525井谷家住宅と四国最初のメーデー

文化審議会が「登録有形文化財(建造物)の登録について」を公表した(20日http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/yukeibunkazai_toroku_120420.pdf)。このなかに愛媛県北宇和郡鬼北町の井谷家住宅と明星草庵があった。明星草庵は「入母屋造茅葺で,軸部にケヤキなどの良材を使用する。山間部の民家形式を伝える小規模住宅」(登録の説明文)である。井谷家住宅は1893(明治26)年に建てられたもので今回の指定には主屋,蔵,石垣・土塀,南面石垣,給水用隧道が含まれている。(→http://www.ai-kihoku.jp/outer/kanko/rekishisiryoukan.html
「山裾に東西に長い敷地を構える。主屋は木造平屋建,切妻造桟瓦葺で,正面に切妻造の玄関を構える。平面は,玄関左右の前列に丁寧なつくりの客間や主人室,隠居部屋を並べ,後列に台所など内向きの部屋を配する。主屋の西端には,外壁に杉板を竪板張とした2階建の土蔵が接続する。敷地は2段に造成され,主屋前面に石垣を築いて土塀を建て,さらに前面に,3m近い高さの南面石垣を野面積みで積上げ,風格ある屋敷景観を創出する。また主屋背後には取水のための隧道が穿たれ,入口部分は切石積みで半円アーチ形に整えている。」(同上)
鬼北町教育委員会はちょうど『明星ヶ丘・井谷家にみる日吉の文化――平成23年鬼北町日吉井谷家住宅総合調査報告書――』を発刊したばかりのようだ(→http://h11020609kyonahara.i-yoblog.com/e498872.html)。
井谷家は,旧吉田藩領鍵山・日向谷村の庄屋をつとめた旧家である。1890(明治23)年市町村制実施によって日向谷村,鍵山村,父野川村,上大野村が合併して日吉村(現鬼北町日吉地区)が発足したとき,23歳で初代日吉村長となり,北宇和郡会議議長,県議会議員を努めたのが井谷正命である。
正命の息子・正吉は小作争議や部落解放運動を指導し,戦後は国会議員(社会党)を4期勤めたことがある(国会議員白書→http://kokkai.sugawarataku.net/giin/r00393.html)。井谷正吉については『風雪の碑 明星ヶ丘――井谷正吉伝――』や『ちんがらまんがら』があるが,評者は未見・未読である。正吉は四国で最初のメーデーを指導したことでも歴史に残っている。1922(大正11)年のことである。
評者は井谷家や井谷正吉のことは聞いて知っていた。正吉の孫娘二人――「明星ヶ丘」に因んだ名前だった――がたまたま評者のゼミだった縁からである。井谷家は現在一般公開に向けて準備を進めている(写真数葉あり→http://locoplace.jp/t000102934/)。