501スラヴォイ・ジジェク著(栗原百代訳)『ポストモダンの共産主義――はじめは悲劇として,二度目は笑劇として――』

書誌情報:ちくま新書(852),269頁,本体価格900円,2010年7月10日発行

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ラカンマルクス主義者という著者の本を読むのは初めてだ。著者による現代思想家の思索と歴史・現状理解とを複雑に絡ませた叙述はけっして読みやすくはない。松山・伊丹・仙台の往復の機中でときに惰眠をむさぼりつつなんとか読み終えた。
原著ではタイトルになっている「はじめは悲劇として,二度目は笑劇として」は,それぞれ2001.9.11と2008年金融危機を指している。悲劇と笑劇とはリベラル民主主義という政治的ユートピアの崩壊とグローバル市場資本主義という経済的ユートピアの終焉に対応する。この認識を前提に現代資本主義にユートピアの核心を再発見し,新しいコミュニズムの可能性を見いだそうというのだ。
著者には資本主義は隘路にぶちあたりどんな処方でも対応できない状態にあるとの理解がある。マルクス主義擁護者はかつての社会主義の実験の失敗は思想のそれではなくやり方のそれだと主張した。それと同じ論理で,ネオリベ経済学者は逸脱行為(ザル法的な法規制や巨大金融機関トップの腐敗など)による手違いに原因をもとめているというわけだ。市場の決定に信がおけない以上,あらためてコミュニズムが浮上せざるをえない。
著者のコミュニズム再興論の要点はふたつだ。ひとつはハート・ネグリを参照するコモンズ論。文化,外的自然,内的自然を資本による囲い込みを野放しにすれば,やがて人類そのものの自滅を招く。市場メカニズムを無効にし,コミュニズムを復活できるという。いまひとつは搾取論の展開によるレント(超過利潤)論。労働者の搾取からではなく,知識と社会協働による一般知性(ビル・ゲイツのように)や天然資源を私有化することによって生み出されるレントは,市場での自由・平等な取引とは別の次元にある。
「もう一度,本気でコミュニズムに取り組むべきときだ!」(本書の再末尾,258ページ)。21世紀の思想派「コミュニズム宣言」ではある。