036労研饅頭

昨日(2009年2月14日),近代史文庫例会「労研饅頭のはなし」があり,聞いてきた。浜田紀男(大阪山宣会事務局長)「松山銘物・労研饅頭から見えてくるもの」,桝井秀雄(鈴峰女子短大教授)「酵母菌のはなし」の2報告と,浜田報告の間に,松山城南高校生による詩の朗読(杉山平一『夜学生』から)があった。近代史文庫は松山にある民間の研究団体で,愛媛地方の歴史を発掘している。初めて例会に出た。ほかでもない労研饅頭が話題だったからだ。資料代500円には労研饅頭と紅葉饅頭代が含まれていた。
労研饅頭――「饅頭」は「まんじゅう」ではなく「まんとう」と中国風に言うのが正式名称――は,昭和初期,倉敷紡績(当時の社長は「労働理想主義」を実践した大原孫三郎)内に作られた労働科学研究所で中国の饅頭(まんとう)を日本人向けに改良して作ったのが始まりである。これは,当時の所長・暉峻義等(てるおかぎとう,1889-1966,農業経済学者暉峻衆三は次男,生活経済学者暉峻淑子の義父)が研究して発売したものだ。松山では,1931(昭和6)年10月に,「夜学生に学資を」と松山夜学校(現在の松山城南高校の前身)奨学会で製造を始め各学校の売店などで販売していた。同奨学会では,退役軍人で熱心なクリスチャンである数学教師竹内成一と村瀬宝一(のちの六時屋タルト社長)を倉敷に派遣して製法を学ばせ,酵母菌を譲り受けるとともに中国人林樹宝を招いて製造技術を学んだ。これが労研饅頭である。
労研饅頭はのちに「たけうち」の個人経営にうつり,現在にいたっている。浜田の報告によると,当時は全国労研饅頭組合があり,全国で37軒の店舗があったとのことだ。現在では,労研饅頭の名前をそのまま継承している松山の労研饅頭と岡山県備前市の有限会社ニブ(丹生)ベーカリーの「備前ローマン」(「労饅」から)だけ。松山・労研饅頭だけが戦前からの酵母菌を継承しているということだ。
浜田の報告には,労研饅頭の作り方,食べ方などについて書いた暉峻義等「「労研饅頭」について」(『労働科学研究』第7巻第1号,1930年),昭和初期の労働問題について触れた『倉敷紡績100年史』(1988年3月9日),労研饅頭と夜学校奨学会についての『松山城南高校創立100周年記念誌』(1991年1月14日)および,暉峻義等,労研の後身である財団法人労働科学研究所川崎市),労研饅頭などについての朝日新聞の記事(「ニッポン 人・脈・記 手をつなげ ガンバロー⑦「牢獄」の女工たちを救え」,2007年10月10日付け)の資料がついており,労研饅頭について理解を深めることができた。
労研饅頭は黒大豆入りの定番からかぼちゃあん入りなど14種類ある。1個105円(消費税込み)の安さが魅力だ。勝山町の本店のほか大街道と萱町(今は無い?)に支店がある。全国発送もやっているようだ。松山に来たら,ぜひ労研饅頭を!

下はたまたまスクラップしていた新聞記事から(朝日新聞(第2愛媛)2002年12月11日)。

四国あじ遍路 労研饅頭 守り続けた夜学生の味
松山に来てから,ずっと気になっていた看板がある。
「労研饅頭(ろうけんまんとう)」
店構えの古めかしさも手伝って,何ともものものしい。作り始めて70年になるという伝統の味と,その由来を知るため,松山市内の菓子店「たけうち」を訪ねた。
ルーツは旧満州地方(中国東北部)で広く食されていた蒸しパンの一種「マントウ」。昭和のはじめ,労働者の環境改善に取り組んでいた岡山県の倉敷労働科学研究所(当時)が改良し,「安くて栄養価の高い食べ物」として売り出した。このころ,「労研饅頭」を扱う店が全国で数十あったという。
労研饅頭の話を伝え聞いたキリスト教系の松山夜学校(現・私立城南高校)の教師が「学校で製造と販売をすれば,夜学生の働き口になる」と考えた。時代は昭和恐慌の真っただ中。その責任者に選ばれたのが,数学を教えていた「たけうち」の先代,故竹内成一さんだった。
2代目の真さん(72)になった今も製造法は変わらない。小麦粉と砂糖,酵母菌が入った生地を発酵させ,種類によってあんを入れるなどした後,せいろで蒸しあげる。機械を使うのは生地を練る作業だけ。一つ一つふぞろいな形が手作りの暖かみを感じさせる。
もちっとした食感は,独自の酵母菌のおかげ。「菌は生地の中にあるだけ。腐らせたら,もう労饅は作れません」と,長男信司さん(41)。生地の一部を残し,材料を継ぎ足して翌日分の生地にする。戦時中,松山大空襲で店周辺が焼け野原になった時も,「夜学生の味を守りたい」と,熱心なクリスチャンだった成一さんたちが生地と工場を守り抜いた。
戦後,パン食の普及や洋菓子人気で各地の労研饅頭が姿を消す中,「たけうち」だけが変わらぬ味を守り続ける。竹内家に稼いで40年以上,労饅と歩んできた真さんの妻,郁恵さん(66)は59円のハンバーガーにも動じない。「明日のことまで思い悩むな。その日の苦労は,その日だけで十分,ですよ」。新約聖書の一節をひもといて穏やかに笑った。
蒸したての労饅をほおばった。口いっぱいに,慈愛に満ちた甘さが広がった。(平賀 拓哉)
(写真1:略)「朝7時から1日2千個を蒸し上げる工場は,湯気が立ちこめ冬でも暖かい」
(写真2:略)「松山の中心街,大街道商店街にある支店。松山っ子にはなじみの看板だ」