218山本紀夫著『ジャガイモのきた道――文明・飢饉・戦争――』

書誌情報:岩波新書(1134),x+204+6頁,本体価格740円,2008年5月20日発行

ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)

ジャガイモのきた道―文明・飢饉・戦争 (岩波新書)

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ジャガイモ(ナス科ソラヌム属)は,穀類のコムギ,トウモロコシ,イネについで,栽培面積で世界第4位を占める重要作物である。2006年のFAOによれば,国別生産量は,中国,ロシア,インド,アメリカ,ウクライナ,ドイツ,ポーランド,ベルラーシ,オランダ,フランス,イギリス,カナダ,イラン,トルコ,バングラデシュルーマニア,ペルー,ブラジル,日本,ベルギーとなる。ジャガイモ原産地はペルーだが,小規模農業と収量の低い在来品種の栽培によるという。日本で栽培されている「メイクィーン」や「男爵」は品種名であり,植物学的には四倍体のソラヌム・トゥベローサムに属するのだそうだ。ジャガイモの故郷はティティカカ湖畔を中心とする中央アンデス高地である。著者による原産地探索とインカの末裔たちによるいもづくしの生活ルポ(第2章,第6章),ヒマラヤの「ジャガイモ革命」(第4章)はすぐれたジャガイモ・フィールドワークの結晶だ。
さて,ペルーを原産地とするジャガイモ――馬鈴薯とは同じかどうかについては決着がついていないそうな――は,征服国スペイン人によってヨーロッパに伝わり(16世紀),そこから,インド(16世紀)や日本を含むアジア諸国(17〜18世紀),ヨーロッパ全域(18世紀〜19世紀)や北米(17世紀)に広がった。スペインは,ジャガイモ伝播については「他の国への橋渡し役を果たしたという点で特筆すべき」(63ページ)国ということになる。
パリの地下鉄駅に農民にジャガイモを手渡しているパルマンティエ(1737〜1818,農学者・化学者)の像があるという。7年戦争時の捕虜経験からフランスでのジャガイモ普及に大きな力を発揮したそうだ。ゴッホ「ジャガイモを食べる人たち」(1885年,ゴッホ美術館)は,「皿を取るのと同じその手で,大地を掘った」農民家族を描き,「手仕事」を表現したものだった(『ゴッホの手紙』)。評者はこの絵を見たことがある。ジャガイモのきた道とオランダへの伝播,生業と食料としてのジャガイモを考えるとき,ゴッホのこだわりの意味がよくわかる。
イギリスに行けば,庶民の食べ物「フィッシュ・アンド・チップス」が有名だ。産業革命による工業化の進展とともに多くの労働者階級が生み出された。彼らの食事の中心が「フィッシュ・アンド・チップス」だ。
ジャガイモ好きな国といえばアイルランド。ジャガイモが普及するまでのアイルランド人の主食は,エンバクであり,これをオートミールとして食していた。エンバク不足を救ったのがジャガイモだったこと,ジャガイモ栽培については小作料を払う必要がないこと,「踏み鋤(すき)」を使って「レイジー・ベッド」(ものぐさ苗床)と呼ばれる栽培場所だけを耕すだけで栽培できることなどから18世紀半ばにはジャガイモが唯一の食糧といってもいいほどになる。1848年の「大飢饉」は,ジャガイモ疫病によるもので,代替作物がなかったこと,単一品種ばかりを栽培したことが100万人の餓死者(とチフスと回帰熱)と150万人の移民という悲惨な状況を生み出した(JFKことJ・F・ケネディの祖父はこの大飢饉の時にアメリカに移住した人物であった)。これに加えるに「植民地」アイルランドに対するイギリスの自由放任主義穀物法による輸入制限が飢餓状態を悪化させた。イギリスの首相ブレアがアイルランドに行ったとき,確か謝罪をした。150年以上前の自国の政策誤謬を詫びたのだった。
日本へのジャガイモ伝来は,確かなところではオランダ人の出島への強制移住以降だろうという(1641年〜)。当時オランダはジャガタラ(現在のジャカルタ)に東印度会社を設立し,東洋貿易の拠点にしていたから,オランダ→ジャガタラ→長崎と伝わったらしい。江戸時代の文献ではジャガタライモだ。日本でのジャガイモ栽培の最初の場所は,北海道瀬棚村(現在の瀬棚郡せたな町)だが,この時の記録では「馬鈴薯」である。確実な記録としては探検家最上徳内によって虻田(現在の虻田郡虻田町)で栽培されたとのこと。もっとも北海道へのジャガイモ伝来はいまひとつロシア人伝来説もある。江戸時代には寛永享保天明天保の四大飢饉のほか度重なる飢饉があった。高野長英は『救荒二物考(にもつこう)』で,気候不順でもよく育つソバと暴風雨に強く栽培も容易なジャガイモを救荒作物として奨励した。江戸時代の半ば以降,飛騨,甲斐(代官の中井清太夫(せいだゆう)によって普及し,清太夫イモ,セイダイイモ,セイダイモと呼ばれる),上野(こうずけ),羽後,陸前など関東から東北にかけての地域で比較的早くから栽培されるようになった。
食糧自給率の向上策を検討するよう指示をしておきながら,政権党の維持を優先させ,首相の座を放擲した某国がある。この某国は確信犯的に政策によって食糧自給率を下げてきた。首相としてやるべきは政策の見直しだったはずで,小手先の自給率向上策で解決することではない(最近これまた某国で明るみに出た,事故輸入米の不正転用問題もこれにからむ)。食糧自給率の高い10カ国中6カ国(カナダ,フランス,アメリカ,ドイツ,イギリス,オランダ)は,ジャガイモ生産量が大きい国でもある。「これは決して偶然ではない」(198ページ)。ジャガイモが食糧自給率の向上に大きく貢献しているというわけだ。ところで,某国の食糧自給率都道府県別にみると,100%を超えているのは北海道,青森,岩手,秋田,山形の一道東北四県だけである。東京にいたってはたったの1%,大阪でも2%でしかない。コムギ,トウモロコシ,コメなどの穀物だけでなく,ジャガイモなどのイモ類の食糧源としての可能性を再検討しよう,という著者のメッセージは,某国の状況をみるにつけ,真っ当なものである。
岩波書店発行の書籍は同一の印刷所で印刷されているのではない。本書の「印刷・三陽社」のものは,評者はあまり好きではない。書体が全体として小ぶりで,広がりがない。以前後輩から岩波書店発行の翻訳書を2冊もらったことがある。印刷所が違うためにまったく異なる書体が使われており,これが同じ岩波の本かと思ったことがあった。月並みな表現だが,「たかが書体,されど書体」だ。