002インターネットと共同・共有の思想――ホームページ作成の経験から――

初出:日本科学者会議『日本の科学者』第34巻第6号,1999年6月1日

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1995年10月に私の名と愛用のマシンを合体させたネーミングでウェブAKAMACをスタートさせた。目的は,教育と研究双方に役立つ情報提供である。月平均のアクセスが25000件とこの種のウェブでは予想以上に多い。経済学史関係のE-textリンク集と『資本論』ドイツ語版が主要な内容となっている。前者は200に近い経済学者・思想家たちのオリジナル・テキストへのリンク,後者は原文での公開(スタート当初は世界で最初の試み)である。その後いくつかの関連情報が増えたが,いずれもインターネットにおけるテキストデータの参照という性格は変わっていない。
ところで,このAKAMACは個人のウェブでありながら個人のものではない。インターネットを通じて知り合った多くの友人たちの共同の成果物だからである。
まず,テキスト・リンクのテキストはインターネット上で無償で提供されているものである。カナダ・マクマスター大学ロッド・ヘイ教授作成の貴重な経済学の古典のテキストがベースとなっており,このミラーサイトであるイギリス・ブリストル大学アンソニー・ブリュワー教授およびオーストラリア・メルボルン大学のロバート・ディクソン教授のウェブに連なる。また,フランス語文献については,パリ第一大学アンドレ・ルピデュス教授作成のウェブに負っている。その他スウェーデン語,ドイツ語のテキストも無償で作り上げてきたデータの相互利用によっている。これらのテキストはもともと教育利用を考慮したものであり,研究対象とするにはおのずと限界がある。テキスト読解に固有のテキスト・クリティークは除外されているからである。また同時にこれらのテキストはもっぱら欧米言語である。しかし,社会科学のバックボーンをなすテキストがインターネットを通じて自由に手にはいることの意味はこのうえなく重要である。
さらに,『資本論』ドイツ語版(3巻のうちの第1巻のみ)は,自分自身の再読の意味を込めて一字一句キーボード入力であった。本文400ページのドイツ語を約2年かけて入力した。1章が完成する度にあるメーリング・リストでアナウンスするなかで,同好の士がいることを知った。アメリカ・ユタ大学のハンス・アーバー教授である。彼はすでに作成済みのテキスト・ファイルを数回にわたって送付してくれた。こうして第1巻がほぼ完成した。みられるように,これも私的な動機に基づき,私的関心に沿って作成したものでありながらも,公開することによって今度は自分のテキストが共有されていくプロセスを体験することになった。『資本論』ドイツ語版はドイツでスキャナーを駆使することによってすでに3巻のテキストが公開されており,私のページだけのものではなくなった。それでもHTMLで1章毎に分割したファイルは今でも世界で唯一であり,全3巻の完全デジタル化をなんとか成し遂げたいと思っている。
アーバー教授の話を続けよう。ユタ大学はマルクス経済学をテーマに学位を取得できる数少ない大学である。彼はそこで『資本論』をテキストにしたクラスを担当するにあたって,新しい試みをはじめた。ひとつは,メールによる議論とそれをウェブ上で再現すること,いまひとつは,詳細な「『資本論』注解」を作成したことである。前者は,いわばコラボレーションする試みであって,メールの議論を参加者で共有しようということであろう。後者は,私のファイル提供のオリジナルにもなったものであり,ドイツ語・英語バイリンガル版313ページ,英語版230ページの壮大なテキストである(いずれもpdfファイル)*1。このファイルはもともとインターネット利用を考慮したものではなく,出版を予定していたらしい。その後のインターネット普及を背景に,利用方法を模索しながらひとつのこたえを出したのがこのファイルである。『資本論』の章に応じた詳細な注解は,これでもまだ一部である。数章分でしかないからである。アーバー教授のこのファイルも私のページ*2においてある。
欧米語によるテキストデータの提供と公開はいまでは普通のことである。日本語に話題を転じてみるといささか趣を異にする。研究者個人の発表物の公開は格段に進んだ。ただ,欧米で展開されているような大学でのみならず一般の人も共有できるテキストはほとんどないといっていい。著作権・翻訳権そして版権の問題があるからである。それでも一般には絶版書のデジタル化を目指す「シェア・テキスト」(古瀬幸広)や文学作品を中心とした「青空文庫」のような試みがある。社会科学関係にかぎれば残念ながらほとんどない。そこで考えたのが Digital Volunteer Project (DVP)*3である。
インターネットでの情報提供とは別に,すでに蓄積されている貴重な印刷データを完全デジタル化し,廉価なメディアとして普及させることも必要だと判断するからである。おおよそを示せば以下のようなプロジェクトである。

  1. 資本論』日本語版のCD-ROM版を実現する。
  2. デジタル化のために必要なインプット作業をすべてボランティアでおこない,インターネットやパソコン通信を通じて募る。
  3. デジタル化をどのようにメディアに実現するかは廉価に提供できるか,容易にアクセスできるかともかかわるので,技術的な問題も含めて今後具体的に詰める。私案では印刷物と同一のページレイアウト,あるいは印刷物ページが特定できるレイアウトを希望する。これは研究者も一般の読者も共通に利用でき,論文等への引用も容易だからである(この点では,今インターネットにあるテクスト・データベースはリソースが明確でないほか,原ページとの対応が明示されていないという致命的欠陥を有している。要するにデジタルでも読めるという意味しかない)。
  4. 可能なかぎり「英・独・仏・露・日対照『資本論』」を追求する。将来的には出版社サイドのデータがインターネットに公開され(有料か無料かは別として),新しい出版領域が開拓されるにちがいない。『資本論』日本語版も例外ではない。しかし,既存のデータをまずデジタル化する作業がどうしても必要であり,これに要するコストと時間ははかりしれないように思われる。

このプロジェクトは少しずつ歩み始め,『資本論』日本語版のプロトタイプの完成直前までこぎ着けた。インターネットを通して学んだことは数多い。共同・共有はその最たるものといっていい。

*1:2007年2月現在,ドイツ語と英語のバイリンガル版で2,698ページになっている。2007年2月15日補注。

*2:http://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/Akamac_E-text/Materials/MaterialsJ.html。2007年2月15日補注。

*3:現在は休眠中。2007年2月15日補注。