書誌情報:みすず書房,(1))v+1〜390+29頁,(2)v+391〜737+101頁,本体価格各3,200円,2007年4月6日
- 作者: 山本義隆
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2007/04/17
- メディア: 単行本
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『古典力学の形成』(日本評論社,1997年,asin:4535782431)と『磁力と重力の発見』1・2・3(みすず書房,2003年,asin:4622080311,asin:462208032X,asin:4622080338)の著者による大著である。近代の科学技術がなぜ西洋近代にのみ誕生したのか,1500年代ルネサンスの時代に知の地殻変動があったのではないかという前著作での宿題と人生の宿題への解答を込めている。ルネサンス時代の人文主義的傾向とはまったく別に文字通り「一六世紀文化革命」があり,近代科学・技術の先駆けとなったとする仮説の提唱でもある。本書が扱っている分野は,芸術理論,外科学,解剖学,植物学,冶金術と鉱山業,算術と代数学,力学と機械学,天文学・航海術・地図学にまでいたる(第1章から第7章まで,以下の一覧参照)。特殊な文化革命の特徴を帯びているイングランドと文化革命の底流をなす言語革命については独立に論じ(第8章と第9章),一六世紀文化革命の意義と限界を結論的に叙述する(第10章)。
巻 | 章 | 登場人物 |
---|---|---|
1 | 序章 全体の展望 | - |
- | 第1章 芸術家にはじまる | レオン・バッティスタ・アルベルティ,レオナルド・ダ・ヴィンチ,アルブレヒト・デューラー |
- | 第2章 外科医の台頭と外科学の発展 | ヒエロニムス・ブルンシュヴィヒ,パラケルスス,アンブロアズ・パレ |
- | 第3章 解剖学・植物学の図像表現 | レオナルド・ダ・ヴィンチ,ベレンガリオ・ダ・カルピ,ヴェサリウス |
- | 第4章 鉱山業・冶金学・試金法 | ビリングッチョ,アグリコラ,パラケルスス,ラザルス・エルカー |
- | 第5章 商業数学と一六世紀数学革命 | フィボナッチ,ルカ・パチョリ,ニコラ・シュケー,タルターリア,カルダーノ,ボンベッリ,シモン・ステヴィン |
2 | 第6章 軍事革命と機械学・力学の勃興 | タルターリア,グィドバルド・デル・モンテ,ラメッリ,シモン・ステヴァン,ガリレオ・ガリレイ |
- | 第7章 天文学・地理学と研究の組織化 | プトレマイオス,レギオモンタヌス,チコ・ブラーエ |
- | 第8章 一六世紀後半のイングランド | ロバート・レコード,ジョン・ディー,ディッゲス父子,ウィリアム・ボーン,ロバート・ノーマン,ウィリアム・ボロウ |
- | 第9章 一六世紀ヨーロッパの言語革命 | ジョン・ウィクリフ,エラスムス,ルター,ジョルダノ・ブルーノ |
- | 第10章 一六世紀文化革命と一七世紀科学革命 | ベルナール・パリシー,シモン・ステヴィン,フランシス・ベーコン |
著者の主張する「一六世紀文化革命」は,ラテン語によって障壁を築かれていたアカデミズムによる知の独占にたいして,市井の一般人(一部封建貴族も含まれる)といってもいい,芸術家や職人・技術者,「理髪外科医」と蔑視されていた外科医,算数教師,船乗りたちによる挑戦である。第1章から第7章までに登場する夥しい登場人物はこれらの詳述である。「はじめて」あるいは「最初に」という形容が頻出するように,文献で確認される「文化革命」のインパクトを執拗に追求している。
イングランドの文化革命を特殊とするのは大陸と異なりいわば「上からの」革命として遂行されたからだとする。知識人のヘゲモニーで進められ,来る世紀に学問をふたたび知的エリートに引き渡す過程――イングランドが17世紀科学革命の先頭に立ち得た理由――と理解される。
本書による問題提起はいくつかある。ひとつは,リベラル・アーツの限界性である。よく知られているように,中世の学芸学部(現在の教養学部に相当)のうえに専門学部として神学部と法学部と医学部があった。学問とは神学であり法学であり医学であった。学芸学部で教えられていたものは,「三学四科」(ラテン語学習を中心とする文法・修辞学・弁証法と数学・幾何学・天文学・音楽)であり,リベラル・アーツ(著者は自由学芸としている)だ。リベラルつまり自由というのは自由人が身につけるべき学芸というわけだ。それ以外は機械的学芸として蔑まれ,学問の対象とはみなされていなかった。ここに焦点をすえ,文化革命を論じたところに著者の慧眼がある。
ふたつめは,著者が説く俗語による出版がラテン語の翻訳でもあったことを明らかにしたことだ。日本ではとかく輸入学問と揶揄されがちな翻訳だが,自国語で読むことができる文化の意義を高らかに宣言したことになる。
著者はまた職人たちが担った文化革命が,個人的な栄光を求める私的な意図や打算も認めつつ,ベーコンとは異なり公開を旨としていたことも指摘する(第10章)。もし,一六世紀文化革命を現代に生かすとするならひとつの手がかりをここに見いだすことができるだろう。
80ページにおよぶ索引と文献は丁寧な本造りの見本である。「知の地殻変動」は手仕事に誇りをもった人々によってなされたことを知るだけでも本書を繙く意義がある。