと。これらのうち,興居島(ごごしま)と中島(なかじま)は比較的近くて大きい。中島はトライアスロンで有名。かつてゼミの合宿をしたこともある。興居島は松山から至近距離にある。この島に家を借りて通勤している同僚がいる。子どもが小さいとき大学生協主催の釣り大会に行ったことがある。
松山空港への離陸,着陸の際,それぞれ海へ(離陸),海から(着陸)のルートが多い。東京行や大阪行の場合,一旦海上に出て,大きく旋回し東に向かう。着陸の場合は瀬戸内海から今治を経て,これら諸島の真上を通って着陸態勢に入る。シートベルト着用サインが出てからは眼下に多くの島を目にすることができるはずだ。日本の空港のなかでも多島美を堪能できる有数の空港だと思う。
さて,今回の島めぐりは,(1)怒和島(ぬわじま),(2)二神島(ふたがみじま),(3)津和地島(つわじしま),(4)釣島(つるしま)の4島だ。

貸し切りのクルージングなので,地図にあるルートとは別に観光港を出て,一番遠い怒和島に直行する。船は中島汽船のフェリー。当初高速艇の予定だったとのことだが,申込者が130人ほどになったためフェリーに変更された。

観光港を出ると進行方向左手に四十島ターナー島)が見える。夏目漱石坊っちゃん』の「あの松を見給へ…夕一ナー(画家)の画にありそうだ」というくだりから名付けられた島である。一度松は松枯れで全滅したそうだが,植樹で甦った。

1時間ほどで怒和島に着く。この時期松山は地方祭だが,怒和島では獅子舞。御神酒と生米を振る舞われ,地元の人の熱演にしばし見入った。普通の獅子舞よりひとまわり大きい獅子頭と胴を2人で操っていた。ゴカイ養殖場の見学予定はキャンセルになっていた。

怒和島から30分ほどで次の目的地である二神島にむかう。パンフレットによると,『National Geographic Magagine』の1972年5月号で26ページにわたって,近代化されず日本古来の美しさ多く残しているパラダイスと紹介されたことがあるとか。この島ではまず県指定の天然記念物ビャクシンの自生地を見る。根回りが5メートルにもなる大木のほか数十本が群生している。

すぐ近くの梅田さんのお宅に,5メートルはあろうかという大サボテンがあった。130年は越えているというから驚きだ。

この島に生まれ,教員生活後島で瀬戸内の風景や少年を書いた二神司朗の小さな展示会をしていた。彼は約600年にわたって続く二神家の当主でもあった。島には二神家一族の墓があり,古文書・過去帳系図などで墓石が確認できるのは全国的にも珍しいとのことだ。なお,河東碧梧桐の曾祖父は二神家本家の出で,河東家に養子で出ている。映画「船を降りたら彼女の島」の中で,主人公が幼い頃,狭い路地で行き来するシーンや宇佐八幡神社内でのシーンはこの島で撮影された。島唯一の宿泊施設「ふたがみ荘」には主演の木村佳乃らが3泊した。

第3の島・津和地島には20分ほどで着いた。(写真は途中の風景)

西隣の山口県周防大島とはわずか700メートルを隔てているだけという県境の島だ。島の沖は参勤交代で往来する西国大名の船のための接待施設が設けられていた。そのため松山藩お茶屋を設置し八原左野衛門を常駐させたという。みかんのほか,たまねぎ・すいかも栽培している。映画「竜二」に主演し,シナリオも多く遺している金子正次(本名,松夫)の生まれた島だ。彼は33歳で急逝するが,「竜二」でブルーリボン新人賞,日本アカデミー新人俳優賞などを受賞した。彼の遺したシナリオはのちに「チ・ン・ピ・ラ」(柴田恭兵主演),「ちょうちん」(陣内孝則主演)が映画化された。この島の秋祭りはだんじりだ(太鼓台のこと。この島のだんじりは蒲団型で,ふとんだんじりとも呼ばれる)。島内から4つのだんじりが出て海岸通りを練り歩く。この日は,かきての都合で3台だけだった。年に1度のお祭りらしくご祝儀が飛び交っていた。

最後の目的の島は興居島の西に位置する小さな島・釣島だ。イギリス人技師リチャード・ブラントンの設計指導のもとミッチェルほか3名の助手が監督にあたって作られた灯台と吏員のための旧官舎が保存復元されている(1873(明治6)年竣工)。建築資材は広島県倉橋島などから,機器ははるばるイギリスから運ばれたものだ。瀬戸内航路の建築順位第8番目(全体では第9番目)の建造物であり,外国人設計の愛媛県唯一の建造物。「洋風」建築ではなく,「洋式」建築であり,その貴重さがよくわかる。ブラントンはお雇い外国人のひとりということになる。仕事とはいえ,よくぞこんなところまで来たものだ。

釣島にはいまひとつ海水淡水化装置がある。2002年4月1日から使用開始された。それまでの給水は給水船によるものだった。100人ちょっとの住人にとっては救世主ともいえる装置だ。逆浸透法の原理を応用して,海水を塩分の濃い水と真水に分離する。一日の最大増水量は30立法メートルとのことだ。装置は東レ製のようだった。