015二宮厚美著『ジェンダー平等の経済学――男女の発達を担う新福祉国家へ――』

書誌情報:新日本出版社,397頁,本体価格2,400円,2006年10月30日

ジェンダー平等の経済学―男女の発達を担う福祉国家へ

ジェンダー平等の経済学―男女の発達を担う福祉国家へ

初出:新日本出版社『経済』第137号,2007年2月1日(掲載誌は縦書きのため,数字などは漢数字のままにしている。)

  • -

著者は,新自由主義を徹底して批判した『現代資本主義と新自由主義の暴走』(新日本出版社,一九九九年,asin:4406026975)と新自由主義に代わる新しい国家像を提示した『日本経済の危機と新福祉国家への道』(同右,二〇〇二年,asin:4406028579)を上梓した。本書は,この二書の成果を凝縮するとともに,ふたたび新自由主義批判と新福祉国家論をジェンダー論から詳述した作品である。著者は,前二書で現代日本で進行する問題を鋭くえぐった。それをふまえて,もともと家族・発達問題に大きな関心を払ってきた著者がもっとも得意とするフィールドに立ち戻って人間発達論としてジェンダー論を構築しようとした一書である。著者は,ジェンダー論に巣くう新自由主義批判から筆を起こし,ジェンダー論の整理と論点昇華を経て,ジェンダー平等の経済学を展開している。本書は,ジェンダー論の諸論点に深く切り込みつつも,それだけでなくジェンダー・エクィティを実現するための具体的見取り図を明確にしている。論争的かつ建設的書物といってもいいだろう。
まず著者が課題とした諸点を本書の構成とともに整理しておこう。(一)ジェンダー論に入り込んだ「新自由主義ウィルス」を駆除すべく,新自由主義ジェンダー論を批判すること。「第一章 現代日本ジェンダーをめぐる諸潮流と対抗関係」は,ジェンダー論の構図を三潮流(エクィティ派,新自由主義派,バックラッシュ派)にまとめ,エクィティ派の立場から新自由主義を乗り越えるための論点(資本主義とジェンダー,近代家族とジェンダー)とジェンダー論の基礎的概念とを提示する。(二)ジェンダー論の基本に立ち返り,これまでのジェンダー論を再検討すること。「第二章 ジェンダー論の基礎的概念と近代家父長制」と「第三章 資本主義のもとでの近代家族と労働者家族」の両章は,ジェンダー論の要になる家父長制,家族,家事労働,差別などを取り上げ,従来のジェンダー論を批判的に読み解く。(三)著者のジェンダー論を積極的に詳述すること。「第四章 家事労働とサービス労働」と「「第五章 ジェンダー視点の社会政策と資本主義の解剖」の両章は,これまでのジェンダー論で論点として浮かび上がった概念を整理し,同時に経済学的理論化を試みている。(四)真のジェンダー平等を実現する新福祉国家を展望すること。「第六章 男女平等の経済学と史的唯物論」は,近代的労働者家族を前提に人間発達の保障論とジェンダー平等とを結びつけ,新福祉国家の道を開示している。
つぎに,本書の内容についていくつかの項目に分けて特徴とともにコメントを付そうと思う。
ジェンダー論の基礎的カテゴリーについて。支配と差別,階級関係と性関係,属性差別と非属性差別,自由と平等などジェンダー論の基礎的な概念・範疇の区別を重視している。著者は,資本主義のもつ「属性的中立性」を指摘する。これは,あまたのジェンダー論が実は厳密な概念を積み重ねたものになっていないという著者の問題意識の延長にある。新自由主義ジェンダー論に対峙できるジェンダー論が必要だとする立場からのジェンダー論の再構成は,評者も全面的に賛成する。
ジェンダー・エクィティを実現するためのより具体的な概念の検討について。近代家族と労働者家族,家事労働とサービス労働,これらは家父長制的性支配・差別と資本主義的性支配・差別をどのように理解するかというジェンダー論の根幹に関係している。著者は,現代社会の性差別の根源を家父長制にではなく資本主義そのものにもとめ,資本主義と家父長制とを「衝突・矛盾」および「親和・共犯」とまとめる。さらに,家事労働論を中心に「経済学とジェンダー論との不幸な別離」から「経済学とジェンダー論の結婚」を論じる。物質代謝労働と精神代謝労働,サービス労働と物質的生産労働,生産的労働と不生産的労働,生産と消費など従来の経済学でも問題にされてきた論点を整理し,家事労働は無償労働ではないこと,消費世界において独自性をもつこと,コミュニケーション関係をもつ精神代謝労働(的性格)をもつことを明らかにする。すぐれて論争的であり,本書の核心部分である。冒頭触れたように本書を人間発達論としてのジェンダー論としたのはここによる。
労働者家族の家事労働は,コミュニケーション労働としての性格をもっている。著者は,家事労働をさらに,コミュニケーション労働として社会化すること,権利保障労働として社会化すること,現物給付原則のもとにおくことを提言する。なるほど,著者が力説するように,近代家族は家父長制とは相容れないし,人間発達の最重要領域である。本書ではこの点に焦点を絞ったがゆえに,評者のみるところ,個人の人間発達との関係がやや見えにくい。また,社会化する論理が先行し,福祉レジームの成立に委ねられた感が強い。ただ,これら人間発達論の見地からする著者の立論はジェンダー論固有の弱点と展望を示したことは間違いない。
新しい福祉レジームの構想について。エスピン−アンデルセンの福祉レジーム概念を援用して,労働者家族そのものを発展的にとらえ,かつ,家族の新しい可能性の担い手として福祉国家を位置づけている。現代福祉国家は,(一)児童手当,各種年金,生活扶助,最低賃金などの現金給付型の所得保障,(二)教育,福祉,医療などの現物給付型の社会サービス保障,(三)環境保全規制,労働安全基準,建築基準,解雇規制,男女平等ルールなどの生存権保障のための公的ルール,規制・基準の体系,を構成するとする。著者によれば,福祉国家は現代労働者家族の自由と平等を発展させる「助産婦」である。ジェンダー・エクィティを達成するためには,「非属性的であるがなお属人的な性格をもったこの資本主義的差別を克服する」ことが必要である。とすれば,この新福祉国家とは資本主義なのか,あるいは資本主義を超えた非資本主義的なものなのだろうか。「ジェンダー平等の新福祉国家論」の提唱は,二十一世紀の国家論を惹起することになるだろう。
マルクス経済学に立脚し,また発展させる問題意識で編まれたジェンダー論は意外なほど少ない。本書は,著者にして書かれ得た最良のジェンダー論,人間発達論といえる。同時に,本書は,現在進行中の格差構造の理解と克服にも示唆に富んでいる。新自由主義との対決のみならず,男女平等を含む社会全体の平等化の達成が焦眉の課題だからである。