1288賛美歌404番「山路こえて」(ペギー葉山)

創設期の同志社キリスト教関係者に知られていた学校のひとつであり,教会からの奨励金で進学するものや新島襄が伝道集会を開いた地域からのもの,宣教師の推薦によるものが集まった。横浜,熊本,札幌の出身者を「三大バンド」と称するが(若林裕「(講演)熊本バンド——明治の若きサムライたち——」(同志社スプリット・ウィーク,2010年11月,同志社大学キリスト教文化センター,http://www.christian-center.jp/dsweek/10au/1104.html)),松山夜学校・松山教会出身で伊予弁を話す「松山バンド」もそれらに劣らずよく知られていた。

「その頃(1917年頃:引用者注),松山出身の神学生は7名(今井新太郎,二宮源兵,林半,重松柾太郎,二神喜十,魚木忠一及び平岡徳次郎)で全学生の一割を占めていた。このように多数の神学生を送る松山(松山夜学校と松山教会)とはどんな処かと,ある宣教師は視察見学に来松した程であった。(改行)彼らは,そのグループを松山バンドと称し,クラーク博士を中心とする札幌バンド,ジェーンズ大尉の熊本バンドにならって大いに信仰の研鑽と学究に精励していた」(日本基督教団松山教会『松山教会百年史稿』(1986年2月),111ページ)。また,「大正初期に同志社神学生は約70人であった。伊予弁を話す神学生がその一割もいた。彼らは松山夜学校出身者で「松山バンド」と呼ばれていた」(松山城南高等学校編『松山城南高等学校創立110周年記念 愛と信仰の詩 初代校長西村清雄・ハマノ夫妻の生涯』(松山城南高等学校,2000年12月),29ページ)。

松山バンドの育ての親となった西村清雄は伝道集会で宮川経輝に出会っている。西村は宣教師として来松したC. ジャドソンとともに普通夜学会創立に関わり,初代校長となる。松山バンドには引用に示したように今井新太郎,重松柾太郎,二宮源兵,魚木忠一,二神喜十,入江源次郎,野本教男らがいる。また,西村は松山夜学校から,浜田勝次郎,平田寛,松浦道春,塚本喜多男,金元治,森利道,関岡武太郎(第3代校長),藤岡智幸,宮内芦隆,高田修,西村義臣(第8代校長)らを同志社へ,大野五十鈴を日本神学校へ,大野賢一,浅倉重雄らを神戸神学校へ,白石愛子を神戸女子神学校へと送り出している(松山城南高等学校編同上書,29〜40ページおよび松山城南高等学校編『目で見る110年の軌跡』(松山学院・松山城南高等学校,2001年1月),6ページ)。

ようやく本題だ。もっとも有名な創作賛美歌と言われている賛美歌404番「山路越えて」の作詞者が西村清雄である。西村の祖父は幕末の松山を代表する儒者にして歌人の西村清臣。道後湯之町町長をつとめ道後温泉本館を新築した伊佐庭如矢(いさにわ・ゆきや)は母方の祖父にあたる。

にしむらすがお 西村清雄 1871(明治4. 2)-1964.12.25 教育者。松山に生れる。少年時代にカトリック教会において洗礼を受けたが,同志社英学校で学び1888(明治21)年中退し,翌89年から大阪で英語を学びつつ大阪教会に入会,宮川経輝の指導を受けた。91年宣教師ジャドソン,C と二宮邦次郎が市内の不就学児童の教育を説いたのに共鳴,松山夜学校(松山学院)の設立に協力。しばらく小学校教師をしていたが,懇請されて92年に校長となった。94年永木町に校舎を建築,校内に綿ネル工場と寄宿舎を新築し,働きながら学ぶことのできるよう図った。97年10月30日金藤浜野と結婚。妻も裁縫を教えた。過労のため病に冒されたり,また経営不振に陥ったりしたが,後援者の祈りと,卒業生たちの支援に励まされて学校を継続。1904年から静養を兼ねて同志社神学部で学んだ。06年従来の小学校課程を廃止し,高等小学校,更に中学校の課程を設け地方勤労者教育の先駆をなした。魚木忠一,今井新太郎,入江源次郎,二宮源兵ら優れた人材を輩出している。また約25里の山道を越えて宇和島に伝道をした経験をもとに「山路こえて」の賛美歌を作詞した(03)。愛媛県法華津峠にその歌碑がある。[文献]松山東雲学園『創立四十週年記念 吾我の歴史』1926;『恩寵と犠牲』1931。(竹中正夫)【『日本キリスト教歴史大事典』教文館,1986年】

評者はクリスチャンではない。ただのオジチャンだが,この賛美歌誕生にはうえのような事情があることを知って紹介したくなった。法華津峠の歌碑のほかに松山城南高校(現松山学院高校)内にも歌碑があるという(評者未見)。

三浦綾子原作・山田火砂子監督『母 小林多喜二の母の物語』(2017年から上映)では,夫を亡くしたセキ(小林多喜二の母)が娘のチマに誘われて始めて訪れた教会のシーンで歌われていた。

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