776ユルゲン・コッカ著(松葉正文・山井俊章訳)『市民社会と独裁制――ドイツ現代史の経験――』

書誌情報:岩波書店,xiv+151+38頁,本体価格2,400円,2011年2月22日発行

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ドイツ語の Bürger(市民)には「ドイツ語の語義上の特性」(3ページ)・「両義性」(7ページ,34ページ)・「二重の意味」(8ページ)があり,それぞれブルジョア(bourgeois)――「一定の職業によって生計を立てている非貴族の町(あるいは都市)の住民,つまりフランス語の bourgeois 」(8ページ)――と市民(citizen)――「市民社会(bürgerliche Gesellschaft)のすべてのメンバー,つまりフランス語の citoyen 」(同上)――の意味がある。著者は,この言葉に注目することによって,「特定のタイプの社会的行為」(20ページ)と「社会的行為が支配的であるような社会的領域」(同上)を析出して,ナチ・ドイツと東ドイツというふたつの「独裁制」との対抗軸を浮き彫りにしている。
市民層の一部の支持を得て権力を奪取したナチと市民層の支持なしに権力を獲得した東ドイツは,いずれも市民社会の根本的な破壊をもたらした。それゆえほんのわずか残った市民社会の残滓をてがかりに国民国家における市民社会のプロジェクトは有効だという。ドイツでおこった独裁制の記憶から「集合的記憶」(107ページ)に昇華させ,ひとつのヨーロッパという現実をふまえて,それを「記憶の超国民化」(108ページ)の第一歩としようする。
日本「独自」と受けとめられてきた「市民社会論」とドイツ人による市民社会論とはまったく非接触でありながら,現代市民社会論として共鳴していることを感得することができた。