169服部文男先生追悼集・随想録


故服部文男東北大学名誉教授の追悼集『思想の巨人を偲ぶ』(123ページ)と随想録『観の眼 見の眼』(226ページ)が刊行された。このブログでは何度か服部先生のことを取り上げた(「訃報:服部文男東北大学名誉教授」https://akamac.hatenablog.com/entry/20080107/1199698848,「服部文男遺稿に寄せて」https://akamac.hatenablog.com/entry/20080225/1203931420など)。後者で触れた「服部文男先生を語る会」(3月26日)にあわせて,この追悼集と随想録が刊行された。短期間にまとめられた関係者の労を多としたい。
評者は,服部門下生ではなく,大村泉さん主宰の研究会で数回お目にかかったにすぎない。追悼集には評者の駄文を掲載していただいた(下記参照。ただし,個人名はイニシャルにしてある)。随想録は,服部先生が生前各種紙誌や服部ゼミ部内誌『社会思想史東北アルヒーフ』に掲載されたもの,あるいは愛用のマックに遺されていた未発表稿などから編集されている。『アルヒーフ』掲載稿は後日印刷刊行されるとのことだ。

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私の宝物:服部先生からのはじめての葉書
1979年6月,修士論文をもとにまとめた私の最初の論文(「再生産論成立の学説史的基盤――『剰余価値学説史』の再生産論研究――」『商学論集』第47巻第3号,1979年1月)の抜刷を服部先生にお送りした。服部先生とはこの時点でこちらが一方的に存じ上げているだけであり,非礼を省みず勝手に送りつけたことになる。服部先生から一ヶ月ほど経ってから同年7月23日消印の丁寧なお葉書をいただいた(画像参照)。そこにはこう書いてあった。

「拝復 6月28日御差出のお手紙並びにご労作別刷を今月4日に拝受いたしましたが,種々の用務に妨げられてお礼言が甚だし(く:引用者挿入)延引致しました。この程ようやく時間的余裕を得ましたのでご論考を拝読することができました。『剰余価値学説史』に内在して再生産論成立史を解明されようとしている点に,共感を禁じ得ません。綿密なお仕事から多くの貴重な教示を得ましたことを感謝致します。とりわけ,理論的基準が明確である点は,貴稿のすぐれたところと思います。私はようやくTheorienの解読の地点に到達したばかりですが,私なりにこれまで気がつかずに遇して来た論点に接して学問的意欲をかりたてられております。61-63年草稿の残部の公表を鶴首している次第です。ご力作に対して片々たる感想しか述べられませんが,取りあえずのお礼言と致します。御自愛の程念じてやみません。草々敬具」
文字通り習作の域を出ない処女論文にかくも過分――もちろん,儀礼であることは百も承知だが――の言葉をいただき,その後の研究にとってどれほどの励みになったことか。後に服部先生の指導を受けることになった一年後輩のH君に聞いたところでは,服部先生は抜刷や本を受け取ったらその日に礼状を書くようにしているらしい,とのことであったから,この時はよほどお忙しい日々を過ごされていたにちがいない。その後お送りした拙稿などへの礼状を服部先生からいただかなかったことは一度たりともない。
一枚の葉書で研究の自信を持ち得た非門下生がいたことを,服部先生にご報告申し上げる。