1665コーネリア・ジャジソン

『松山百点』第347号(2022年11月)の「ヒーロー列伝伊予人」のコーナーに「異国の地で教育と伝道に捧げた生涯 コーネリア・ジャジソン」があった(→https://matsuyama100ten.com/archives/3d-flip-book/347)。
ジャジソンは,宣教師として来日し,新潟女学校を経て,四国初の女学校である松山女学校(現松山東雲学園)に赴任した(1890年)。翌年に普通夜学校(現松山学院)が開設されると,昼は女学校,夜は夜学校で教えた。宇和島での伝道後には松山女学校の二代校長となった。その後,夜学校の教育に専念した。かつての夜学校と松山女学校の土地建物はジャジソンに負うところが大きい。
もちろん,労研饅頭にも触れている。
ジャジソンは全財産を夜学校に寄付し,利子を同校に送るとの遺言を残した。今も送金が続いているという。松山学院にはジャジソンの胸像が,松山東雲学園にはアメリカの自宅から運ばれたジャジソンの石がある。