170堂目卓生著『アダム・スミス――『道徳感情論』と『国富論』の世界――』

書誌情報:中公新書(1936),xiii+297頁,本体価格880円,2008年3月25日

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スミスは,『道徳感情論』(1759年)と『国富論』(1776年)の2著を刊行後,生涯かけて改訂した。前者は1790年まで5回,後者は89年まで4回を数える。スミスを理解する場合,前者から後者への展開だけでなく,相互の関連に留意すべきことはここからも知られよう。
著者は,本書において,2著を「社会の秩序と繁栄に関する,論理一貫したひとつの思想体系として再構築する」(iiページ)ことを企図した。ここで描かれたスミスは,個人の利益追求絶対者でもなく,急進的規制緩和論者でもなく,市場原理主義者でもなく,経済成長論者でもなく,富国論者でもない。人類の存続と繁栄を希求し,時々の政策課題に真摯に対応し,現状にたいして熱狂も絶望もしない等身大の人間に幸福の境地を見たスミスといってもいい。『道徳感情論』をスミスの思想的基盤として位置づけ,『国富論』を読み直すという著者の問題意識が十二分に発揮されている。『道徳感情論』の世界に『国富論』を,道徳哲学の世界に経済学を包括したスミス論ということができる。
さて,著者が,スミスの『道徳感情論』から『国富論』への展開の根拠を,『道徳感情論』に記された「生活行政,公収入,軍備,さらには法の対象である他のすべてに関すること」にもとめ,道徳哲学から経済学(『国富論』)および法学(未完)の構想を説明する。「秩序と繁栄を基礎づける人間の諸本性」(137ページ)を解明した『道徳感情論』から,「秩序と繁栄を導く一般原理の具体的内容」(同)を解明しようとした『国富論』へという理解は間違いではない。『道徳感情論』と『国富論』とにおける人間の利己心と同感のあらわれが同一であるのか否かという問題(いわゆる「アダム・スミス問題)はおくとしても,たとえばルソーの道徳哲学との対比などによって,スミスの道徳哲学が含意する特徴についてはもっと触れられてよかった。ひとりスミスの道徳哲学が社会科学の著作を準備することになった思想的特徴,『国富論』が出現する内的必然性は本書から読み取りにくい。
道徳感情論』を主軸においてスミスの世界を解読しようとする著者の姿勢は,『国富論』の世界を「秩序と繁栄を導く一般原理の具体的内容」として読むことになる。言葉だけから言えば,「人間の諸本性」の叙述は『国富論』では扱っていないことになる。著者が何度か『道徳感情論』を引き合いに出す理由はこの面では首尾一貫しない。著者が重商主義(政策)やアメリカ独立問題へのスミスの批判を詳述しているのはまさしく「具体的内容」にあたる。評者は,『国富論』は「人間の諸本性」と「具体的内容」とを重層的に扱っている著作と思っている。『国富論』のこの重層的な叙述に,『国富論』の『道徳感情論』の延長にある著作と同時に『国富論』の『道徳感情論』を超ええた社会科学の著作としての独自性がある。『国富論』の世界は『道徳感情論』のそれとは別の世界ももっている。
スミスの2つの著作をひとつの思想体系とみようという著者は,社会的存在としての人間の把握,市場社会における富の機能に人と人との関係を見いだしたこと,理想と現実との切り分けをしたこと,にスミスの特徴をみる。「不朽の名声」(279ページ)を得た『国富論』はその意味で徹底して相対化される。スミスが死の前年に書いたとされる文章――『道徳感情論』第6版に収録――を4ページ余にわたって引用し稿を閉じているのは著者の読者へのメッセージと読むことができる。

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(追記:2008年11月14日)
本書は今年度の第30回サントリー学芸賞「政治・経済部門」を受賞した。

著者は前著 ''The Political Economy of Public Finance in Britain 1767-1873, Routledge, London'' で第48回日経・図書文化賞(2005年)を受賞したことがあり,重ね重ねの受賞となる。堂目さん,おめでとう。