023重田澄男著『マルクスの資本主義』

akamac2007-06-23

書誌情報:桜井書店,255頁,本体価格3,800円,2006年4月25日,[asin:4921190348]

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資本論』における資本主義概念は「資本主義 Kapitalismus 」ではなくて「資本制生産 kapitalistische Produktion 」と「資本制生産様式 kapitalistische Produktionweise 」である*1。この資本主義概念は『資本論』執筆構想が具体化する過程(1860年前後)で使われるようになったものであり,それ以前はフランス語形で「ブルジョア的生産 la production bourgeoise 」やドイツ語形で「ブルジョア的生産様式 bürgerliche Produtikionsweise 」といった用語で表現されていたものであった。
著者は前著『資本主義を見つけたのは誰か』(桜井書店,2002年4月,asin:4921190151)においてすでにマルクスによる「資本主義」発見とその前後について詳細な分析をした(評者の書評も参照。https://akamac.hatenablog.com/entry/20070308/1173338502)。「ブルジョア的生産様式」用語が「資本にもとづく生産様式」を経て最終的に「資本制生産様式」に転生する過程を追い,前者であっても後者であっても資本主義という対象的事物としては同一であることを確認した。
前著同様本書でもまとめられている『資本論』における資本主義用語はつぎのようである(178ページ)。

資本主義用語 資本論』序文・後書き 資本論』第1部 資本論』第2部 資本論』第3部
ブルジョア的生産 0 2 0 0 2
資本制生産 4 100 98 132 334
ブルジョア的生産様式 0 1 0 1 2
資本制生産様式 4 63 21 201 289
ブルジョア社会 2 8 0 6 16
資本制社会 1 3 7 2 13
資本制体制 0 7 1 8 16
資本主義 0 0 1 0 1

資本論』では「ブルジョア的生産」「ブルジョア的生産様式」はほとんど使われず,「資本制生産」「資本制生産様式」用語に全面的にとってかわられている。「ブルジョア的生産(様式)」の使用は「落ちこぼれ的に残った」(178ページ)ものであり,ゆくゆくは「死語」「廃語」(179ページ)になる言葉である。「資本制生産」は生産そのものについて,「資本制生産様式」はより広がりをもった経済関係についてのあり方,を示す。
マルクスの資本主義概念は規定さるべき実体のない「資本主義」ではなく,生産や生産様式の特殊なあり方としての理解を前提にしたものだ。そのことは,生産手段が資本の,人間労働が賃労働の形態をとるものとして,生産活動の起動因と目的が剰余価値の生産と資本による獲得であることを示すものにほかならない。
著者による資本主義発見と資本主義用語の確立の探求は,『資本主義の発見――市民社会と初期マルクス――』(御茶の水書房,1983年;改訂版:1992年,asin:4275013778),『資本主義とは何か』(青木書店,1998年,asin:4250980413),前著,そして本書を通してほぼ完結した。「本書によって,資本主義用語にかんするわたしの研究は,出発点としての《原点》に立ち返り,円環は閉じることになった」(246ページ)。
本書はマルクスを対象とした近代社会認識を追究してきた著者の集大成である。評者は前著にたいして「『資本主義』概念の社会思想史的密度を格段に濃くした」と評したことがある(https://akamac.hatenablog.com/entry/20070308/1173338502)。本書は資本主義の発見者マルクスによる資本主義概念を再確認する書だ。

*1:形容詞 kapitalistisch は直訳では「資本家的」に,通常では「資本主義的」とされている。「資本主義 Kapitalismus 」はマルクスにあっては例外的に(『資本論』中で1個所)使われているだけであり,その形容詞的概念になる「資本主義的○○」とは使うべきではないとする著者の信念がある。「資本主義 Kapitalismus 」という用語はマルクス死後一般に普及し,たとえばドイツ語 Kapitalismus や英語 capitalism は普通に使われている。