書誌情報:吉川弘文館,298+5頁,本体価格8,500円,2003年2月10日発行
西洋化を目指した近代日本においてキリスト教が文化や政治・社会・思想などにどのような関連をもったのかを考察したもので,外来文化としてのキリスト教を分析している。評者が本書を繙いたのは帝国憲法発布までの時期にあって瀬戸内(岡山・今治・松山・伊予小松地方)におけるキリスト教の展開を論じていたからだ。
伊予地方へのプロテスタント伝道はアメリカン・ボードのアッキンソンと摂津統一基督公会のメンバーふたりによる伝道旅行が最初とあった(1876年春)。また,最初期のキリスト教徒は慶応義塾出身者と同志社出身者が多かった。とくに,同志社では「松山バンド」と称される多くの伊予出身の神学徒がいたという。
竹中正夫「初期の同志社と松山の人びと」(同志社大学人文科学研究所キリスト教社会問題研究会『キリスト教社会問題研究』第36号,1988年3月→同志社大学学術リポジトリ:http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000008394)を参照しながら(一部似た表現があった),宗教心が盛んであり,多くの俳人を輩出した文化的土壌があり,「信徒たちは自己の心情に福音の響きを反響させ,その信仰体験を詩歌として表明し,日本の文化的感受性をもって福音に応答するようつとめた」(122〜123ページ)と特徴づけていた。
竹中稿は,松山のキリスト者は「雄壮な阿蘇を背にした熊本のような荒々しさはな」く,「カラッ風の吹きすさむ上州のような凜々さとも異なる」。「(熊本バンドとは異なり:引用者注)渋い味わいをもっていた」・「温和な性格をもち,物事にひかえめであり,地味であった」(88ページ)と立ち入った評価をしていた。
四国最初の女学校の松山女学校(現東雲学園),日本でも最初の定時制学校の普通夜学会(のちの松山夜学校)[現松山学院]はプロテスト伝道の過程で生まれた教育機関だ。また,仙台の東北学院と宮城学院の創立に力を注いだ押川方義は松山出身。「日本人の作った賛美歌の中で最も広く愛唱されている賛美歌の一つである「山路越えて」(現行賛美歌404番)の作詞者として有名」(竹中71ページ)な西村清雄(すがお)は松山夜学校の初代校長,「おそらく日本のプロテスタント神学者のなかで,日本の精神的伝統を生かして,神学的考察を志向した最初の神学者」(同83ページ」である魚木忠一は松山夜学校→同志社大学神学部の出身だった。
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