009経済学史研究の集成と現代

初出:メディアと経済思想史研究会『メディアと経済思想史』第4号,2003年5月31日

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この国にあってすくなくともいわゆる「団塊の世代」以上の年齢の研究者にとっては経済学史研究は独特の意味と内容をもって受けとめられている。まさしく「時流にくみしない良心的な研究の一つの拠り所であった(イギリス古典派研究を中心とする戦前の優れた研究を想起せよ)」(中村廣治「経済学史学会の50年」経済学史学会編『経済学史学会の50年史』2000年9月,非売品)と。敗戦とともに思想の自由の開花なかでもマルクス研究の公認はひろく経済思想史や社会思想史という学説の歴史的研究を促した。経済学史学会はこうした雰囲気のなかで組織され創設された学会であり,2000年にちょうど創立50年をむかえたことになる。(経済学史学会では創立50年を記念していくつかの企画をもった。前記『経済学史学会の50年』と『経済思想史辞典』丸善,2000年6月,asin:4621047663の出版,『経済学史学会年報』第38号,2000年11月,での「特集 私の経済学史研究――20世紀の学史研究をふりかえって――」のほか,「経済学史・経済思想史文献データベース」の構築。)
千年紀の転換とともに節目の時期をむかえた経済学史学会の創立前後に研究の道を志した先人たちは,いま数々の業績を後生に残しながら第一線を退く時代にいる。すでに没した人も含めてここ数年の間に世に問われたいくつかのまとまった彼らの諸著作をとりあげ,経済学史研究が彼らの生きてきた同時代の諸相とどのように対話してきたのかをさぐってみようと思う。
内田義彦(1913-1989)は,『経済学の生誕』(未來社,1954年)の著者として,戦後の「市民社会」論をリードしたことで知られる。内田は,戦前期の日本資本主義論争への問題関心と後進国日本の近代化への展望をもち,ひとまずスミスその人の時論家としての特徴を描きだすことで,経済学を歴史認識の学問とした。内田の主要著作はすでに『内田義彦著作集』(全10巻,岩波書店,1988~89年;2001年より第2次刊行中*1)とまとめられた。この著作集に収録されなかった作品を一書にまとめたものが『形の発見』(藤原書店,1992年,asin:4938661551)であり,「内田義彦最後の作品集」と銘打った。この経験と新しい世代へのメッセージを込めて出版されたのが『内田義彦セレクション』(全4巻別巻1,藤原書店,2000年5月〜,asin:4894341786asin:4894341905asin:4894341999asin:4894342340別巻は未刊*2)である。第1巻「生きること 学ぶこと」,第2巻「ことばと音,そして身体」,第3巻「ことばと社会科学」,第4巻「『日本』を考える」という本巻分は,内田が経済学史研究の場に身をおきながら,そこでなすべき「生きる」ということと「学問する」ということを軸に編まれた作品群である。「作品としての社会科学」を提唱し,学問のあり方・方法論を終生考え続けた内田の珠玉のエッセイ,対談,本格的論文はいまなお傾聴すべき内容をもっているし,本コレクション編集委員会が希望しているように若い世代に彼のアフォリズム(金言)を味わって欲しい。
内田以上に経済学史研究に邁進してきた小林昇(1916-)は,「学史のスタディとしては最後の本」ともいうべき『経済学史春秋』(未來社,2001年11月,asin:4624321669)を出した。日本学士院紀要に発表された数編や前記『経済学史学会年報』第38号掲載の回顧論文,さらにはみずからの経済学史研究を振り返った論稿などが収められている。小林はすでに『小林昇経済学史著作集』(全11巻,未來社,1976〜89年)を編んだ。小林は本書でこの著作集についてこう語っている。第一に,経済学史に限定したこれほど大規模なものは世界でも例をみないこと,第二に,著作集をみずからの研究の集大成としてではなく,現役の研究者として学界に参加することを目的としたこと,第三に,イギリス重商主義・J. ステュアート,スミス・ F. リストをテーマにしながら経済学史と経済史との相互浸透をみるところに小林の方法の独自性があること,第四に,世界の学界で無視ないし軽視されていた経済学説史上の古典を発掘し,それにもとづく研究を著作集に反映しえたこと,第五に,みずからが望む通りの編集と組版とで刊行できたこと(148〜150ページ)。小林の経済学史研究は,このような文献に徹底して内在する点といち早く近代経済経済学の方法を取り入れたことに独自の位置があると評されている。「いっさいのアウトリテート(権威:引用者注)はわたくしには厭うべきもの」(146ページ)・「自由な社会科学者の一人」・「研究成果を文章化することに苦しみとともによろこびを感じている学究者」(147ページ)・「研究者の成果にはギネスブックは無縁」(148ページ)などとする小林の感慨は,学説史家の一典型を示し,また,「諸大学での学史の講座がしだいに縮小されつつあるという事実に対しては,わたくしは深刻な感想も,いわんや危機感も,抱いてはいない」(同上)と断言するのも,「職人的」 (145ページ)とすらいえる小林だからいえる言葉であろう。内田の「思想→理論→思想」および水田洋の「思想→思想→思想」とは異なる小林の「政策→理論→政策」の方法論(内田・小林・水田「特別 私たちのスミス研究」『週刊東洋経済』臨時増刊,1976年2月13日号,参照)は,たぶんにこうした自負心とも無縁ではない。(小林の最新の『山までの街』八朔社,2002年11月,asin:4860140095は,福島生活15年を綴った「自由なスタイルの私的回想」として,興味深い一書である。)
時代と切り結ぶといえば,田中真晴『一経済学史家の回想』(未來社,2001年6月,asin:4624321650)は,ロシア経済思想史からイギリスを中心とする自由主義経済思想に関心をつよめていった軌跡はまことに興味深い。田中(1925-2000)は,60年代の大学紛争とその後につづく京都大学竹本処分問題(77年朝霞の自衛官殺害事件にかんする容疑で全国指名手配された,当時京都大学経済学部竹本信弘助手の処分をめぐる紛争)に直面し,京都大学教授を辞職した。経済学部教授会の分限処分案の起草者として徹底して攻撃されたからである。60年代の反安保闘争が大きな政治運動になりえたのに比し,大学紛争は所詮「大学内の争乱であって,全社会的な意義を担わなかった」(45ページ)とはいえ,ホッブズの「自然状態」を思い,冷静さをもとめたヒュームやスミスの回帰という田中の学問軌道の修正にこれほどの影響を与えた事実として記憶にあたいする。収められた24篇のエッセイは,『ロシア経済思想史の研究』(ミネルヴァ書房,1967年,asin:B000JA79K0)や『ウェーバー研究の諸論点』(未來社,2001年,asin:4624321642;没後出版)に凝縮され,多年の研鑽を共同研究として最晩年にまとめた編著『自由主義経済思想の比較研究』(名古屋大学出版会,1997年10月,asin:4815803315)にいたる研究者の鋭い感性を表白している。ついさきごろ,田中真晴先生を偲ぶ会編『回想 田中真晴先生』(非売品,2002年3月)も刊行された。旧友,ロシア史・ウェーバー研究者,経済学史・社会思想史家,親しかった人々,弟子・教え子などからのそれぞれの田中の描写は,田中が経済学史研究に従事することで洞察しえた社会や政治そして大学の断面と知の探求の醍醐味を語っている。
東京経済大学長をはじめとして長らく大学行政に携わった渡辺輝雄(1913-1998)の仕事も『渡辺輝雄経済学史著作集』(全3巻,日本経済評論社,2000年12月,asin:4818812773asin:4818812781asin:481881279X)としてまとめられた。渡辺は,ケネーを中心とする重農主義研究で知られていたが,ペティ,カンティロンおよびケネーを中心にした大冊『創設者の経済学』(未來社,1961年4月;著作集第1巻所収)が生前唯一の著作だった。渡辺の構想によれば,ケネーおよび「経済表」の研究を主内容とする著作がつづくはずであった。しかしこれは大学行政の要職と晩年における病魔によって叶えられなかった。本著作集は,「渡辺氏が一書に纏めんと欲していた『ケネー経済学研究』の全貌を明らかにせんとして企画」(「編者あとがき」,第3巻494ページ)されたものである。前記第1巻は小林昇の「解説」が付され,第2巻および第3巻は初期から晩年にいたるほぼすべてのケネー研究と重農主義研究資料とが――その意味では生前実現しなかった渡辺の構想した『ケネー経済学研究』が――それぞれ「ケネー経済学研究」の(1)(2)としてまとめられた。「ケネー経済学研究」については,渡辺の研究内容とその意義が吉原泰助によって詳細に解説されている(第2巻)。渡辺の研究対象がケネーに向けられたのはなぜか。1930年代初頭のいわゆる「昭和恐慌」に触発され,恐慌理論に問題関心をいだく。古典派恐慌理論と再生産論を基礎とした恐慌論のふたつの問題意識から当面の研究課題をケネー「経済表」におく。渡辺におけるテーマの不変性は,確固とした信念を基礎にしていることと(それ以上に)大学行政という絶対的な研究時間の制約とも無関係ではないであろう。揺れ動く現実に影響され,みずからの座標軸もテーマも拡散しがちになるのはよくみられることだ。渡辺の仕事はそれでもなお研究者のひとつの方向性を示唆しているといえる。
世代をいますこし下れば,永井義雄(1931-)の近業は,近代イギリス思想史を研究対象にしながらもつねに日本研究を志向してきた問題意識を感じる。『イギリス近代社会思想史研究』(未来社,1996年2月,asin:4624321510)はイギリス急進主義と功利主義を,『自由と調和を求めて――ベンサム時代の政治・経済思想――』(ミネルヴァ書房,2000年5月,asin:4623031373)は18世紀イギリスの政治・経済思想を,さらに今回は『近代的理念の移入と屈折――日本と東南アジアにおける西欧近代――』(白桃書房,2002年3月,asin:4561860347)を上梓し,西欧近代思想が日本とアジアにどのように受容されたのかをそれぞれ論じた。永井は,日本(だけではないが)の功利主義がとかくすれば利己的なエゴイズムを意味することに異を唱え,「功利」にかわって「公益」という言葉を主張することで知られる。精緻な文献資料学を基礎に西欧思想に内在すればするほどこの国における思想の受容や近代のあり方に疑問を呈することになるのであろう。永井の研究軌跡は,われわれの経済学史研究の着地点をどこにすべきかについての典型例となりえるのかもしれない。また,『経済学史概説』(編著,ミネルヴァ書房,1992年7月,asin:4623021769)のなかですでに永井自身はベルリンの壁崩壊とソ連の崩壊の対応について述べていた。歴史研究の一分野であるとともに経済学の一分野でもある経済学史研究は,現実に進行する社会変動のインパクトと誠実に向き合ってこそ,成立しえることを語ってもいるだろう。
杉原四郎(1920-)『日本の経済思想史』(関西大学出版部,2001年10月,asin:4873543428)と田中敏弘(1929-)『アメリカの経済思想』(名古屋大学出版会,2002年2月,asin:4815804249)は,それぞれ日本とアメリカの経済思想研究の開拓者による著作である。もともと杉原はミルとマルクス,田中はイギリス古典学派の研究領域の第一線で活躍してきた。日本における経済学史研究が伝統的にイギリスを中心とするヨーロッパの経済学や思想を対象にしてきた。杉原と田中はその伝統の中に育ちながら,それに比し研究者の層が薄かった日本とアメリカの経済思想にいちはやく注目してきた。いま日本経済思想やアメリカ経済思想を最初から研究対象にする研究者が増えてきた。研究視角や研究対象の多様化という科学としての経済学の普遍的特徴とアメリカ経済とそれを理論化する経済学の影響などによって,杉原と田中が切り開いた地平は明確な縁取りを与えられた。なお,杉原は全4巻の著作集(藤原書店)を準備中であり,2003年1月に第1巻が刊行された。一研究者としてまた一読者としてその完結を期待したい*3
飯田鼎(1924-)は,40数年にわたる労働問題・社会政策と福澤諭吉研究を中心に日本経済学史研究を一巻に配した全8巻の著作集を刊行中である(御茶の水書房)。「第1巻 ヴィクトリア時代の社会と労働問題」(1996年11月,asin:4275016416),「第2巻 労働運動の展開と労使関係」(1997年6月,asin:4275016653),「第3巻 高度資本主義と社会政策」(1998年5月,asin:4275017188),「第4巻 日本経済学史研究」(2000年3月,asin:4275017943),「第5巻 福澤諭吉研究」(2001年7月,asin:4275018729),「第 6巻 福澤諭吉自由民権運動」(未刊,asin:4275002970),「第7巻 幕末・明治の士魂」(未刊,asin:4275003594),「第8巻 わがヨーロッパ社会史の旅」(未刊,asin:4275004000)がそれである*4。「業績について学界に特別の評価があったというのでもない」(「『著作集』発刊の言葉」)としているが,著作集としてまとめられたこと(このためには,著作があることと研究者としての令名さが必要か。著作集を編むことができる研究者はごくごく一部である。)は,後学へのなによりの贈り物といっていい。チャーチスト運動研究から労働組合運動・社会主義運動を研究対象にしたことからわかるように,飯田の問題意識は初発から革命家たちの動向にあった(慶應義塾大学での教授資格請求論文は『マルクス主義における革命と改良』だ!)。おりしも飯田の青年期はちょうど戦中期にあたり,研究者としての自立は戦後の社会運動の高揚期にあたるから, これまでとりあげてきた研究者のだれにもまして問題意識と研究対象の結びつき度合いは強い。それでもなお未刊の巻も見渡せば,イギリスと日本とを比較検討しながら社会政策や労働運動を論じ,歴史的に検証する姿勢は一貫している。福澤諭吉研究もふくめて史的研究に飯田のオリジナリティーと特徴がある。
経済学史は経済学の著者・著作を相手に(つまり間接的に)過去の時代と対面する。その時,われわれは著者の思考を執拗に追いながらも(追思惟),それをときには論争者によって,ときには歴史資料によって相対化する作業も同時におこなう。こうすることによってはじめて経済学史は研究といえる。対象は過去であっても,必要なのは現実に生きる場合と同様,確信と検証である。生きた現実だけが現実ではない。

*1:初出執筆時:2007年3月12日補注

*2:初出執筆時:2007年3月12日補注

*3:現在まで第3巻まで刊行された:2007年3月12日補注。asin:4894343207asin:4894343479asin:4894345234

*4:飯田鼎著作集全8巻は完結した。2007年3月12日補注