197室積光著『記念試合』

書誌情報:小学館,295頁,本体価格1,600円,2007年12月25日発行

記念試合

記念試合

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映画になった『北辰斜(ほくしんななめ)にさすところ』(神山征二郎監督,三國連太郎,尾形直人ほか出演)の原作である。鹿児島大学にいる後輩から読むように薦められていた。映画のタイトルは,七高造士館(校名に旧藩校の名を持つ唯一の高校)の寮歌冒頭の一節からである。
戦前帝国大学予科というべき旧制高等学校があった(戦後の1950年3月まで)。一高から八高までのナンバースクールと地名を冠したネームスクール,さらには7年制などで,40校ほどであった。ナンバースクールは明治時代に,ネームスクールは大正時代になってから作られた。本書の舞台は,七高造士館(現鹿児島大学)である。主人公上田勝弥は七高で豪腕投手として活躍し,軍医として南部戦線を点々とする。戦地では,出身地人吉での幼なじみと七高での尊敬する先輩の死に立ち会う。野球部創部100周年を記念したかつてのライバル五高(現熊本大学)との対抗試合観戦も頑なに拒む。齢80歳を超えても勝弥をしてなおそうさせたものはなんだったのか。
本書は旧制高校礼賛ではないが,同世代の1%にすぎない選民意識はいたるところに顔を出す。著者(55年生まれ)による五高・七高出身者30名の聞き取りにもとづいているとなれば,今はない旧制高校の懐旧談になるのもやむをえない。勝弥が入寮時に訓辞されたという「天才的な馬鹿になれ。馬鹿の天才になれ」は,ノブレス・オブリュージュなる自惚れをあらわすものであろう。余談になるが,評者が愛媛大学に赴任した当時定年間近の先輩たちに旧制高校経験者がおられた。「(旧制)高校に受かったのがなによりも嬉しかった」と口々に言っていたのを思い出す。全国の旧制高校卒業生と帝国大学の募集人員はほぼ同数であり,旧制高校に入学するということは帝国大学入学とほぼ同義だったから,無理もない。
「花瀬望比公園」でのシーンでは,孫の裕子に「フィリピンで47万人も死んだんだって」と語らせている。勝弥がどうして故郷人吉や鹿児島に帰ってこなかったか。本書を貫くひとつのモチーフが勝弥の戦争体験だ。
勝弥の孫は勝男という。戦死した弟勝雄にちなむ。勝男は勝弥の話を聞き,かつての五高対七高戦の記念試合に出場すべく,慶応義塾大学志望を鹿児島大学志望に替える。できすぎた話といえなくはないが,世代間の対話はなにかを通して可能なのだという著者のメッセージだろう。
本書と映画が陽の目を見るまでに,新制鹿児島大学のある卒業生の大変な努力があったという(下の映画の紹介に詳しい)。映画製作はメセナによる。松山でも上映されたが,未見だ。幸い,9月5日にDVDが発売される。早速申し込んだ。

    • オフィシャルホームページ→http://www.hokushin-naname.jp/(よくできている。原作未読,映画未見でも参考になる内容が多い。)

余談をもうひとつ。20年ほど前の早坂暁著『ダウンタウン・ヒーローズ』(山田洋次監督,中村橋之助薬師丸ひろ子柳葉敏郎ほか出演)は,愛媛大学の前身旧制松山高校が舞台だった。早坂は旧制松山高校の最後の卒業生(だったように記憶している)。旧制高校生はプライドが高かったから,旧制高校が廃止され,新制大学と合流することに反対だった。『ダウンタウン・ヒーローズ』には,抵抗の証として,松山高校の看板を焼くシーンが出てくる。実は,旧制松山高校の同窓会と愛媛大学の同窓会(後身となる文理学部,現在の法文学部と理学部)とは長らく断絶していたことがある。『記念試合』には旧制から新制への制度改革にともなう葛藤は一切出てきていなかった。五高・七高対抗戦と同じように,旧制松山高校・旧制山口高校(現山口大学)対抗戦があり,現在もその伝統が一部生きており,定期戦がおこなわれている競技もあるようだ。旧7帝国大学は現在でも7大学だけの総合体育大会(通称7大戦)がおこなわれているほか,東大・京大,商大戦(旧東京商科大学一橋大学対大阪商科大学・大阪市立大学)など戦前から続く対抗戦がある。
旧制松山高校の面影は講堂(章光堂,開校の2年後の1923年に建てられた)しか残っていない。1998年に文化庁の指定有形文化財建造物に指定された。附属中学校の現役講堂として使われている。