144佐藤優著『私のマルクス』

書誌情報:文藝春秋,328+5頁,本体価格1,619円,2007年12月10日

私のマルクス

私のマルクス

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著者は高校時代,大学時代,そしてソ連崩壊後にマルクスと出会ったという。一回目と二回目のマルクスとの出会いを自叙伝風にまとめたのが本書としている。マルクスとの出会いについては,すでに『国家と神とマルクス――「自由主義保守主義者」かく語りき――』(太陽企画出版,254頁,2007年4月,asin:4884664353,本エントリー参照→http://d.hatena.ne.jp/akamac/20070610/1181471202)で語っており,とくに目新しいことはない。
著者は大学時代,廣松渉著『マルクス主義の成立過程』(至誠堂新書,1974年,asin:B000J9O0TE)を読んで,「廣松氏の『ドイツ・イデオロギー』に対するテキスト・クリティークが新約聖書学を彷彿させたので,私たちは好感をもった」(206ページ)とある。廣松信奉者になった理由がよくわかる。その後『ドイツ・イデオロギー』編集については新しい知見がもたらされており,廣松編『ドイツ・イデオロギー』(河出書房新社,1974年6月,asin:B000J9NBLC,復刊:2006年7月,asin:4309706088,および小林昌人補訳:岩波文庫,2002年10月,asin:4003412435,同文庫ワイド版,2005年6月,asin:4000072560)が,実は廣松が「偽書」と呼んで批判した「アドラツキー版」に依拠していたという有力な批判が出ていることを指摘しておこう(さしあたり,渋谷正編訳『草稿完全復元版 ドイツ・イデオロギー新日本出版社,1998年6月,asin:440602591X,参照)。
タイトルもふくめて,マルクスはだしに使われているだけのように読める。本書での描写の比重は,同志社大学神学部と同大学院時代の教員や友人たちとの交流による思想形成におかれている。評者のようにマルクスにつられて読むと佳作とはいいがたい。フロマートカを中心とした神学研究に到達するプロセスこそ本書の中心だろう。