014大村泉・窪俊一・V.フォミチョフ・R.ヘッカー編集『ポートレートで読むマルクス――写真帖と告白帖にみるカール・マルクスとその家族――』

akamac2007-03-18

書誌情報:極東書店,618頁,2005年4月15日,全2巻,本体価格7,282円,12,000円(ISBN:4873940028),CD-ROM付き15,000円(ISBN:487394001X
初出:『図書新聞』第2731号, 2005年6月25日

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デジタル・マルクスの壮大なこころみ
140年前のマルクス一家が一望のもとに:日本・ロシア・ドイツの研究者による日独同時出版
「写真帖」はマルクスの次女ラウラのアルバムであり,結婚記念に友人から贈られた。「告白帖」は長女ジェニーのものである。両者ともに1960年にジェニーの孫から旧マルクスレーニン主義研究所に寄贈されたものであり,現在は「ロシア国立社会=政治史アルヒーフ」に所蔵されている。この事実と内容については,さまざまな出版物でそれぞれ一部紹介されてきたものである。伝承されているそのままの姿で再現されたのは文字どおり世界初である。
「写真帖」は螺鈿(らでん)と琥珀(こはく)のモザイク模様の表紙などの外観のほか,写真41枚をふくんでいる。このなかには,本書によってはじめて確定されたいくつかの事実がある。これまでマルクス家の家政婦ヘレーナ・デームートの写真(じつはエンゲルスの妻の姪メアリー・エレン・バーンズのもの),マルクスの妻イェニーの写真(じつは別人)などがそうである。1860年代半ばから1883年まで(ラウラ20歳前後から38歳までの時期)のマルクス一家をとりまく多数の写真は,ようやく焼き増しを可能とする写真技術の発展のたまものであった。また,マルクス本人,妻,娘,義弟,女婿,叔父,甥,友人などの写真には,写真家,写真館の名前や住所,追加注文をみこした登録番号も記入されており,社会史の一端を写しだしてもいる。
「告白帖」は1865年2月から72年10月までのもの(ジェニー21歳から28歳までの時期)で,当時流行した質問者の問いに答える一種の遊びであった。マルクス本人のものをふくめ65点とマルクス家を訪問した友人・知人たちの自筆原稿20点がその内容だ。外観についても再現されている。マルクスの母や姉妹,妻イェニーの兄弟,愛犬ウィスキー(ラウラの筆跡による質問票。「写真帖」にもウィスキーが登場している),ワーズワースゲーテからの抜粋,交流のあったハイネからの短い手紙二通もある。ジェニーを介したマルクスのさまざまな交流のほどがうかがわれる貴重な資料である。大部分がはじめての公表である。すべてについて再現され,解読され,詳細な解説がほどこされている。
本書に付されたエッセー,アルヒーフの概要,家系図も用意周到である。「写真帖」「告白帖」の再現にとどまっていない本書のオリジナリティーをあらわしている。
本書の出版は,いくつかの新しい挑戦をふくんでいる。まず,編者たちの研究の積み重ねによって貴重な歴史的資料がはじめて公刊されたこと。さきのヘレーナ・デームートの写真の一件は本書なくしてありえなかった。CD-ROMに収められたデームートの子供の父親にかかわる資料(出生証明書,マルクス説を補強するカウツキー書簡,調査記録のオリジナル画像と解読・解説)も,ありのままのマルクスを照射していよう。それでもなお,「写真帖」「告白帖」の人物や事項についてすべて解明されているわけではない。「カール・マルクスの遺産を客観的に,公正に,真に学術的に研究する」(アルヒーフ所長キリル・アンダーソン)出発点がようやく据えられたということができる。
つぎに指摘できる新しい挑戦とは,今後予定されている各種デジタル出版の嚆矢であること。編者のひとり大村は,国際マルクス・エンゲルス財団のもとで進行中の『マルクス・エンゲルス全集』(全113巻)のうちの2巻を編集する代表者でもある。本書はこの全集を拡充補完するものであり,アルヒーフ所蔵の100点をゆうにこえる『共産党宣言』各国語版,マルクス自筆書き込みのある『資本論』第1巻ドイツ語第2版と同フランス語版,さらには東北大学附属図書館蔵のマルクス手沢本『哲学の貧困』(試作は一部東北大学ホームページで公開中)などがデジタル版で刊行される。デジタル版は,原本にかぎりなく近い再現を可能にするとともに,ごくかぎられた「専門家」にしか触れえなかったというアカデミックおよびイデオロギー的障壁を一気にとり崩す。21世紀になって実現した壮大なこころみということができよう。
オリジナル画像とフレディ問題の解説と資料をおさめたCD-ROMには,いまひとつの「写真帖」がおさめられている。ラウラのフレームへの書き込みやテープで補修した箇所などもみることができる。CD-ROMならではの特徴を生かしたものといえる。ただ,CD-ROMのスタート時に全メニューが出現し,コンピュータ初心者にはとっつきにくいかもしれない。また,タイトルが「Degital Marx 2」となっている。ぜひとも改善をお願いしておきたい。
ドイツ語版:Izumi Omura u.a. (Hrsg.), Familie Marx privat: Die Foto- und Fragebogen-Alben von Marx' Töchtern Laura und Jenny, Akademie Verlag.

013早坂啓造著『「資本論」第II部の成立と新メガ――エンゲルス編集原稿(1884-1885年・未発表)を中心に――』

書誌情報:東北大学出版会,335頁,本体価格3,000円,2004年4月14日

初出:新日本出版社『経済』第107号,2004年8月1日

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現在国際マルクス・エンゲルス財団によって,『新MEGA』(『マルクス・エンゲルス全集』Marx-Engels-Gesamtausgabe, MEGA2【2は肩付き】)が編集・刊行されている。それらは四部からなり(第一部:『資本論』およびこれに直接関連する労作を除く著書・論説・草案,第二部:『資本論』および準備労作,第三部:書簡,第四部:抜粋・メモ・覚え書きなど),全114巻122冊のうち,これまでに47巻55冊が刊行された。
このうち,第二部はこれまでほとんど未公刊だった『資本論』の諸草稿類を含むことから計画当初から注目されてきた(全15巻24冊の予定)。また,日本人研究者が編集に関係することになり,大谷禎之介法政大学教授(とリュドミラ・ヴァーシナ「現代史諸文書保管・研究ロシアセンター」研究員)が『資本論』第II部の諸草稿を,著者を含む「仙台グループ」(代表:大村泉東北大学教授)が『資本論』第II部の「エンゲルス編集原稿」とその初版本を,それぞれ担当することになった。これらは,『新MEGA』第二部第11巻および第12巻*1・第13巻として刊行される(第四部についても複数巻担当する。詳しくは,大谷「日本における新メガの編集」本誌2003年5月号参照)。
よく知られているように,現行版『資本論』第II部と第III部は,マルクスの草稿をもとにエンゲルスによって編集され,マルクスの死(1883年)後それぞれ1885年と1894年に刊行された。エンゲルスは,「第二バイオリン」奏者としてマルクスの思想を忠実に後世に伝えるべく,マルクスの独特の「象形文字」で書かれた草稿を解読し,編集を成し遂げたとされている。「私のよる書き換えと書き入れは,全部で十印刷ページにも達しておらず,それも形式的な性質のものにすぎない」(エンゲルスの第II部への「序言」)と。
本書は,いずれ公刊されることになる『資本論』第II部の「エンゲルス編集原稿」の成立経緯,性格,2巻(第12巻・第13巻)として編集されることになった事情,編集作業の事実経過および「エンゲルス編集原稿」にかかわる問題点を整理し,『新MEGA』編集者のひとりとして編集過程で得られたいくつかの新しい発見を論じている。徹底した「文献学的・書誌学的な見地」(まえがき)から「人類的遺産継承事業」(あとがき)の委細が見事に描かれ,「編集者の立場と一個人研究者との立場との,ぎりぎりの境界線に立っ」(同)た,『新MEGA』編集の現場からの緊張感が伝わってくる。
現行『資本論』第II部は,マルクスの8つの主要草稿(とりわけ第2のものと第8のもの)をもとにした「エンゲルス編集原稿」によっている。しかし,この「エンゲルス編集原稿」はたんなる「編集原稿」ではなかった。まず,外観はこうだ。「ボーゲン紙半裁(200ミリメートル×254ミリメートル)大の用紙792枚が,大部分はアイゼンガルテンによって書き写されたテクスト本文と,エンゲルスによって書き込まれた大小規模の変更――抹消・訂正・挿入・翻訳・編集上の指示など――で満たされている,手書きの草稿」(24ページ)。さらに興味深いことに,全体にわたって二種類のページ付けがあり,編集原稿作成過程の試行錯誤や具体的進行状況とともにいままで見えてこなかったエンゲルスとアイゼンガルテンとの共同作業の痕跡がある。アイゼンガルテンによる「口述筆記」だけでなく,彼による「単独筆写」もある。マルクス諸草稿とはかなりの異同があるほか,エンゲルスによるマルクスの述語の変更もある。
このように著者の検証によってはじめて明らかになったことはすくなくない。なかでも,アイゼンガルテンは「エンゲルス編集原稿」に想像以上に関与した。著者は,彼が編集に関わった様子をつまびらかにし,かつ独立の章で生涯と業績を扱った。本書の第一の貢献といっていいだろう。
エンゲルス編集原稿」は,マルクス諸草稿のどの箇所から採用されたのか,またそれら草稿とどのように異なるのかが具体的事例によって示されており,これらは,それぞれ「採用箇所一覧」と「乖離一覧」として『新MEGA』に収録される予定である。『新MEGA』には各巻共通で「異文一覧」が作成され,公刊されているが,マルクス諸草稿と「エンゲルス編集原稿」とのテクスト上の異同一切がわかるという新しい試みが披瀝されている(本書巻末の数葉の「付表」に成果の一部が反映されている)。本書の第二の貢献である。
著者は,「エンゲルス編集原稿」を対象にすることによって得た知見をすべて明らかにするとともに,それでもなお残る問題点とを切り分けた。編集に先立っておこなわれた諸草稿への標題づけや書き込みの詳細,アイゼンガルテンの貢献度の最終確定,「エンゲルス編集原稿」と最終印刷用原稿との関係,エンゲルスによる標題変更の是非などがそれである。「比較検討のための基礎資料」(280ページ)の確定は本書の第三の貢献である。このことは,『新MEGA』が「もはやそこにはいかなるタブーも存在しない」(同)国際的な編集事業としての性格を持っていることをも同時に示していよう。
著者は「エンゲルス編集原稿」成立と内容の詳細とを詳細に論じ,同時にそれが『新MEGA』に収録されることになった編集史とを縦横に絡めながら本書を構成している。本書にはタイトルが示す『資本論』第II部の成立という特殊研究にとどまらず,『新MEGA』編纂史に共通する「基礎資料」の提示の仕方にかかわる普遍性をももっている。「エンゲルス編集原稿」はいまのところ未公表である。だが,『新MEGA』第12巻・第13巻として刊行され,全貌が公表された後においても本書の「文献学的・書誌学的」功績は研究史上に確実に刻まれるであろう。
著者は,1998年(著者66歳)から「仙台グループ」に参加し,『新MEGA』編集に携わってきた。本書の基礎になった論文をもとに学位を取得したのは2002年(著者70歳)である。
本書は『新MEGA』編集にかかわる国際的な共同研究の成果であるとともに,円熟した著者の卓見が随所にちりばめられている。共同研究なくして本書はなかったし,本書に結実する著者の研究なくして共同研究はなかったと推測される。用意周到な人名および事項索引も著者ならではのものだ。現時点でのマルクス学の一到達点として熟読に値する一書である。

*1:2005年に刊行された。Marx-Engels-Gesamtausgabe, II/12, IX+1329 S, Akademie Verlag, Berlin 2005. ISBN:9783050041384.なお,国際マルクス・エンゲルス財団 Internationale Marx-Engels-Stiftung (IMES) のホームページでこの巻の内容と紹介を読むことができる。pdfファイル・358Kb。ちなみに,編集および協力者は以下である。Bearbeitet von Izumi Omura(大村泉=東北大学), Keizo Hayasaka(早坂啓造=元岩手大学), Rolf Hecker, Akira Miyakawa(宮川彰=首都大学東京), Sadao Ohno(大野節夫同志社大学), Shinya Shibata(柴田信也=元東北大学) und Ryojiro Yatuyanagi(八柳良次郎=静岡大学)/ Unter Mitwirkung von Ljudmila Vasina, Kenji Itihara(市原健志=元中央大学) und Kenji Mori(守健二=東北大学

012渡辺雅男著『階級!――社会認識の概念装置――』

書誌情報:彩流社,286+24頁,本体価格3,000円,2004年1月15日

階級!―社会認識の概念装置

階級!―社会認識の概念装置

初出:新日本出版社『経済』第104号,2004年5月1日

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本書『階級!』は,階級概念の復権をめざしてそれと格闘した社会科学の知的営為の成果である。三谷幸喜の『新選組!』を思わせるように,タイトルこそいくぶん奇をてらってはいても,その内容には階級概念と誠実に向かいあった著者のほぼ十年の探求と階級概念をないがしろにした諸説への批判とが凝縮されている。「!」は「どっこい生きている」(12頁)という著者のメッセージだろう。
「序章 階級論の復位」では,階級概念をタブー視してきたとして,特殊日本的ともいえる社会科学への批判を,階級関係の制度化という視点で提示する。本章は二つの論点をふくんでいる。ひとつは,日本ではなぜ階級が問題にされてこなかったのか,であり,いまひとつは,「剥き出し」と「制度化」の理解,である。
まず,最初の点については,著者によれば,「第二部」で再構成したマルクスヴェーバーの階級論がそれぞれ皮相的にしか理解されてこなかったこと,もしくは誤解されてきたことによる(「第二部」が配されているのはこれによる)。身分的解釈(階級と身分との同一視),経済一元論的理解(近代的階級と経済的階級との同一視),一枚岩的理解(階級内の階層性を無視),独善的理解(階級の相対性と絶対性との同一視),そして宿命論的解釈(歴史的文脈を無視)と,著者によってまとめられた階級概念の誤解は,「事実上マルクスへの誤解と表裏一体の関係」(49頁)なのである。くわえて,もともと階級概念を発展させるべき「正統派マルクス主義者」が階級消滅論や階級撲滅論に対抗しえなかった以上に,学問的な世界から階級概念を放逐しようと躍起になってきた「講壇社会学の研究者たち」の責をするどく指摘する。著者による「階級論の復位」は,階級という「概念装置」(内田義彦)を組み立てることができない社会(科)学者への批判であるだろうし,「正統派マルクス主義者」への叱咤激励でもあるだろう。
著者の階級分析は,ふたつめの論点である「制度化」を特徴とする。著者は階級関係の制度化を,家族,市場,政治,教育の四つの柱にみる。家族は福祉国家とのかかわりにおいて,市場は資本市場と労働市場の組織化とのかかわりで,政治は民主主義的代議制度とのかかわりにおいて,そして,教育は社会権の実質的内容とのかかわりで分析される。もし,この制度が機能しないとすればどうなるか。著者の「制度化」論は未来社会への見通しと交差する。
「第一部 現代日本における階級の発見」においては,階級の現実の姿を再発見し,階級否定論を批判する三章が配される。「第一章 労働者階級の発見」では,現代の労働者階級を社会的格差(賃金・所得・資産・教育・生活意識)と現状(労働過程・労働市場・生活構造・社会移動)から概観する。「第二章 資本家階級の発見」では,資本家階級を経営資本家階級と確認し,経済的・政治的・社会的ネットワークの網の目を階級の特徴として析出する。同時に,「剥き出しの階級社会」(162頁)と異なる普遍的シティズンシップの実現による階級関係の制度化が強調される。「第三章 中間階級の発見」では,独立自営層にその典型をもとめ,経済的・政治的実態を明らかにするとともに集団としての階級的特質をまとめている。
労働者階級の析出にあたっては,格差(賃金・所得・資産・教育・生活意識)と現状(労働過程・労働市場・生活構造・社会移動)の両面から,現代の階級としての労働者の実態を描く。
資本家階級については,まず資本家を「人格化された資本」,資本家階級を「資本の人格化を受けて振る舞う社会的人口部分」と概念規定したうえで,株式会社制度と経営資本家を現代の資本家階級とする。さらに,役員と従業員とのあいだに横たわる「法的に表現された階級的分断線」を,集団とネットワーク(学歴,血縁,経済的,政治的および社会的)の強靱さをそれぞれ確認する。著者が現代の資本家階級の発見にあたって強調するのは,ここでも「制度化」である。「普遍的なシティズンシップの実現のために階級関係が制度化」(162頁),「平等と不平等を二重原理として内包する」現代社会(163頁),「市民社会と階級社会の二重構造」(同)などとする理解がそれである。「制度への参加が表面的にはすべての人に平等,公平,自由に開かれているとしても,その結果として制度が生み出すのは,階級的不平等と階級支配と階級関係の再生産である」(164頁)。
中間階級については,経済的実態を自己雇用,独立自営,家業および生業とし,政治的実態を個人,職業集団および地域集団からとらえる。これは同時にひところ喧伝された「新中間階級」論や「新中間層」論の誤りをも衝く議論に重なる。
「第二部 階級論の古典的伝統」においては,階級論の源流をマルクス(「第四章 マルクスにおける階級の概念」)とヴェーバー(「第五章 ヴェーバーにおける階級の概念」)にもとめ,両者の階級論の全体像を再構成している。著者は,マルクスの階級概念の検討から「階級関係の制度化の背後に所有の制度化」(282頁)を,ヴェーバーの階級概念の検討から「合法的支配関係の制度化の背後に権力支配の制度化」(同)をそれぞれみることで,現代社会における諸階級の発見につらなる「所有と支配の制度化によって引き起こされた階級社会の制度化」(同)を引き出す。階級概念の古典にたちかえった著者は,「序章」と「第一部」における「即自的階級」(同)の描写とともに,ここ「第二部」では「対自的階級」(同)を暴露する。
本書における「階級関係の制度化」論は,「階級概念の復位」と「発見」から古典の再読まで一貫している。グローバリゼーションが声高にさけばれるなか,だからこそ階級論が必要だとする著者のあまたの既成の階級論にたいする批判と自説の展開とは,高く評価されていい。バブル崩壊後の長期にわたる不況を背景にしたいくつかの「不平等」論や「格差」論と本書との最大の違いは,本書の言葉を借りれば,「以前は平等だったが,最近になって不平等化した」(36頁)のではけっしてなく,「今も昔も,等しく不平等である」(同)。階級が厳然と存在すると主張することは,「安易な解放の物語」(24頁)を紡ぐことでも,階級支配の「鉄の檻」(同)に安住することをも意味しない。社会科学の醍醐味と知的興奮を与えてくれる好著である。
【末尾に。いくつかの表(表2-4,2-8,2-11,3-1)の数字桁が不揃いのためきわめて見にくい。また,いくつかの表記上のミスがある。体裁上の改善として指摘しておく。:初出時この部分は割愛された。2007年3月13日補注。】

011佐野眞一著『だれが「本」を殺すのか』

書誌情報:プレジデント社,461頁,2001年2月15日,本体価格1,800円

だれが「本」を殺すのか

だれが「本」を殺すのか

初出:メディアと経済思想史研究会『メディアと経済思想史』第4号,2003年5月31 日

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本とは,不急,時間消費型の商品(著者は遅効性のメディアと言っている)にほかならないのに,本の作り手も,扱い手も,読み手も速さをもとめている。川上から川下までいたるところで現在進行している本の世界の殺人事件は,この「時間の乖離現象」による。
「1千枚に刻み込んだ渾身のノンフィクション!」(本の帯の惹句)は嘘ではない。著者のメッセージだろう,「本を殺してはいけない」とする危機意識は全編から感じ取ることができる。本にかかわる領域をくまなく渉猟し,書店,流通,版元,地方出版,編集者,図書館,書評,電子出版をそれぞれ各章に配置し,劣化した読者と出版社・編集者の「負の連鎖」を言う。さらに,この「負の連鎖」は再販制と委託制によって保護されているとする。紙と活字とからなる本の現状をグーテンベルク以来の危機ととらえ,消費者のニーズに応えきれていない再販制と委託制の問題を抉る。また,その消費者である読者の性急な要求こそ本を殺すことになっているとも言う。本の世界で生起するできごとをノンフィクションとして,「2001 年『書物』の旅」(プロローグ)として描いたのがこの本だ。本の世界を事件ルポルタージュとして描く著者の力作は多くのことを考えさせてくれる。
 書店:売れそうな本だけを並べた「金太郎飴書店」があまりに多い。
 流通:再販制と委託返品制に保護されて制度疲労が著しい。
 版元:読者が読みたい本を提供できていない。特に大手出版社には時代錯誤と奇形性がみられる。
 地方出版:したたかな戦略としなやかな感性で出版する姿勢がある。
 編集者:発掘を意味する情報マイニング能力を持った編集者しか生き残れない。
 図書館:近代市民育成の場と信じてやまない図書館関係者が多い。利用者至上主義からも脱却しえていない。
 書評:かつての権威をもった書評紙の反動か,批評精神を放棄した書評,知的遊戯の対象になっている。
 電子出版:本の世界に歴史的大変革が起きている。ただし,電子本独自のコンテンツがなにかははっきりしていない。
著者は,取材を通じてえた問題あるいは展望の所在を一言であらわせば以上のように理解しているようだ(地方出版と電子出版は,辛口の論評を基調とする本書の中では全体として肯定的評価が与えられている)。もっとも,それぞれに肉付けされ,多くのエピソードをちりばめて叙述された各項は,じつは一言で表現できない内容と問題とをもっている。本の世界を「串刺し」(本書でのことば)することで,それぞれにはらむ問題を指摘し,本を殺す真犯人を絞り込んでいこうとしているからだ。各項が怪しい。しかし,それぞれに決定的証拠がない。かくて真犯人はだれか。
本書にはすでに多くの言及があり,著者もみずから「本を殺したA級戦犯は読者だ」(bk1 http://www.bk1.co.jp/ の「人文・社会・ノンフィクション」の「インタビュー」),「バカ本としかいいようのないベストセラー本しか読まない読者,僕流に言えば劣化した読者が,結局,本を殺しているのではないか」(『編集会議』2001年5月号でのインタビュー)と犯人を特定している。しかし,著者の本意は,誰が殺したのかを問題としたのではなく,そうしたセンセーショナルなタイトルのもとで,本を殺してはいけないとするメッセージを発したかったのだろうと思う。本との対話なしに人間精神を高めるメディアはないとした信念は,本書のいたるところで吐露されているからである。
本書で取り上げられた項目はいずれも本の川上から川下までの不可欠なシステムだ。テキストを産み出す作者と最終消費者である読者は,著者の描く事件ではどのような役割を演じることになるのか? 作者の「劣化」は問題にすらならないのであろうか? すくなくとも真犯人と名指しされた読者は,たんに「劣化」したとされるばかりで,なぜ犯人なのかは追求されないままである。
本書に先立つ著者の作品は取材と資料読解を両輪として成り立っている。本書は取材(インタビュー)を中心にまとめながらも,本書に登場する人名,事項などは数多い。索引は本書巻末にはなく,発行元のホームページからダウンロードするしかない(http://www.president.co.jp/book/1716-2.html)。「このインデックスには,本が文化の文脈から流通と消費の文脈にひきずり出されてしまった,現在の出版状況のアマルガム」(前掲『宣伝会議』)があると著者は言うが,巻末に配するのと違いはない。ダウンロードした読者はそれをモニターあるいは自前のプリンタで印刷して読むしかないからである。それでも意味をくみとれば,電子出版を最終章におき,本の世界で進行する殺人事件を解決する糸口にみているようにも読めることと無関係ではないのかもしれない。

だれが「本」を殺すのか 延長戦

だれが「本」を殺すのか 延長戦

だれが「本」を殺すのか〈上〉 (新潮文庫)

だれが「本」を殺すのか〈上〉 (新潮文庫)

だれが「本」を殺すのか〈下〉 (新潮文庫)

だれが「本」を殺すのか〈下〉 (新潮文庫)

010重田澄男著『資本主義を見つけたのは誰か』

akamac2007-03-08

書誌情報:桜井書店,308頁,本体価格3,500円,2002年4月5日,asin:4921190151
初出:経済理論学会第50 回大会(岐阜経済大学)第9 分科会:書評分科会報告,2002年10月19日

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はじめに

「ヨーロッパ諸国における膨大な文献(著書,論文,新聞・雑誌記事,パンフレット等々)において,誰が『資本主義』という言葉を初めて使ったかについて確定することはきわめて困難であるにしても,書物として公刊された叙述にかぎってみても,『資本主義』という用語が初めて使用された文献と著者についての見解はいまだ確定していない,といえるようである」(「序章」21ページ。ボールド体:赤間

「(前略)『資本主義』を最初に見つけたのはマルクスである(後略)」・「(前略)用語としての『資本主義』という言葉そのものの発見者は,マルクスではない。『資本主義』という言葉そのものの最初の発見者は,現在までの点検のかぎりでは,ピエール・ルルということになる」(「第7章」153〜4ページ。ボールド体:赤間

「『社会主義』(socialisme)という用語もまた,ルルーが創始者」(「第1章」33ページ)

マルクス生存中に公刊した著書・論文において「資本主義 Kapitalismus 」という言葉が存在しないことはよく知られている。未定稿の原稿とノート類すべてをとおしても3カ所にすぎない。これにしても原稿解読によるものであって,そのうちふたつはマルクスのオリジナル原稿においては,それぞれ “d.Capit.” “d.Cpitlsms” とでも読めるものでしかなく,また,現行『資本論』第2巻中(周知のようにもとは草稿)で唯一「資本主義 Kapitalismus 」が使われているだけである。書簡類ではシェフレ (Albert Eberhard Friedrich Schäffle, 1831-1903) の書名『資本主義と社会主義』を指す箇所で使用しているだけである。
本書は,『資本主義の発見――市民社会と初期マルクス――』(御茶の水書房,1983年;改訂版:1992年,asin:4275013778),『資本主義とは何か』(青木書店,1998年,ISBN:4250980413)につづく「資本主義」三部作をなす。最初の著作では「資本主義」の淵源を探求し,「市民社会 bürgerliche Gesellschaft 」→「市民的生産様式 bürgerliche Produktionsweise 」→「資本家的生産様式 kapitalistische Produkionsweise 」として確定される経緯を解明した。同時に,著者の経済学方法論と交錯する市民社会論および宇野理論の批判を企図したものでもあった。第二作では,混迷する資本主義論の原因のひとつは,「資本主義」用語=眼前の資本主義理解に関係することを示し,視野を現代まで広げた。第三作である本書は,「“資本主義の発見”のマルクス版にたいするインターナショナル版」(「あとがき」)であり,前二作でも確認されてきたマルクスによる「資本主義」概念の発見を中間に(第2部第6章・第7 章),マルクス以前(マルクスとは直接には没交渉)とマルクス以後(同時代人を含む,著作等を通じてマルクスと関係)とをそれぞれ第1部第1 章〜第5 章,第3部第8章〜第10章に配したものである。

本書の内容
第1部「「資本主義」語のはじまり」においては,フランスの初期社会主義者ピエール・ルルー (Pierre Leroux, 1797-1871),ルイ・ブラン (Jean Joseph Charles Louis Blanc, 1811-82) ,イギリスの小説家サッカレー (William Makepeace Thackeray, 1811-63)およびフランスの社会運動実戦家ブランキ Louis Auguste Blanqui, 1805-81)をとりあげている。彼らがマルクスにさきだって「資本主義」という言葉を使っていることを考証すると同時に,「資本主義」が「資本家」(ルルー),「資本の排他的占有」(ルイ・ブラン),ブルジョア的気分」サッカレー)および「資本」「資本家」(ブランキ)を意味しているにすぎないとした。ここに,マルクスが「資本主義」に含意した社会体制や経済システムとは異なることを示すことによってマルクス登場の意義を確定できることになる。(「資本主義」を最初に見つけたのはマルクスであり,用語としての「資本主義」という言葉そのものの最初の発見者はマルクスではなくルルーである,とするのは,まさしく著者による「発見」である。)
第3部「「資本主義」用語の継承と変容」においては,前記シェフレ,ホブソン (John Atkinson Hobson, 1858-1940)およびゾンバルト (Werner Sombart, 1863-1941)をとりあげ,マルクスから「資本主義」概念を「継承」しながら,「社会的な結合形態」(シェフレ),「機械制産業」(ホブソン)および「資本家的精神」をもった「資本家的企業」ゾンバルト)として「変容」していることを指摘している。

本書の評価
このように,本書は渉猟範囲をさらに広げることによって「資本主義」概念の社会思想史的密度を格段に濃くした。「資本主義」なる言葉が現実の歴史の歩みとは逆に「社会主義」なる言葉のあとに生まれたこと(第1章),「資本主義」概念と用語についてマルクス以前と以後とでどのように異なるのか(本書全編)が明確に示されたことは,本書のなによりの貢献である。著者の「資本主義」第一作にたいし,<マルクスにおける資本主義発見」の著者による再発見の書>(服部文男)という評がなされたことがある。本書によって著者は「再発見」を補強し,「マルクスにおける資本主義発見」をほぼ確定しえたといっていい。
問題は,「資本主義」の発見・再発見によって見逃された問題はなかったのかであるだろう。「資本主義」概念を深めるとは,マルクス的理解の「再発見」にとどまることではなく,削ぎ落とされたかもしれない論点の再発掘をともなうものでしかありえないのではないだろうか。この視点から本書で叙述された内容についていくつかの論点を提示する。

いくつかの論点
第一に,「社会主義」用語について。「第1 章」でルルーを検討したさい,「社会主義」が「資本主義」に先行したこと,社会主義思想の普及とともに「資本主義」が確定したことを述べている(33〜36 ページ)。しかも,もともとの使用は,「個人主義」に対立するものとしてであって,オーウェンやサン・シモンによって現在使われているような意味をもたされたのは,「1830年代の半ば過ぎ」(34ページ)とした。「資本主義」の発見が本書のライトモチーフではあるが,「社会主義」もマルクス未来社会の展望と切り離せないはずである。マルクスの「社会主義」の発見と「資本主義」の発見とはいかなる関係にあるのだろうか。「『社会主義』という用語のはじまりについては,さらなる探索が必要であるのかもしれない」(36ページ)とするだけではすまない論点が含まれているように思われるからである。のちに,「資本主義 Kapitalismus」が「社会主義 Sozialismus」と対比的に使用されることになるとする指摘があるだけに(とくに「第8章」),なおさらそう指摘せざるをえない。
第二に,マルクスの「資本主義」認識について。最終ページに再掲した「図3」(ここでは省略)が本書「第2部 『資本主義』語なきマルクス」の要点である。「マルクスには『資本主義』という用語と概念は基本的には存在しておらず,マルクスにおいては資本主義範疇は『資本家的生産様式』という表現用語」(112〜3ページ。ボールド体:赤間)と。図の二重波線以降において明確に「『資本主義』範疇の確定」を主張し,「『資本主義』を最初にみつけたのはマルクス」(既引用)と「資本主義発見のプライオリティ」(150ページ)を強調している。その根拠を,「アンネンコフ宛の手紙」(1846年)および『哲学の貧困』(1847年)にもとめた。ここには,ヘーゲル市民社会論とは異なる,『ドイツ・イデオロギー』における「唯物史観の確立」を画期とした「『資本主義』範疇」の発見を重視する著者の発見がある。さらに,「『市民的生産様式』という用語は,資本主義範疇の表現用語としては過渡的性格をもたざるをえず,『資本家的生産様式』という用語表現を確定した後期マルクスにあっては“廃語”として消滅の道をたどる」(151ページ)。「資本主義」ではなく「資本家的生産様式」用語で資本主義を認識したとするなら,「あくまで『資本主義』という用語は拒否すべきものであって,『資本家的生産様式』という用語に固執すべきである,と考えてはいない」(283 ページ)とはならず,むしろ「固執」することによってこそ,著者の主張が一貫する。
第三に,「資本主義」用語の確定の意味について。さきに,評者は「社会思想史的密度」と表現することで本書を評価した。「ユニークな経済理論史」(帯)とも言い換えることができよう。そのうえで,19世紀半ばの時期にマルクスがおこなった理論的・実践的作業を,「21 世紀の現時点において新しく構築しなおすこと」(284ページ)を主張される。しかし,「資本主義」の発生,受容,展開を辿った本書のプロセスからは,それを見いだすことはかなり難しい。「資本主義」用語の確定は,われわれをどこに導くのであろうか。
妄言多謝。

009田中秀臣著『沈黙と抵抗――ある知識人の生涯,評伝・住谷悦治――』

書誌情報:藤原書店,292頁,本体価格2,800円,2001年11月30日

沈黙と抵抗―ある知識人の生涯、評伝・住谷悦治

沈黙と抵抗―ある知識人の生涯、評伝・住谷悦治

初出:メールマガジン『日本国の研究 不安との訣別/再生のカルテ』,2002年3月22日発行,第150号【バックナンバー

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「公的なアウトサイダー」として――あるマルクス経済学者の戦前と戦後
住谷悦治(1895‐1987)は,マルクス経済学者として日本経済学史分野を開拓し,1963年から75年まで同志社総長を三期つとめた。彼の活動は,戦前・戦後を通じて「反体制的でなおかつ『大衆』に訴える社会参加型のジャーナリズム」(「はじめに」)だったゆえに,「沈黙と抵抗」を余儀なくされた。著者は彼の生涯を「近現代のいわゆる左翼的知識人の最良の経済・社会ジャーナリズム活動」(同上)と評価しつつ,「公的なアウトサイダー」(本書によるが,もとは若き修行時代に薫陶をうけた吉野作造の言葉)として描いた。本書は,「日本の経済学とジャーナリズム」をテーマにした著者の野心作であり,住谷をつうじて「今日求められる社会科学者の『使命』あるいは『志』」(田中「沈黙と抵抗――住谷悦治の志」,藤原書店『機』No.120,2001年11月,16ページ)を追究したものである。ちなみに,本書のタイトルである「沈黙と抵抗」は,住谷が敬愛してやまなかった叔父天来の詩魂と通じているという(住谷の息子にあたる住谷一彦「父の『評伝』に思う」,上毛新聞社『上州風』第9号,2001年12月31日,参照)。
評者の問題意識にしたがうと本書の「経済学とジャーナリズム」はつぎのようになるだろう。まず,住谷の誕生から多感な青年期までを「『大正』というロマン主義の横溢」(15ページ)という時代背景とともに浮き彫りにする(「第1章 ロマンティックな青年」および「第2章 『大正デモクラシー』の申し子として」)。住谷のジャーナリズムについては,同志社に職を得た時代(1922年)から,『現代新聞批判』を通じてのジャーナリズム修行時代を経て(1933年〜41年),戦後直後の『夕刊京都』創刊と論説部長・社長時代まで,ほぼ時代を追って描写されている(「第3章 同志社時代と社会への眼」,「第4章 『現代新聞批判』とジャーナリズム修行」および「第9章 『夕刊京都』と戦後民主主義」)。また,経済学研究にかんしては,同志社をパージされたあとの松山高等商業学校(現松山大学)時代および河上肇との出会いからはじまる日本経済学史研究を中心に論じられている(「第7章 松山時代」および「終章 日本の経済学を求めて」)。本書の要所には,住谷の思想形成や社会的活動にかかわるいくつかのエピソードが綴られ,評伝としての演出に成功している(「第5章 滞欧の日々」,「第6章 『土曜日』の周辺で」,「第8章 叔父住谷天来の死」および「第10章 戦後の住谷悦治」)。
こうしてみると,本書の力点は,住谷の「経済学とジャーナリズム」のうち後者にある。住谷の戦前から戦後におけるジャーナリストとしての描出が主軸であり,経済学者としてのそれは――同様に戦前から戦後にまで追跡しているが――やや二次的といっていい。著者は,戦後直後発刊されほどなく休刊した『夕刊京都』の発掘にしめされるように,群馬県立図書館「住谷文庫」を調査し,ジャーナリスト=住谷の「反体制的で」かつ「社会参加型のジャーナリズム」を鮮明にしえた。没後14年,はじめて描きだされた住谷の評伝として読みごたえがあり,住谷にとっては最良の書き手をえたといえる。「田中さんの本で私(住谷一彦:引用者注)が一番教えられたのは,(中略)ジャーナリズムの世界で活躍していた頃の評論である」(住谷一彦、前掲書)との評は,本書へのなによりの誉め言葉であろう。
他方,経済学者としての住谷はどうだろうか。社会政策論,統制経済論,リスト研究,三瀬諸淵研究そして植民地論という戦時体制に迎合するかのようなテーマが松山時代。日本経済学史研究を「自由主義経済学はラーネッド,歴史学派は金井延,マルクス主義河上肇」(243ページ)と総括した終章。このふたつで,著者は,住谷の経済学をまとめ,マルクス主義者とキリスト者としての両立として,「社会科学的真理と宗教的真理の統一」として描いた。著者は,住谷の経済学研究のなかで,主要な業績を明治以降昭和初期までの日本経済学史を俯瞰した日本経済学史の分析にあるとした。住谷の経済学研究がこれだけの密度で概観できるのも本書の特色である。(三瀬は周三とも称した愛媛出身の医師で,シーボルトの通詞として活躍した。徳川慶喜大政奉還を進言し,明治維新後は病院・医学校の設立や各種の法律制定に手腕を発揮した。)
住谷がジャーナリストとして,経済学者としての活躍しえた源泉は,著者によってみごとにあきらかにされた。住谷の「沈黙と抵抗」が戦前・戦中という特殊な事情を背景としながらも,住谷の視線の先にはつねに「社会改良へのユートピア的憧憬」(247ページ)があった。そうであればこそ,住谷の吸収した思想と歴史のみならず,住谷が及ぼした影響,何を後生に残したのかがあらためて問われる。本書はいかにも住谷で完結してしまっている印象が強い。
また,ジャーナリズム分析に著者の視点がおかれたこともあってか,住谷の経済学研究が彼の専門領域だったにもかかわらず,いささかコンパクトにまとめられすぎた感がある。住谷の経済学とジャーナリズムとが相互にどのような応答関係にあったか。著者による住谷を対象にした「日本の経済学とジャーナリズム」分析はすくなくとも複線的とはいいがたい。著者によっても解明しつくされていない課題といえるのではないかと思う。
「住谷(とその同世代)にとって不幸だったことは,彼らの先行する世代(吉野,河上ら)と戦後論壇の若い世代(大塚久雄丸山眞男ら)の狭間で埋没してしまったこと」(247ページ)。門奈直樹は,住谷が思想・生き方などにわたって影響をうけた叔父天来をこうまとめたことがある。「個人キリスト者住谷天来の抵抗と挫折は,(中略)日本近代の歴史にあって,いかに強い意志をもって生きてきた人が少なかったか,その意志をとおしきった人が少なかったかのあらわれ」(『民衆ジャーナリズムの歴史――自由民権から占領下沖縄まで――』講談社学術文庫,2001年11月,318〜9ページ,asin:4061595202)と。住谷は,キリスト者としてマルクス経済学者として叔父天来とおなじように「その意志をとおしきった人」――「埋没してしまった」が――として再評価されていい。
住谷に連続し,住谷以上に戦後思想と社会科学に影響をおよぼした大塚久雄丸山眞男そして内田義彦などにすら,関心をもたれない状況があるという(杉山光信『戦後日本の<市民社会>』みすず書房,2001年6月,参照,asin:4622036746)。著者は,いわば谷間に位置する住谷を対象にすることで,ひろく日本における社会科学の峰に挑戦する意味を問うたことになろう。ここには住谷評伝にとどまらない問題圏の広がりを感じさせる可能性がある。著者の労を多としたい。

008竹内洋著『大学という病――東大紛擾と教授群像――』

akamac2007-03-05

書誌情報:中央公論新社(中公叢書),294頁,本体価格1,800円,2001年10月10日

大学という病―東大紛擾と教授群像 (中公叢書)

大学という病―東大紛擾と教授群像 (中公叢書)

初出:メールマガジン『日本国の研究 不安との訣別/再生のカルテ』,2002年2月1日発行,第130号

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大学問題の昔と今――大学の病とはなにか?
近代日本史や大学史においてよく取り上げられる「騒擾」として,昭和初期の東京帝国大学経済学部を舞台とした大森義太郎辞職事件や河合栄治郎の著書発禁処分・辞職(いわゆる「平賀粛学」)がある。暗い時代における象徴的事件として,軍国主義がはびこった時代における大学自治と学問の自由にたいする抑圧の受難として,それはたしかに座視しえない事件である。著者は,これを「近代日本の大学史研究の中では必ずふれられる定番のテーマ」・「大学版忠臣蔵」(「あとがき」)とよび,たんに受難=復帰・復権の歴史としてではなく,あくまでこれらをケース・ヒストリーとして60年代末から70年代はじめにかけての大学「闘争」まで時間軸を延長することによって,大学病の源泉を見てとろうとしている。また,ひとりの受難者であった大森義太郎を主人公に据えることによって,同様に大学の存在意義をあらためて問おうとしている。
副題「東大紛擾と教授群像」に示されるように,登場人物と当時の世相を縦横に交錯させ描写することによって大学史の歴史的検証として評価できる(「1 昭和3年四月十七日、安田講堂」,「3 俸給と稿料」)。また,「紛擾」の複雑な人間模様と帝大内部・(当時の)文部省のかかわりを資料と証言から分析している個所は客観的である(「6 河合栄治郎学部長の光と影」,「7 河合の孤立と大森の困窮」,「8 帝大粛正のミステリー」)。しかし,これらは本書を貫く太い糸ではあっても,あくまで舞台でしかない。本書の視線は,病巣の発見に向けられる。
大学の「宿痾(しゅくあ)」あるいは「病」とはなんであろうか。そしてそれにたいしていかなる治療があるのだろうか。
著者の問題意識ははっきりしているし,病巣を発見する目は確かである。いま大学改革論議が盛んだが,すでに昭和初期に大学不信や大学解体論として展開されており,目新しいことではない。そしていまにみる大学の諸問題は,大学の病理としてすでに内包されていた,と。本書でエピソードとしてふれられている「一ノート(で)二〇年」つまり二〇年間もまったく同じノートで講義をする東京帝国大学教授,大学外の仕事で多忙なためおびただしい休講(休講率73パーセントの教授もいた!)(これらは「2 黄色いノートと退屈な授業」に詳しい),あるいは『中央公論』や『改造』を代表とする総合雑誌を媒介にしたジャーナリズムの浸透とそれらに寄稿することによる「講壇ジャーナリスト」の誕生(「4 消費される大学教授),人間関係の濃淡によって形成されるクリークからはじまる多数派と少数派,左翼と右翼にいたる派閥(「5 繁殖する派閥菌」)などがそれである。そしてこれらについて一般的に,著者によって大学神話とその解体としてまとめることで説明されている。大学神話とは「大学が社会にとって不可欠で重要な機能をはたす制度であるといる信頼性」(256ページ)であり,その神話をくつがえす契機があった。ひとつは,国家主義の台頭,ふたつに,ジャーナリズムというメディアの登場,みっつに,アカデミック・ゴシップの氾濫,である。
著者の大学病にたいする処方箋はどうか。社会学ピエール・ブルデューの分析装置をちりばめながら論じているが,それは実質上,死亡宣告がすでになされたという主張であり,そこから読者が適切な治療を望むことはできない。すでに本書が問題としている昭和初期の段階で大学は危機をはらんでいたにもかかわらず,おりからの戦時体制によって強制的に外部から死亡宣告をうけた。大学が自省することなく,かえって戦後にいたってふたたび大学神話を輝かせた。しかし,全共闘運動によって最後通牒が突きつけられ,そのとき大学神話は息の根をとめられた。したがって,大学の再生や知の回復などということはありえない。待っているのは「陰鬱なニヒリズム」(271ページ)しかない。著者のべつな言葉を借りれば,「大学改革の中に大学という病」(272ページ)がしのびこんでいるというわけである。
はたして本書は「大学問題を考えるケース・ストーリー」になりえるのだろうか。「大学改革とは大学的なるものを剔抉(てっけつ)し,対決すること」(276ページ)。大学病は戦前期からあった。これは著者の発見であろう。だが,その病は大学神話の解体で往生をとげたのではなかったか。現在の大学が医療技術の粋を集めてひたすら延命治療をしているだけだとしたら,そこには大学の未来の芽すら存在しない。知の場としてはたしかに現在は「大学的なるもの」にかぎられてはいない。しかし,著者の描く大学像がいかなるものであるかは本書を読むかぎりでははっきりしない。すくなくとも本書に憂鬱な未来しか感じない。いやむしろ著者は,大学を否定的に描くことで,「大学的なるもの」を徹底して相対化する姿勢を鮮明にしたというべきなのかもしれない。