121平田清明著『平田清明 市民社会を生きる――その経験と思想――』

書誌情報:晃洋書房,ix+284+4頁,本体価格2,900円,2007年11月20日

平田清明 市民社会を生きる―その経験と思想

平田清明 市民社会を生きる―その経験と思想

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平田清明遺稿集編集委員会によって編まれる平田清明(1922.8.17-1995.3.1)遺稿集である。評者は平田の不肖の弟子である。多くの読者に読まれんことを期待したい。
今回本書にあわせて,「『平田清明著作=目録と解題』への補遺と追加」(野沢敏治編,非売品,31ページ,2007年8月1日)が編まれた。これは,『平田清明著作=目録と解題』(浅井和弘・若森章孝編,非売品,1983年3月14日)への補遺と追加である。また,京都大学経済学会『経済論叢』(第137巻第3号,1986年3月)は「平田清明教授記念号」にあてられ,「平田清明教授著作目録」(八木紀一郎作成)もある。本ブログではいずれ平田の全リストを公開していく予定でいる。
以下に,「はじめに」,「もくじ」,「あとがき」をもって紹介にかえる。なお,「はじめに」と「あとがき」は本年3月末の原稿段階のものによっており,本書との同一性については保証のかぎりではない。

  • 本書の書評(2008年3月2日追加)
    • 高橋伸彰(立命館大学)「理想の社会を説く『実践の人』」(『朝日新聞』2008年1月27日)
    • 内田弘(専修大学)「歴史的現実に正面から対峙――日本に市民社会を探究した歴史理論家――」(『週刊読書人』2008年2月1日号)
    • 米田綱路(図書新聞社)「未来への創造的営為――歴史を現在の問題のなかで認識する学問的『視座』――」(『図書新聞』第2857号,2008年2月9日)
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はじめに
平田清明先生が亡くなられて,今年で13回忌を迎えている。それを機に,先生の教えを受けたゼミナール生が今日の時点で改めて先生のお仕事を振り返り,その意義をこれからの若い人を含めた現在の日本と世界に問おうとして編んだのが本遺稿集である。
本書に収録されたものはほとんどが未発表の原稿か,発表済みのものの原稿である。そこには推敲を経ていないものも含まれるが,それだけにかえって思考の原型と燃焼過程を生々しく伝えている。年代的には1970年前後から没年の1995年寸前までにわたっており,それは先生の学問的人生の後半生にあたる。ジャンル的には実に多彩であって,経済学の古典の厳密な研究や日本のマルクス主義の問題,社会主義の理念と現実,レギュラシオン理論の日本化,日本経済の分析,文明論的国際比較,社会運動における言説,大学改革での発言,等である。その中にあって通底しているものは市民社会論といってよいだろう。本書はこのような先生の多面的かつ統一的な知的活動を一望できるように編集されている。
先生は1922年に東京で生まれている。1940年に東京商科大学(現在の一橋大学)に入学して高島善哉に師事するとともに,学生運動に携わる。1943年に学徒動員で海軍に入隊するが,45年の敗戦を受けて大学に戻り,研究と教育の生活に入る。先生は戦後日本の進むべき方向として社会主義を選びとるが,1955・6年頃に,日本経済の好循環の開始を眼の前にして資本主義のダイナミズムを確認し,同時に社会主義国の現実と日本の革新政党のありかたに問題を感じるようになり,歴史が転換したと認識する。その間,フランス古典経済学研究・ロマン主義研究・マルクス研究が進められる。最初の研究は循環・回転論から社会的再生産を論じるケネー研究の書『経済科学の創造』(1965年,asin:B000JADIMI)となって結実する。第2の研究は未完に終った。第3の研究は『市民社会社会主義』(1969年,asin:4000009419)および『経済学と歴史認識』(1971年,asin:4000004921)において展開され,マルクス歴史理論の妥当範囲は西欧に限定されることが示され,その社会主義像は「個体的所有」の再建であると論じられる。
その後,先生は1970年代から何度かフランスのパリ大学で講義と研究を行う。1970年代末には資本主義の新たな変化に直面し,グローバルな情報化や知識産業化の動きを社会科学に取り込むことを試み,同時に日本企業の成長が共同体を再編するものであることを再確認する。1980-83年に長年の宿望であった『コンメンタール『資本』』(asin:B000J87M3Qasin:B000J81MXMasin:B000J7OZ8Masin:B000J7GEFY)が完成する。その完成後,社会主義の理論史的・思想史的研究よりも,フランスとEUにおける現実の社会変革に注目するようになる。以上の成果が『レギュラシオン市民社会』(1993年,asin:4000029304)となって現れる。先生はさらに休む間もなく,バブル崩壊後の日本の混迷を見通そうとし,同時に学長として大学改革を進めていた激務のさなか,1995年3月,鹿児島の地で亡くなる。
本書を一読すれば,先生は既に前世紀にあって,21世紀の現在を予測するかのような現実認識をしていたことが分かる。先生が没してから日本も世界もまた変わりつつあるが,その新たな問題状況の中で多くの人が自分の中に根を張りつつ未来を切り開こうとしている。この時にあって,先生が遺された著作は深い示唆と励ましを与えてくれるのではないか。 
先生の学問と実践活動の人生は言葉と経験との間の格闘であったといってよいだろう。日本の社会科学と社会思想は明治以降,そして戦後からずっと,西洋の影響を受けている。その西洋の理論や概念は社会の発展段階も人間の行動様式も異なる日本には直接当てはまらないことが多い。資本主義や社会主義市民社会の概念を厳密に定義しようとすると,それらは日本の経験から直に生まれていないことに気づく。そこで専門用語と生活感情との間に橋を架ける仕事が始まる。先生はその試行錯誤の中で,「ひとまず範疇の鬼になろう」と思い切ったり,「いっそ範疇の鬼になろうか」と洩らすことがあった。現実の方では資本主義のダイナミックな展開と変貌が,そして異なる資本主義文明間の接触と対抗・相互浸透の経験が,自分にふさわしい名辞と定義を求めていく。生活者や市民のほうも新たな状況に戸惑いながらも,自己認識のための言葉を求めつつ自己脱却を試みていく。先生の著作はみな,以上の言葉と経験との出会いと相互交通のなかで生まれてきたものである。ここに日本の社会科学が自分の言葉をもとうとした範例がある。それは世界史的接触の中の日本に生きたからこそ生まれた,新種の独自の社会科学であったといえよう。それは戦中・戦後に日本の社会科学を作ってきた人々の仕事に連なるものであり,さらに新たな展開を試みるものであった。本遺稿集ははからずもそのことを語りだしている。
平田清明遺稿集編集委員会

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もくじ

タイトル
はじめに
百年の日本人 河上肇
第I部 マルクスと現代――ソルボンヌにて――(解題 斉藤日出治)
- マルクス主義研究の現代的問題点――パリ大学・ソルボンヌ校講義――
- 現代日本におけるマルクス主義の諸問題――パリ大学・ソルボンヌ校講義――
第II部 市民社会レギュラシオン(解題 佐々木政憲)
- グラムシ国際シンポジウム
- レギュラシオン・アプローチとグラムシ
- 市民社会レギュラシオン
- 補足資料 現代政治経済学の基本問題――市民社会レギュラシオン――
第III部 日仏の比較論(解題 我孫子誠男)
- 新しい不確実性にむかう現代日本
- 無題(亡命・難民学生のこと。産業組織と国家制度の日仏比較)
- 日本産業の技術革新と科学技術政策
- 日本文明論 序文
- 無題(フランスの国会議員選挙結果の分析。1986年の時事評論)
第IV部 日本経済への発言(解題 篠田武司)
- 国際化と地域化
- 情報化にともなう日本の経済的・社会的変動――日本経済成功の秘密――
- 現代日本の政治経済学――国際的視座からする現代日本分析――
第V部 教育行政・社会運動への発言(解題 斉藤日出治)
- 日本における大学教授の職能と地位について
- 意見書
- 京都西山の自然と文化を守る会 趣意書
- 学問の勧め――経験の座標の上に――
- 学問への誘い――経済学における人間像――
- 鹿児島経済大学の学長に就任して
- 歴史教育の反省
ケネー経済表の循環論的解明(解題 浅野 清)
あとがき -
事項索引 -
人名索引 -
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あとがき
平田清明先生がお亡くなりになったのは,1995年3月1日のことだった。この年は,また阪神大震災が起きた年であり,それは1月17日のことだった。1994年に神奈川大学から鹿児島経済大学の学長として赴任されていた先生は,またこの年度,立命館大学客員教授として院生を指導されていた。2月に入り,京都に来て大学院での講義を終えた先生は,まだ震災の爪あとが残る神戸の惨事がどのようなものだったのか,このまぶたに焼き付けたいという思いのもとで,神戸を訪れ,一日中街を苦痛の思いに駆られながら夢中になって歩かれた。そこに,戦時の大空襲を重ねられていたのは想像に難くない。そして,その後鹿児島に帰られ,突然3月1日にお亡くなりになる。
このとき,足を少し痛められていたにもかかわらず,何かに取り付かれたように神戸に向かわれた先生がいまでも思い出される。すでに,多くの人が語っているように,先生は「理論」のひと,あるいは「範疇の鬼」であったと同時に,「現場」の人でもあり,「実践」の人でもあった。イデーに支えられない理論はないし,また理論に支えられないイデーもまたない。この両者を心に留めて研究された人でもあった。
本書の刊行は,先生の13回忌を偲んで,教えを受けた研究者を中心として企画されたものである。平田先生の追悼については,没後すぐに,ゼミ同窓会(「創造の会」)を中心として「追悼シンポジウム」が開かれるとともに,『鹿児島経済大学論集』(36巻4号),『立命館大学産業社会論集』(31巻4号),『社会運動』(181号),などによって追悼号が編まれた。また,個人的にも多くの方が雑誌等に追悼文や追悼論文を寄稿されている。研究者,「創造の会」もこれまで独自に先生への追悼文を収録した『学問文芸共和国』(清水康夫編集・発行,非売品,1996年)や平田市民社会論を「新しい市民社会論」として読み解きながら展開した研究書『復権する市民社会論』(八木紀一郎・山田鋭夫・千賀重義・野沢敏治編,日本評論社,1998年,asin:4535551421)を上梓してきた。これとは別に平田先生が書き残された遺稿に数編の論文を加えて編集された『市民社会思想の古典と現代』(平田清明著,八木紀一郎・大町慎一編,有斐閣,1996年,asin:4641067899)も出版されている。
特に,左記の『市民社会思想の古典と現代』は,平田市民社会論が,ルソー,ケネー,スミス,マルクスの思想史的理解のなかで醸成されてきたことを浮かび上がらせるために編まれたものであった。平田先生の研究の歩みが,徹頭徹尾,市民社会の批判的自己了解への旅であったことはすでに多くの研究者が語るところである。それは,先生の最初の著作が『経済科学の創造』であり,その副題が「『経済表』とフランス革命」,また最後の著作が『レギュラシオン市民社会』であることの端的に示されている。
本書は,こうした思想史的歩みについては右記の著作に委ねるとし,むしろ現代に焦点をあわせ,現代のケネー研究から,あるいはマルクス研究から,何が市民社会論として課題なのか,それを読み解くのに目を向けた諸論考の草稿をまず収録した。第I部「マルクスと現代」と,結「経済表の循環論的解明」が,それである。また,先生は市民社会論を現代市民社会論として展開する意図を強くもたれていた。その理論的機軸として注目されたのがレギュラシオン理論であった。ただし,それをグラムシにより引き付けて読み込んだ上で展開されていることに留意したい。第II部「市民社会レギュラシオン」では,その事情をよく語る諸論考を収録した。
さらに,先生の多様な「顔」をクローズアップさせつつ,結局,平田先生の生涯のテーマが現にわれわれが生きている日本においていかに市民社会を再生させるのかを,さまざまな表現で語られていたことが了解できるような草稿を,第III部「日仏の比較論」,第IV部「日本経済への発言」,第V部「教育行政・社会運動への発言」に収録した。第III部はパリ第3大学,第7大学での講義等の草稿であり,ここではフランスの大学生に語りかけつつ,同時に自分自身の日本理解があらためて自己確認されていく。そして,この時期,日本経済・社会に関する発言が多くなり,その体系化の一端を語るものが第IV部である。ここでは,産業社会がグローバル化に向かい,また情報・知識経済社会へと移行しつつあることが確認され,企業社会日本への批判的自己了解の下で,あらためて個体的所有の再建が議論されている。第V部は,先生の研究者以外の「顔」をクローズアップした。ここで学生に語りかける,あるいは社会に語りかける「声」は,学生への,また社会への信頼に満ちている。市民社会を批判的に自己了解する先生は,個体的所有の再建を「人間の力」の再生として読み替え,学生に語り変えていることが印象的である。
先生は,名大から京大に移ってもたれた講座が,かって河上肇が属していた講座であることに大変誇りに思われていた。河上の,学問への「求道的,馬鹿正直的な」愚直さを,なによりも敬愛していたからである。また,河上に「日本」の文明の固有性は西欧との比較においてのみはじめてみえるという視座があったからである。序「百年の日本人 河上肇」は,そのことを語っている。ちなみに,河上の学問への「求道的,馬鹿正直さ」を語る先生は,また本人自身がそうであろうとする本人自身の自戒でもあった。
本書は,このように平田先生の多様な「顔」をクローズアップしつつ,何が生涯にわたる学問的課題であったのかを辿るために編まれたものである。収録すべき論考もまだ多い。しかし,紙数の関係上選択せざるを得なかった。なお,各部の内容については,編集委員による「解題」を参照されたい。
最後に,遺稿論文等の収集や出版に許諾いただいた平田敏子夫人に感謝したい。また,名古屋大学時代のゼミ生を中心として組織されている同窓会の「創造の会」には,物心両面で厚い援助をいただいた。あわせて感謝したい。なお,出版事情が厳しい中,本書の出版を快く引き受けていただいた晃洋書房,また出版に関して大きくお世話になった編集部の西村喜夫氏にも記して感謝する次第である。
2007年8月19日
平田清明遺稿集編集委員会 篠田武司・斉藤日出治・浅野 清・安孫子誠男・佐々木政憲・野沢敏治(編集協力)