362宗教改革から500年

当時新設されたばかりのヴィッテンベルク大学で教鞭をとっていたマルティン・ルター(1483-1546)がマインツおよびマグデブルク大司教アルブレヒト宛に贖宥状乱発批判の書簡を送った。書簡に添えた「95カ条の提題」をヴィッテンベルクでも公表したのが今から500年前の1517年10月である。1521年にはヴォルムス帝国議会に召喚され,自説を枉げずすべての法的権利・財産等剥奪の刑が確定する。ヴァルトブルク城に逃れ,翌1522年には新訳聖書のドイツ語訳,1534年には新訳・旧約聖書の完全ドイツ語訳を出版する。
ルターの提起は教会の分裂を招き,プロテスタントカトリックの諸侯間の宗教戦争にも発展した。個人の信仰を中心に据えたルターの神学は福音主義と呼ばれている。
世界中に22億人いるキリスト教徒のうちおよそ37%がプロテスタントで,ドイツではプロテスタント29%,カトリック30%といわれている。
2017年には世界中で宗教改革の周年行事が祝われる。すでにドイツではドイツ福音主義教会によって「宗教改革の10年間」が呼びかけてきた(2008年から)。
Sündenbock(贖罪の山羊)やHerzenslust(心の快楽)はルターの造語で,現在では普通の語彙になっている。