097後藤道夫・吉崎祥司・竹内章郎・中西新太郎・渡辺憲正著『格差社会とたたかう――<努力・チャンス・自立>論批判――』

書誌情報:青木書店,277頁,本体価格2,200円,2007年1月24日

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著者たちは,10数年来「根元的平等主義派研究会」(REM: Radical Egalitarian Membership 研究会)を継続してきた。前著として『平等主義が福祉をすくう――脱<自己責任=格差社会>の理論――』(青木書店,2005年,[asin:4250205355])があり,本書はその続編にあたる。
すでに取り上げた二宮厚美著『格差社会の克服――さらば新自由主義――』(https://akamac.hatenablog.com/entry/20070911/1189503503)と同様に格差社会克服の立場から昨今の格差「解消」政策の欺瞞と各種格差論を徹底批判した書物だ。第1章「格差社会の実態と背景」(後藤)は,貧困の絶対化と相対化を扱い,格差「解消」政策が構造改革による一種の危機=社会統合危機への対応策であること,「解消」どころか「格差の制度化」に向かっていることを指摘する。
第2章「「努力すれば報われる」とは何か」(吉崎)は,努力と報酬とにかかわる原理的検討をおこない,それに代わって「ともによく努力すること」と「人びとの相互的な承認と賞賛」という内容で捉えるべきことを主張する。
第3章「「機会の平等」とは何か――そのイデオロギーと現実――」(竹内)は,普通主張される機会平等論が憲法で規定された社会権を一顧だにしておらず,市場競争とワンセットであること,そのうえで機会平等論をさらに格差・不平等全般の克服に資するものに鍛えあげる必要性を論じている。
第4章「「自立支援」とは何か――新自由主義社会政策と自立像・人間像――」(中西)は,各種政策・法律で使用されている自立支援政策の特徴を整理し,自立支援策が自助努力を強いる「私有型自立観」であり(「再チャレンジ」も同様),支援を本当に必要とする人びとがよりいっそう強い依存状態に追い込まれていく「自立の罠」効果をもっていること,ひいては社会的排除に結果していると批判を展開する。
第5章「格差社会論を読みなおす」(渡辺)は,かつて一世を風靡した「一億総中流」論から「格差社会」論へ転化したかのように議論する格差社会論の底の浅さと格差社会克服を主張しえない限界を言う。階層の類型化,階層の固定化,格差社会の是認,下流への不感症という批判点にそって(その分批判対象者の議論はやや断片的だが),橘木俊詔佐藤俊樹山田昌弘三浦展,田中勝博,高山与志子,原純輔,盛山和夫大竹文雄林信吾橋本健二苅谷剛彦小室直樹林道義などが批判される。
「おわりに――格差拡大をやめさせて貧困をなくすために――」(後藤)は,必要な労働規制と本格的な社会保障の実現を構想し,現在の国家を「開発主義国家体制」=「大きな政府」とし,それに代わる「福祉国家(=「大きな政府」だが内容が異なる)を対峙している。
共著だが共有する内容は多い。ただ,新自由主義を「市場原理主義と競争主義にもとづく」(第2章,88ページ)と「強力な国家介入を内在させた市場至上主義」(第3章,168ページ)とするのは,分担項目に規定されているとはいえ,整合性を欠くとはいえないか。また,幼少時の他者のケアの重要性を指摘する際,「狼少女」の例(第3章,161ページ)を出すのは適切ではない。