漱石と『明暗』を巡っては「則天去私」思想との関連,欧米発の社会主義思想との整合性などについて議論があるようだが,ここではかの「経済学の独逸書」とは『資本論』ドイツ語版らしい状況についてまとめて記しておこう。
(1)イギリス留学中に漱石としばらく同宿した,当時帝国大学理科大学助教授池田菊苗からの影響。彼は,学生時代に『資本論』を英訳本で読んでいたという(角野喜六『漱石のロンドン』荒竹書店,1982年,asin:B000J7DE34)。
(2)義父中根重一宛1902年3月15日付け手紙。「(前略)カール・マークスの所論の如きは単に純粋の理窟としても欠点これあるべくとは存候へども今日の世界にこの説の出づるは当然の事と存候(後略)」(三好行雄編『漱石文明論集』岩波文庫,asin:4003111109またはasin:4000072544)とある。
(3)漱石が第一高等中学校本科在学当時のスコットランド人教師ジェームズ・マードックからの影響。「其頃彼は急激なる社会主義者であって,しきりに私に其思想を吹き込んだ。私が若い時代に社会主義に傾いたのは其為めである」(平川祐【正しくは示偏】弘『漱石の師マードック先生』講談社学術文庫,1984年,asin:4061586513)と述懐している。
あくまで間接的な判断材料とはいえ,「経済学の独逸書」=『資本論』ドイツ語版とみるほうが自然のように思う。『明暗』では,「あまりに専門的で,またあまりに高尚過ぎた」が,ともかく「一種の自信力」として読了したいと思っていた「経済学の独逸書」は,「そう旨(うま)くは行かないものかな」となった。『明暗』がもし完結したならば,主人公津田のその後の人生行路とともに,再挑戦に値する書物になった可能性もある。その時,津田はどのような感懐を持つのだろうか。
漱石に関心ある読者からの意見や情報を期待したい。(この稿ひとまず完)