009田中秀臣著『沈黙と抵抗――ある知識人の生涯,評伝・住谷悦治――』

書誌情報:藤原書店,292頁,本体価格2,800円,2001年11月30日

沈黙と抵抗―ある知識人の生涯、評伝・住谷悦治

沈黙と抵抗―ある知識人の生涯、評伝・住谷悦治

初出:メールマガジン『日本国の研究 不安との訣別/再生のカルテ』,2002年3月22日発行,第150号【バックナンバー

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「公的なアウトサイダー」として――あるマルクス経済学者の戦前と戦後
住谷悦治(1895‐1987)は,マルクス経済学者として日本経済学史分野を開拓し,1963年から75年まで同志社総長を三期つとめた。彼の活動は,戦前・戦後を通じて「反体制的でなおかつ『大衆』に訴える社会参加型のジャーナリズム」(「はじめに」)だったゆえに,「沈黙と抵抗」を余儀なくされた。著者は彼の生涯を「近現代のいわゆる左翼的知識人の最良の経済・社会ジャーナリズム活動」(同上)と評価しつつ,「公的なアウトサイダー」(本書によるが,もとは若き修行時代に薫陶をうけた吉野作造の言葉)として描いた。本書は,「日本の経済学とジャーナリズム」をテーマにした著者の野心作であり,住谷をつうじて「今日求められる社会科学者の『使命』あるいは『志』」(田中「沈黙と抵抗――住谷悦治の志」,藤原書店『機』No.120,2001年11月,16ページ)を追究したものである。ちなみに,本書のタイトルである「沈黙と抵抗」は,住谷が敬愛してやまなかった叔父天来の詩魂と通じているという(住谷の息子にあたる住谷一彦「父の『評伝』に思う」,上毛新聞社『上州風』第9号,2001年12月31日,参照)。
評者の問題意識にしたがうと本書の「経済学とジャーナリズム」はつぎのようになるだろう。まず,住谷の誕生から多感な青年期までを「『大正』というロマン主義の横溢」(15ページ)という時代背景とともに浮き彫りにする(「第1章 ロマンティックな青年」および「第2章 『大正デモクラシー』の申し子として」)。住谷のジャーナリズムについては,同志社に職を得た時代(1922年)から,『現代新聞批判』を通じてのジャーナリズム修行時代を経て(1933年〜41年),戦後直後の『夕刊京都』創刊と論説部長・社長時代まで,ほぼ時代を追って描写されている(「第3章 同志社時代と社会への眼」,「第4章 『現代新聞批判』とジャーナリズム修行」および「第9章 『夕刊京都』と戦後民主主義」)。また,経済学研究にかんしては,同志社をパージされたあとの松山高等商業学校(現松山大学)時代および河上肇との出会いからはじまる日本経済学史研究を中心に論じられている(「第7章 松山時代」および「終章 日本の経済学を求めて」)。本書の要所には,住谷の思想形成や社会的活動にかかわるいくつかのエピソードが綴られ,評伝としての演出に成功している(「第5章 滞欧の日々」,「第6章 『土曜日』の周辺で」,「第8章 叔父住谷天来の死」および「第10章 戦後の住谷悦治」)。
こうしてみると,本書の力点は,住谷の「経済学とジャーナリズム」のうち後者にある。住谷の戦前から戦後におけるジャーナリストとしての描出が主軸であり,経済学者としてのそれは――同様に戦前から戦後にまで追跡しているが――やや二次的といっていい。著者は,戦後直後発刊されほどなく休刊した『夕刊京都』の発掘にしめされるように,群馬県立図書館「住谷文庫」を調査し,ジャーナリスト=住谷の「反体制的で」かつ「社会参加型のジャーナリズム」を鮮明にしえた。没後14年,はじめて描きだされた住谷の評伝として読みごたえがあり,住谷にとっては最良の書き手をえたといえる。「田中さんの本で私(住谷一彦:引用者注)が一番教えられたのは,(中略)ジャーナリズムの世界で活躍していた頃の評論である」(住谷一彦、前掲書)との評は,本書へのなによりの誉め言葉であろう。
他方,経済学者としての住谷はどうだろうか。社会政策論,統制経済論,リスト研究,三瀬諸淵研究そして植民地論という戦時体制に迎合するかのようなテーマが松山時代。日本経済学史研究を「自由主義経済学はラーネッド,歴史学派は金井延,マルクス主義河上肇」(243ページ)と総括した終章。このふたつで,著者は,住谷の経済学をまとめ,マルクス主義者とキリスト者としての両立として,「社会科学的真理と宗教的真理の統一」として描いた。著者は,住谷の経済学研究のなかで,主要な業績を明治以降昭和初期までの日本経済学史を俯瞰した日本経済学史の分析にあるとした。住谷の経済学研究がこれだけの密度で概観できるのも本書の特色である。(三瀬は周三とも称した愛媛出身の医師で,シーボルトの通詞として活躍した。徳川慶喜大政奉還を進言し,明治維新後は病院・医学校の設立や各種の法律制定に手腕を発揮した。)
住谷がジャーナリストとして,経済学者としての活躍しえた源泉は,著者によってみごとにあきらかにされた。住谷の「沈黙と抵抗」が戦前・戦中という特殊な事情を背景としながらも,住谷の視線の先にはつねに「社会改良へのユートピア的憧憬」(247ページ)があった。そうであればこそ,住谷の吸収した思想と歴史のみならず,住谷が及ぼした影響,何を後生に残したのかがあらためて問われる。本書はいかにも住谷で完結してしまっている印象が強い。
また,ジャーナリズム分析に著者の視点がおかれたこともあってか,住谷の経済学研究が彼の専門領域だったにもかかわらず,いささかコンパクトにまとめられすぎた感がある。住谷の経済学とジャーナリズムとが相互にどのような応答関係にあったか。著者による住谷を対象にした「日本の経済学とジャーナリズム」分析はすくなくとも複線的とはいいがたい。著者によっても解明しつくされていない課題といえるのではないかと思う。
「住谷(とその同世代)にとって不幸だったことは,彼らの先行する世代(吉野,河上ら)と戦後論壇の若い世代(大塚久雄丸山眞男ら)の狭間で埋没してしまったこと」(247ページ)。門奈直樹は,住谷が思想・生き方などにわたって影響をうけた叔父天来をこうまとめたことがある。「個人キリスト者住谷天来の抵抗と挫折は,(中略)日本近代の歴史にあって,いかに強い意志をもって生きてきた人が少なかったか,その意志をとおしきった人が少なかったかのあらわれ」(『民衆ジャーナリズムの歴史――自由民権から占領下沖縄まで――』講談社学術文庫,2001年11月,318〜9ページ,asin:4061595202)と。住谷は,キリスト者としてマルクス経済学者として叔父天来とおなじように「その意志をとおしきった人」――「埋没してしまった」が――として再評価されていい。
住谷に連続し,住谷以上に戦後思想と社会科学に影響をおよぼした大塚久雄丸山眞男そして内田義彦などにすら,関心をもたれない状況があるという(杉山光信『戦後日本の<市民社会>』みすず書房,2001年6月,参照,asin:4622036746)。著者は,いわば谷間に位置する住谷を対象にすることで,ひろく日本における社会科学の峰に挑戦する意味を問うたことになろう。ここには住谷評伝にとどまらない問題圏の広がりを感じさせる可能性がある。著者の労を多としたい。