001情報化社会と市民社会――「知性」の「連合」にむけて――

akamac2007-02-14

初出:八木紀一郎・山田鋭夫・千賀重義・野沢敏治編著『復権する市民社会論――新しいソシエタル・パラダイム――』日本評論社,1998年8月20日(第2刷:2000年1月31日),6,000円
(本書は縦書きのため,漢数字を使用している。)

復権する市民社会論―新しいソシエタル・パラダイム

復権する市民社会論―新しいソシエタル・パラダイム

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「現代に責任を負うあらゆる知性が一つの学問文芸共和国に連合するとき,それは未来の歴史的形成の第一歩ではないだろうか。」(平田(一九六九),一二五ページ)

はじめに
コンピュータ・サイエンスおよびコンピュータ・テクノロジーの進歩を背景にして,現代社会をして「情報化社会」と一言で特徴づけることがある。しかし,これらの進歩そのものをもって,現代社会を,ひいては未来社会をあたかもバラ色に描くのは正しくない。社会を構成する諸個人の市民としての成熟度合い,コミュニティ創造能力などが同時に確定されなければならないからだ。たしかにインターネットのコミュニティーは「特殊な社会的コンテキスト」で成立している面があり,「近代産業社会の基本的なしくみの上に咲いた『楽園』」かもしれず,また「『寄生』した先祖返り」なのかもしれない。インターネットに出現している胎動が「原近代の再生」であるかぎりでは,いずれ資本主義的商業主義に蚕食されてしまう運命をもつのかもしれない(佐藤(一九九六))。それでもなお,逆に現代社会を従来の社会の単純な継起的なそれとすることも正しくない。一定の限界はあれ,市民生活々にネットワークが浸透することによって,社会各層において「ひと」と「ひと」との関係が変容するとともに,いままでになかった知的営為の主体が登場するようになっているからである。
本章では,イデオロギー対立の時代が終焉したといわれる中にあって,あらためて「市民社会の再構築」なる論点が浮上しつつあることを提起したい。とりわけ「情報化社会」のプラスの評価軸の延長にこの「市民社会の再構築」を位置づけたとき,インターネットを媒介とした不特定多数のコミュニケーションとそれを担うインターネット固有の新しい人間類型ともいうべき市民が成立しつつあることの意味は大きいと思われるのだ。インターネットに成立しつつある新しい社会の萌芽の析出を,現実に進行しつつある場から典型的な事象を浮き彫りにすることで試論的に果たしてみようというのだ。
インターネットを通して現れていることは,人間世界の現実の忠実な反映だけではない。ある時,あるものは現実世界を過度に増幅させて表現することもあるし,逆に普遍的なことどもが必ずしもそうでないこともある。筆者の立場は,インターネットのすべてを肯定的に受容するものではない,というところにあり,インターネットに主体的に対峙したときみえてきた人間の営みを未来へのベクトルで検証してみようということにある。さらに,平田市民社会論がいち早くこれらの問題圏域と重層的に関連しあうことを素描することによって,平田市民社会論の現代性と未来社会の見取り図を抽出してみたい。平田市民社会論のドグマ的擁護ではなく,それの現代的意義を浮き彫りにすることこそ,筆者に課した平田の宿題のように思われるからである。

一 市民社会論の歴史的位相
(一)イデオロギー批判としての市民社会
平田『市民社会社会主義』は,旧ソ連社会主義国家として政治的・経済的影響力をもっていたとき(崩壊のおおよそ四半世紀前にあたる),システムの欠陥を洞察し,かつその編成原理の根幹に市民社会の不在をもってするどく警鐘を鳴らした書物である。いま,行論に必要なかぎりで要点をまとめれば以下のようである。
市民社会とは,何よりもまず,人間が市民として,相互に交通する社会ではないのか。ここで市民とは,日常的=経済的生活における,ひらの具体的人間であり,自由平等な法主体の実在的な基礎である。このような市民関係としての社会関係だからこそ,そこから市民的資本家の世界が自己形成されるのではないのか。」(七九ページ)平田は,「西欧的知性に宿る市民社会史としての歴史把握を,市民社会そのものの内在的批判を通じて,真の人類史開花にいかそうとしたこと」(五十ページ)に「マルクスに固有な社会=歴史認識」(五一ページ)をみた。そして,市民社会の体系的理解をまず「方法概念」つまり「社会の総体把握のための方法概念」(五六ページ)として提示し,その概念を「生産様式」・「交通様式」・「消費様式」(ひとことで「再生産様式」)なる「新たな経済学的範疇」として再構成した(五七ページ)。のみならずマルクス的把握の決定的な点として「個体的所有と私的所有との関連における差別」(五八ページ)を指摘した。『資本論』プランの編成を「内なる市民社会」から「外なる市民社会」へと展望し,総じて「国際的市民社会」の形成を読みとり,「体制概念としての市民社会の範疇展開」(六九ページ)を試みたのであった。そうした市民社会を軸としたマルクス経済学批判体系の読解は,近代社会の過程を二重のそれとして理解することにつうじ,「一方では,旧代的生産様式に対して市民的生産様式が闘争する過程であり,同時に他方では,市民的生産様式が資本家的生産様式へと自己転変する過程」(七十ページ)として抉りだすことになる。
筆者は,平田の市民社会論に対する共感とともに,多くの批判も知っている。それでもなお,平田市民社会論がその輝きを失っていないのは,平田自身の市民社会の問題性の指摘である。「非西欧的地帯における社会主義の実現においては,西欧的な市民=資本家社会の揚棄の過渡段階にあらわれる市民的権利が,独自の歴史的意義をになう。それらの地帯においては,その地主的=資本家的時代において,旧代的なものが破壊しつくされず比較的強固に存在しているために,同市民的関係または市民的権利が支配的なものとして成立・展開したことがないからである。そこでは,社会主義そのものが,この同市民関係あるいは市民的権利の展開を,意識的に促進しなければならないという客観的条件に,おかれている。したがってまた,そのようなものの展開の構造化として,社会主義市民社会というべきものが,概念として成立する。この概念は,西欧的な市民=資本家社会の揚棄過程の一時点においてもごく限定された範囲において妥当するものであるが,それが社会認識の決定的範疇として生きるのは,非西欧地帯における社会主義建設の途上においてである。念のために申しそえておくが,概念としてのコミュニスム段階とは,市民社会的なものをすべて揚棄している段階である。」(七二ページ)脚注として認めたこの文章に平田市民社会論のエッセンスが凝縮されている。六八年から六九年にかけての時代性がこうした問題意識を醸成させたというには,あまりにもそれから四半世紀後の「国際的市民社会」を見通しすぎていたといえようし,インターネット的世界に平田的世界をアナロジーさせても違和感を生じさせないほどの現代性を保持している。「資本主義社会なるものを市民社会の基底において再把握うることが,資本主義認識に新しい基軸を提供することによって,資本主義揚棄としてのコミュニスムの展望に新地平を拓くこと,おなじく資本家社会を市民社会の基底において再認識することが,資本家社会に固有な市民的意識,その宗教形態としてのキリスト教の,内在的な理解=批判となりうること」(三四四ページ)と「あとがき」に書いたこととも見事に通低する。
マルクスの経済学批判が学としての経済学批判を通じてのブルジョア社会の批判的解剖であったのと同様に,平田市民社会論は「失われた基礎視座」の提起による「経済学研究批判」を通じての現代(当時の)ブルジョア社会の批判的解剖であった。

(二)平田『市民社会社会主義』の射程
このように,平田「市民社会」論はまずは六十年代から七十年代という歴史的文脈で位置づけられなければならない。当時の現実批判の視点から古典の再審をみずからに課した時,古典解釈の基本線を死守しながら,あまたの批判をうけても強靭な生命力を有した所以がここにある。いわば歴史的産物としての市民社会論とでもいえようか。それにとどまらない。「社会主義市民社会」と平田が形容した社会は,未だ実現していないことにかかわる。重くのしかかる未決の課題を先取り的に予見し,アウトラインを描ききった提起だったからこそいまふたたび市民社会論なのではあるまいか。いわば現実的課題としての市民社会論。未来社会の構想は,資本主義社会の現実をしかと見据えたところに開かれるはずであるから,平田の提起したテーゼを自らのものとし,わが身の問題として自ら主体的に展望を示すほかない。「現代に責任を負うあらゆる知性が一つの学問文芸共和国に連合するとき,それは未来の歴史的形成の第一歩ではないだろうか。」との平田の問いかけは,現代の知性への問いかけでありつづけている。
「知性」の「学問文芸共和国」としての「連合」。平田『市民社会社会主義』の,歴史的産物としての市民社会論,現実的課題としての市民社会論,両者に共通する核心部分がこれである。
 
二 情報化社会における市民
(一)インターネットの幻想と真実
インターネットの時代は,平田が問題提起した時代と丁度重なる。ひとつは「冷戦」体制の体制的リアクションの顕著なあらわれとしての側面である。五七年,旧ソ連が人類史上はじめて人工衛星スプートニクの打ち上げに成功した年である。この衝撃は,いち早くアメリカを襲い,国防総省内に高等研究計画庁 ARPA (Advanced Reserch Projects Agency のちに DARPA, Defence Advanced Reserch Projects Agencyに改められた)を設置させることになった。そしてここからひとつの実験が始まった。インターネットの前身,ARPANETがそれである。パケット交換によるネットワークであり,分散型ネットワークを特徴としている。ここには,中央集権的な情報システムであるならば,一発の(ソ連からの!)核弾頭で壊滅的打撃を受けてしまうという危機感があった。その後,ARPANET 自体が ARPANET と MILNET (非機密の軍用ネットワーク)に分割され,このふたつのネットワーク間の接続を DARPA インターネットと呼んだ。当然ARPANETへの接続は,軍事関係機関に限られていた。急速に増加したネットワークトラフィックと高速のネットワークに対応する目的で設立されたのがNSF (National Science Foundations 全米科学財団)の NSFNET であり,一九八四年に提案され,八六年に運用が開始された NSFNET は, ARPANET と NSFNET との相互接続,高速バックボーンの構築を果たし,現在のインターネットの基幹バックボーンになった。
いまひとつは民主主義的リアクションの側面である。ベトナム反戦運動を大きなうねりとした反体制運動は,全世界に波及し,既成のシステムへの全面的検証の役割を担った。こうした背景にあってインターネットは,それまでの政府・官僚組織・独占的大企業による情報独占にたいする,「市民の,市民による,市民のための」情報共有化をめざしたネットワーキングという思想と理論の延長にあったのである。民主主義の根幹を支える情報公開,さらには情報共有という崇高な任務をはたすべき実践的武器だったのである。(この点,普通のパソコンユーザーがパソコン→ネットワークの順で導入することから,インターネットの発展もそうしたものと誤解されやすいが,決してそうではない。ネットワーク→パソコンという歴史であったことに注意したい。)情報独占が中央集権的情報集中と民衆支配を目的としたものであったのに対して,分散的システムと民主主義とは思想的バックボーンにおいて見事に結合していた。この民主主義の実現という,インターネットの草創期からの理念と獲得物の明確な提示は,その後のインターネットの商用利用が進んだとはいえ,いや進んだからこそ,インターネットに対するあらゆる否定的評価に対する雄弁な回答でありつづけている。
インターネットは「冷戦」の産物であるとともに情報技術の急速な発展の産物でもある。それだけでなく,民主主義の徹底といういまなお人類の課題である一大思想・政治闘争の技術的基盤としてある。平田が問題提起した時代は,実はこうした時代でもあったことを確認しておいていい。平田市民社会論がブルジョア社会を批判しようとしていたまさに同じ時代に,インターネットを武器とした新しい歴史創造の営みの時代でもあったのである。経済学創造の試みとインターネットに託した思想とは無縁ではなかったというべきである。

(二)思想としてのインターネット
インターネットにおいて将来社会の可能性の萌芽を読みとろう,摘み取ろうとするとき,なによりもまずインターネットの思想的バックボーンが抉りだされなければならないだろう。語の正しい意味での Hacker ハッカーたちが,インターネットの基幹思想を構成した彼らが,イリイチ (Ivan Illich) の思想から大きな影響を受けたという。conviviality (普通「自律(立)共生」と訳されている)という言葉がそれを象徴しているというのだ。人間が生み出した便利なはずの道具が人間自身を逆に管理してしまうというパラドックを,「機能の専門化と価値の制度化と権力の集中をもたらし,人々を官僚制と機械の付属物」ではない「人間の能力と管理と自発性の範囲を拡大する」道具へと転換させるためにこそ,コンヴィヴィアルな(みんなで一緒に楽しい)道具としてのパソコンが必要だったのである(イリイチ(一九八七),古瀬・廣瀬(一九九六))。
また,イリイチは WWWの命名にも影響が認められるともいわれる。彼の構想はもともと Learning Web 「学習のためのクモの巣」にあった。その後彼の思想を核としながら,ネットワーク一般に拡張して使われるようになった。「すぐれた教育制度は三つの目的をもつべきである。第一は,誰でも学習をしようと思えば,それが若いときであろうと年老いたときであろうと,人生のいついかなる時においてもそのために必要な手段や教材を利用できることにしてやること,第二は自分の知っていることを他の人と分かちあいたいと思うどんな人に対しても,その知識を彼から学びたいと思う他の人々を見つけ出せるようにしてやること,第三は公衆に問題提起しようと思うすべての人々に対して,そのための機会を与えてやることである(中略)すぐれた教育制度の下では,本当に誰もが自由に論じ,自由に集会を持ち,自由に報道ができるようにし,またそれゆえにそれらのすべてが十分に教育に役立つものとなるように近代的科学技術が用いられるべきである。」(イリイチ(一九七七))
このようにパソコンとインターネットとは,市民を主人公にした社会の再構成という思想の具体化として,必然的に結びつくことになった。情報技術の発展の結果としてコンピュータのダウンサイジングが起こり,パソコンが普及し,それをつなぐことでインターネットが実現したのではない。結果の演繹的脈略としては事実の一端を言い当ててはいても,インターネットの思想的解剖としては正しくない。
インターネット自体は,専用線か電話線を通じての,マシンとマシンとの物理的な結合である。遠隔ログイン,ファイル転送,電子メール,メーリング・リスト(電子メールを使って特定の話題や情報を特定のユーザーに送付するためのシステム。メールアドレスを持つ複数のユーザーをグループ化してひとつのメールアドレスに登録することによって情報の同時配信を実現するシステムである。リストによって登録する際に一定のコマンドにしたがって自動登録したり,管理者によってしか登録できなかったりの相違がある。)のような初期からのプロトコルも,WWW (World Wide Web) を代表とする対話型情報配送,ディレクトリサービス,インデックスサービスなども結局マシンを介しての情報の授受である。この意味ではインターネットは徹頭徹尾「もの」と「もの」とが対面する世界である。この「もの」と「もの」との対面した世界は,しかし旧来の時間的・空間的制限を一挙に取り払ってしまった。ともかく,世界大につながっていること,デジタル情報共有システムであることによって,コミュニケーション手段の変容を劇的にもたらした。 UNIX という基本ソフト (0S) が開発者責任主義でかつ技術情報の公開=共有だったから,AT&Tベル研究所で開発された一ソフトという性格から,技術開発上の標準としてインターネット関連のリソースが無償で提供される素地になったことにも留意したい。

(三)ネットワークとディレタントの登場
「もの」と「もの」との世界の一連の変容は,思想を吹き込むことによって血の通った「ひと」と「ひと」との世界に影響を及ぼす。
 第一に,自己提示の姿勢である。ウェッブに端的に見られる「自己紹介」「プロフィール」である。これを「ゴミ」とか「ちらし広告」とか「ジャンク情報」とか評する「文化人」がいるが,「文化人」ではない普通の市民生活を送っている人たちがそうした客観化する営為を通じての自己確認,アイデンティティの回復行為であることを見る必要がある。かつてなら知性の発露が媒体の種類にいちじるしく制限されていた。主として印刷物として知性の織りなす作品が発表されたから,ごく一部の「知識人型」知性しかその媒体を利用できなかった。逆にいえば,知性的活動を客観化するという行為は,市民的市民には到底できないあまりにも縁遠いことであった。表現活動が媒体によって制限されていたこと,表現したい市民・表現する能力を持った市民の表現の場がなかったことの重大性にもっと着目していい。いまインターネットを通じて表現活動を得た市民が,たとえ「ゴミ」・「ちらし広告」・「ジャンク情報」とかといわれようと,水を得た魚のようにエネルギッシュなのはこのことにかかわる。
第二に,市民的専門家の登場である。いま触れたことともかかわって,印刷物としての学術的成果物は,流通経路も販路も特定の読者を想定したものだったから,書き手も大学の研究者が主であった。いま,そうした研究者がインターネット上で何を公開しているかというと,多くは肩書き,著作リストそしてシラバスだ。研究業績としては紀要・本,インターネットでは「ちらし広告」という二重のスタンダードを実践しているというわけだ。市民的専門家ははじめから違う。大学の外にいて,抑圧されたきた知の発露をインターネットにもとめ,インターネットを通じて検証してもらおうというのだ。未だ少数とはいえこれらのディレタントは並の研究者より勉強家であり,学びたい・表現したいという意欲が強いだけ刺激的ですらある。「市民のための丸山真男ホームページ」 (http://www2s.biglobe.ne.jp/~MARUYAMA/) というページを作っている田中さんはこう書く。「インタ−ネットが本当に一人一人の市民生活にとって必要で有意義なものになるかどうかは,評論家や俗流社会学者たちの無責任なおしゃべりなどによってではなく,製作される一個一個のホ−ムペ−ジの品質何如にかかっているはずなのであり,ツールの向上やインフラの整備以上に,製作する個人の想像力と創造力次第ということになるのだろう。/しかしながら,日本の多くの研究者たちは,欧米の研究機関が苦労して構築した文献・資料デ−タベ−スに多くリンクを張ることが,ホ−ムペ−ジを作ることだと勘違いしているように見える。あるいは,自分勝手なおしゃべりのために,通信回線やハ−ドデイスクの資源を(貴重な文教予算の税金で)無駄使いすることが,インタ−ネットを『研究利用する』ことだと誤解してしまっているように見える。/そうではない。おそらくはそうではない。海外の研究機関からリンクを張ってもらえるホ−ムペ−ジを作ること,海外の研究者や一般の市民によって,ブラウザのブックマ−クに追加してもらえるホ−ムペ−ジを作ることこそが,本当の意味での『研究者のホ−ムペ−ジ作り』に他ならないはずである。」(Readers of All Lands Link ! から引用)。こうした息吹はひとりこのページだけではなく,確実に今後大きな流れをなすだろう。

(四)文化の革命
いま確実に市民が変わりつつある。未来を予見し,大衆を「良き」方向に導くはずだった「良識」ある知識層が,ネットワーク社会を眼前にして右往左往の体たらくだからである。評論という安定した生活圏にひたすら身を置く。すでに敷かれたレールのうえを,一定のルールにしたがうかぎり得られる安定。資本主義社会における知性のあり方が根底から問われているというのに。
アカデミズムはそれでも捨てたものではない。いくつかの先駆的な試みを紹介してみよう。第一は,アカデミズムの脱アカデミズム化による評価システムへの志向ケース。二村一夫は,『二村一夫著作集』 The Writings of NIMURA KAZUO をインターネット上で編む試みをはじめた (http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/) 。「私がこれまでに書いてきた論文やエッセイなどを,なるべく多くの方に読んでいただきたいと思い,オンラインで『二村一夫著作集』を刊行」する試みであって,第一期分のうち四巻を一九九七年十二月にほぼ刊行を終え,一九九八年二月から第二期の刊行がはじまった。全十一巻にのぼる壮大な計画は,従来の研究者のライフスタイルを一新するのみならず,知的産物の客観化作業の冒険でもある。インターネットを通じたこの種の試みは,寡聞ではあるが,世界的にみても,日本においてもはじめてではないかと思われる。二村のページは,自己の知的営為の一環として独力での編集作業であること,一九三四年生まれという年齢,を考えると二重の意味で驚異である。
第二は,印刷メディアとデジタルメディアとの有機的結合のケース。野村一夫は SOCIUS (References for Beginners and Dilettanti in Sociology and Social Studies) と称するページ (http://www.asahi-net.or.jp/~bv6k-nmr/index.html) において,「社会学を学び始めたばかりの学生さんや,現代日本社会についてきちんと考えようとされる『見識ある市民』のみなさんのために,基本的な参考文献を紹介し,各テーマについて社会学がどう取り組んでいるかについて解説」しようとしている。野村は,自説をデジタルでの試論的展開と読者との応答を経て,印刷メディアでの集約をはかった。印刷メディア一辺倒のアカデミズムにあって,それだけではない表現のありようを追求した点において秀逸である。野村(一九九四,一九九五,一九九六)はそれらの成果である。社会学の対象のひとつとしてインターネットがあるから,野村の趣味的フィールドと学術的フィールドとが初発から結合している面があるにせよ,草稿と完成稿との不断の応答をインターネットに見いだし実践している例は稀有である。もちろん,筆者は,野村のインターネットの社会学的考察にも注目している。
これらの試みは,既成のパラダイムへの挑戦という意味で注目されるケースである。市民の視点に立って,既成の価値概念を総点検せよ。インターネットの思想を徹底して市民化せよ。そう教えているのではないだろうか。

三 Internet is power!
(一)組織・制度と個人
にもかかわらずである。インターネットは参加者の問題意識次第でどうにでもなる。いままでのメディアが資本力に依存し,誰もが平等に参加できるものではなかった。インターネットはすくなくともこの点で決定的に異なる。つまり,その気があれば意味ある社会の一分子たりえるのだ。寄らば大樹の影も選択できる。何でもありの世界である。体制擁護のメディアになることも,市民的成長を遂げる場としてのメディアにもなることも可能だ。ここにインターネットの現実がある。
インターネットの商用利用と行政の上からの情報操作はますます進む。ファクス,ポケベル,携帯電話の使い方を教える学校がないのと同様に,パソコン,インターネットの使い方を教える場は必要ない時代が間違いなく到来する。それら道具であるかぎり,人間にたいして価値判断の基準を示さない(非・規範性),目的達成の手段であり(手段性),作業そのものへの没入(透明性)をもたなければならない(佐伯,一九九七)。パソコン,インターネットを通じて何をなすかが問題であって,市民の市民的生活のコンテンツがまさに問われることになる。自覚的市民がどれだけ結集でき力ある「階級」に成長できるかどうかがいま問われている。
インターネットでは自己主張が可能である。また,インターネットという技術的特性によって最初から対等・平等である。この特性はいままでにないものであり,社会を変える可能性を与えてくれるものだ。ここで培われた個人の能力は,疑いもなく既成の組織・制度と抵触する。それらの多くはヒエラルキーであって,インターネットで育成されたコミュニケーションと異なる。インターネットで鍛えあげられ自己を確立した主体は早晩ヒエラルキー的組織物に敵対し,みずからの作法を普遍化することでしか存在しえない。
社会の矛盾を自覚し,問題化し,運動化していくプロセスにも変容をもたらす。マイノリティからの異議申し立て,辺境的な問題も,インターネット上に研究者が多数存在することによって,彼らの認知・承認を受けて一気に,加速度的に社会問題化できる。異議申し立て,問題提起者の苦悩や軋轢が,組織目標が先行することなく,社会問題を構築できる。すでに非政府組織の国際活動,平和運動環境保護運動など先駆的事例に事欠かない。
 
(二)コミュニティ創造の実践
インターネットは市民社会の構築に不可欠のメディアになりつつあるとはいえ,各種あるメディアのひとつにすぎない。マルチメディアはいつでも「丸痴メディア」に転化する。インターネットといえば読者は何を思い浮かべるであろうか。多分ホームページであろう。ネットサーフィンがインターネットと誤解されている。ホームページの作成者も,ネットサーファーも,インターネット利用の一形態にすぎない。インターネットは「メーリング・リストに始まり,メーリングリストに終わる」という言葉がしめすように,WWWはあくまでもインターネット利用のひとつにすぎない。また,WWWは情報データの宝庫ではなく,情報検索の対象でもない。肝心なことは,インターネットを通じて,「ひと」に問いかけ,得られた知識・情報を共有するコミュニティであることだ。「ひと」と「ひと」との無限の連鎖をつくりあげていくことが大事なのである。
インターネットの参画の目的が情報の提供の場合もあれば,データの交換の場合もあろう。しかし,これらは一過性のものであって,必要があればこその利用である。必要なことは,生身の人間の生き様,文化の交流であり,あらゆるインターネット神話を乗り越えて維持すべきコミュニティがこれである。肩書きも,社会的地位も無関係の一大(小さくてもいいのだが)コミュニティをインターネット上に構築すること。コミュニケーションを可能にするのは,まず「ひと」と「ひと」との文化的かかわりがあって,相互に共鳴し共感できる場合に,最新のメディアを媒介としてコミュニケーションが成立する。生きる現実の場での文化的実践活動が前提となることを確認しよう。

おわりに
 インターネットはそこに自覚的に参画する個人を確実に鍛える。現実社会の投影ではないインターネット・コミュニティは別様の社会経験を個人にもたらす。筆者が最終的に市民社会を構想するのは,この個人の変革の可能性についてである。平田市民社会論も個の確立を強調はしたが,それをもって社会の自動的変革と等置しなかった。インターネットが世界を変えるのではない。インターネットにかかわる市民的成長が変革のプロセスを支えるのだ。あらためて引用しよう。「現代に責任を負うあらゆる知性が一つの学問文芸共和国に連合するとき,それは未来の歴史的形成の第一歩ではないだろうか。」平田が残した課題はいまなお重い。しかし光も見える。
参考文献