001梅垣邦胤著『資本主義と人間自然・土地自然』

akamac2007-02-05

書誌情報:勁草書房,1991年5月25日,viii+255+v頁,本体価格3,000円,ISBN:432693218X
初出:基礎経済科学研究所『経済科学通信』第68号, 1991年11月20日

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「真理に向かう道が可能であるとわかった時,我々の意識は自由となり,喜びに躍動する」(255ページ)。尾崎(正しくは「立」の崎)芳治著『経済学と歴史変革――労働指揮権としての資本・生活意識・土地所有――』(青木書店,1990年,ISBN:4250900037)をして著者に語らしめたこの言葉は,尾崎が「社会科学の新しい不屈の前進のせめて捨石の一つともなれば,との思いをこめて」(「まえがき」viiページ)と控えめに希望をのべたことを想起するとき,この研究書(理由は後述)の性格をおのずから抉りだす。ここに尾崎の著書は,名実ともに最良の読者=研究者をえた,といってよい。
さて,本書のライト・モチーフは明快である。商品生産と資本制を第1のテーマとし(本書のII),資本制と人間自然・土地自然を第2のテーマとしている(本書のIII)。さらに,本書の講義テキストとしての使用の便宜を考慮したと思われる「I 『資本論』要綱」を配している。第1のテーマに関しては特別剰余価値の源泉をめぐる論争を整理され,商品生産関係における社会的生産と指摘生産との相互関係を論じた部分(「第1章 社会的価値と個別的価値」),価値形態論とのかかわりでこのテーマを正面から論じた部分(「第2章 商品生産関係と価値形態」),そして,貨幣の資本への転化をめぐる論争を素材に,商品論との連携を基準に積極的な著者の所論を展開した部分(「第3章 貨幣の資本への転化」),これらから構成されていう。いずれも『資本論』中論点頻出箇所に第1のテーマから肉迫し,緊張感あふれる筆致で著者ならではの独自の世界を描いたものである。しかも,これら3章は,(1)『資本論』の篇別構成にしたがったものではない,著者の問題意識にしたがった配列になっていること,(2)いずれも係争点につき正面から論じていること,において,この第1のテーマが浮き彫りになる構図になっている。
第2のテーマに関しては,アルフレート・シュミットの所説の批判的検討を突破口に,富の2大源泉である人間自然と土地自然が,それぞれ資本制廃絶の要因を胚胎していることを論証した部分(「第1章 資本制生産様式と人間自然・土地自然」),「無償の生産力」なる概念をもとに人間自然の有する生産力の質的変容を追及した部分(「第2章 資本の生産力」),最後に「プラン問題」を視野に入れつつ前資本制の領域を意識した本源的蓄積を論じた部分(「第3章 本源的蓄積」),これらから構成されている。いずれも人間自然・土地自然(通常あまり使用されないこの語彙に注意!)の両契機を真正面から論じている。第1のテーマと同様の係争点を十分意識した論点抽出とはいえ,(1)資本主義が歴史貫通的性格を有しないことを2大要因にそくして抉りだすという丹念な文献的フォローをおこなっていること,(2)しかも,あたかもあまねく日常の範疇となりつつある人間・土地・生産力を対象とし,われわれの歴史認識を深く問う問題を提起していること,において,著者ならではの鋭い問題提起をおこなっている。この第2のテーマを本書のタイトルにしたのは,なかなかの卓見といわなければなるまい。
著者の古典との格闘はなみなみならぬものがある。第1と第2のテーマにもとづく鋭利な分析のメスは,資本主義の問題性(プロブレマティーク)の摘出ゆえに,読者を現代的な諸問題との格闘をせまってやまない。古めかしいとさえいわれかねない古典の読解は,かえってみずみずしさを提供する。本書はこうした悟性をあらためて覚醒させてくれた。
みられるように本書はごく一部を除けば,論争の書であり,その意味ですぐれた研究書である。そうであればこそ――望蜀の感もあるが――,あえて評者の希望を述べておきたい。(1)たんに論文集にしてほしくなかった。この意味はこうだ。書きおろしのI(「おわりに」によれば90年7月)は別として,すべてが78年から81年に発表されたものであり,それ以降著者の見解があるいは評価もされ,あるいは批判もされたはずである。その後の10年間の著者以外の研究蓄積を見ずして著者の見解の客観性を推し量ることはできない,と思われる。(2)「自由・平等・ベンサム」ではなく「自由,平等,所有そしてベンサム」である。IIの第3章で頻出する前者が,後者を意味していることは文脈からしてよくわかる。だが,それでいいのだろうか。評者にはそう思えない。文献詮索的発想からではなく,内容のうえで,『資本論』のあの箇所は,後者でなくてはならないと考える。評者自身がなにゆえ「ベンサム」なのかいまだ確信はないが,ともあれ「所有」を除外してはならないと思っている。
最後に,著者の本書で放った「メッセージ」は,拙いながらも評者も共有したいし,この読後感もそのつもりで書き記した。今後も多くのことをお教えいただきたい。