日本学術会議法学委員会法史学・歴史法社会学分科会が報告書「大学法学部1年生の歴史素養調査と法史学関連科目の開講状況調査」を発表した(8月28日,pdf:26ページ→http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-h62-1.pdf)。詳細についてはpdfファイルを参照いただくとして,法学部1年生の歴史素養を客観的に把握するためのテスト分析は法史学教育にとどまらず歴史関係の大学教育(各国史,経済史,思想史,学史など)の参考になる。今回実施した歴史素養テストは全国12大学(国立4大学・私立8大学)で実施した。設問は高校教科書に準拠した基本的な全30問(世界史20問・日本史10問・30点満点)からなり,選択式と記述式の併用である。結果はどうなったであろうか。その前に歴史素養テストは以下である。
歴史素養テスト(大学法学部1年生対象:所要時間20分)
下記の問題について,空欄には適切な語を記入し,選択肢があるものについては適切な語を選んで番号を書き入れなさい。答えはすべて解答欄に記入しなさい(正答は注*1に)。
世界史
(1)アテネでは,紀元前5世紀にペリクレスの指導下で(①間接民主政,②直接民主政,③貴族寡頭政,④専制君主政)が完成した。
(2)6世紀にビザンツ帝国のユスティニアヌス大帝の命令により編纂された『( )』は,中世や近代のヨーロッパの法に大きな影響を与えた。
(3)800年,ローマ教皇はフランク王国の( )に帝冠を与え,ローマ・キリスト教・ゲルマンの3要素が融合した西ヨーロッパ中世世界が誕生する。
(4)カトリック教会の腐敗に対して,1517年,ルターにより( )がはじまった。
(5)イギリス国王ジェームズ1世は,(①進化論,②社会契約論,③王権神授説,④天賦人権説)をとなえて議会を無視した結果,1649年,ピューリタン革命が勃発した。
(6)17世紀のオランダで活躍し,「国際法の祖」となったのが,(①グロティウス,②ロック,③ホッブズ,④ルソー)である。
(7)本国イギリスによる課税強化に反発した植民地の人びとが,1776年,人間の自由・平等,圧政への反抗の正当性を主張するために発表したのが,アメリカ( )である。
(8)フランスでバスティーユ牢獄が襲撃され,革命が勃発したのは,( )年7月14日である。
(9)フランス革命期の国民議会は封建的諸特権の廃止につづき,( )を採択して,すべての人間の自由・平等,主権在民,言論の自由,私有財産の不可侵など,近代市民社会の原理を主張した。
(10)フランス革命期に軍事的才能を発揮した( )は,1804年,私有財産の不可侵や法の前の平等など革命の成果を定着させる法典を制定し,皇帝の位についた。
(11)1814/15年の(①ベルサイユ,②パリ,③ウィーン,④ロンドン)会議により生まれた国際秩序のもとで自由主義が抑圧された結果,1848年にヨーロッパの各地で革命運動や民族運動が生じた。
(12)南北戦争のさなかにあたる1863年,リンカンが,(①奴隷解放宣言,②農奴解放令,③公民権法,④鉄血政策)を発表すると,内外の支持をえた北部が優位にたち,合衆国の統一が回復された。
(13)フランスとの戦争に勝利をおさめた(①バイエルン,②オーストリア,③ザクセン,④プロイセン)を中心にして,1871年,ドイツ帝国が成立した。
(14)1917年2月と10月にロシア革命が勃発して,( )政権が誕生した。
(15)1919年,第1次世界大戦に敗北したドイツでは,民主的な新憲法たる( )憲法が採択されて共和国の基礎が築かれた。
(16)1929年,ニューヨーク株式市場での株価暴落にはじまる経済危機を( )とよぶ。
(17)ヒトラーを指導者とする( )は,1933年に政権を掌握して一党独裁体制を実現し,ユダヤ人迫害など多くの非人道的行為をおこなった。
(18)第2次世界大戦後の国際秩序を再建するために,サンフランシスコ会議で,(①国際連盟,②国際連合,③三国同盟,④ワルシャワ条約機構)が発足した。
(19)20世紀後半は,世界が米ソ両陣営に分かれてきびしく対立する( )の時代にあたり,20世紀末のソ連陣営の崩壊によってこれが終結した。
(20)1992年,マーストリヒト条約によって,ヨーロッパ共同体ECは,(①ヨーロッパ連合EU,②北大西洋条約機構NATO,③ヨーロッパ経済共同体EEC)に発展した。
日本史
(21)貞永式目[御成敗式目]は( )幕府の基本法である。
(22)江戸幕府の基本法である公事方御定書が制定されたときの将軍は,8代の徳川( ①家康,②綱吉,③吉宗)である。
(23)明治6年の政変によって下野した板垣退助などが,国会の開設等を求めて起こした運動を( )と呼ぶ。
(24)大日本帝国憲法起草の中心を担った政治家は(①大久保利通,②伊藤博文,③大隈重信 )である。
(25)大審院長・児島惟謙が政府の圧力に抗して司法権の独立を守ったといわれる事件は,( )と呼ばれる。
(26)1925年に制定された普通選挙法の直前に,社会主義運動を取り締まる目的で制定された法律は( )である。
(27)広島に原子爆弾が投下されたのは,19( )年( )月( )日,長崎に投下されたのは( )月( )日である。
(28)ポツダム宣言に基づき,日本占領のために設けられた連合国軍の総司令部の最高司令官の名前は( )である。
(29)(①朝鮮戦争,②ベトナム戦争,③湾岸戦争)勃発に伴い,連合国総司令部の指令で警察予備隊が設立され,これが後に保安隊と改称され,さらに現在の自衛隊となった。
(30)日本で最初の民法典ができたのは,(①明治,②大正,③大日本帝国憲法下の昭和,④日本国憲法下の昭和)である。
30問全体の正答率は,平均で71%である。全18問で70%を超え,80%以上は12問である。正答率50%以下は5問。世界史20問の正答率は70%,日本史73%であり,世界史については前近代の正答率が低く,日本史については必ずしもそうではない。
大学別でみると,正答率80%を超える上位,同70%台の中位,同50%前後の下位に分かれ,受験偏差値と一定の相関関係がある。
世界史では古代・中世,18世紀末〜19世紀,20世紀の順で正答率が高くなる。記述と選択の点差よりも時代による点差のほうが大きい。直接民主政59%,ローマ法大全45%,人権宣言58%,カール大帝38%,宗教改革67%,1789年38%などとなり,近現代中心の世界史Aしか履修していない下位大学に,重要人名や基本的用語についての知識がない状況がみてとれる。
日本史では,明治期,前近代,大正・昭和期の順で高くなり,記述の誤答率が高い。50%以下は大津事件のみで47%。原爆投下年月日を正確に解答したのは65%であり,唯一の被爆国としては問題だろう。日本史履修率は70〜80%であり,日本史受験者30〜50%であり,日本史を履修しないまま大学に進学する学生が多い。
報告書ではこの歴史素養テストの結果をつぎのようにまとめている。
① 大学間格差と履修・受験との関係
学生の歴史素養については,大学間格差が大きい。それは,いわゆる受験偏差値に対応しているとも言えるが,他方で,高校での科目履修や受験科目選択状況と密接にむすびついている。すなわち,正答率下位群では,世界史Aあるいは日本史Aの履修者比が高くなり,前近代を含む世界史Bおよび日本史Bの履修者が減少する。また,私立E大学に顕著であったように,正答率下位群の大学では,多くの学生が推薦入学や受験科目が少ない状態で入学するため,受験勉強を通じて,歴史学を学び直す機会を持っていない。これは,単に歴史素養が身につかないという直接的な弊害のみならず,歴史的思考や時空を超えた比較の視角を軽視する傾向を生みだす恐れがある。
② 前近代知識の乏しさ
世界史については,前近代に関する知識がかなり乏しい傾向がある。これは上記①で述べたように,高校での履修が世界史Aにとどまる学生が多いことを反映していると推測される。他方,日本史については,問題数が限られていたことから,同様の結論を導くことができるかどうかは不明である。
③ 1年次における法史学入門講義の重要性
近年の高校教育では,履修すべき科目がきわめて多様化し,他方で,授業時間数が縮小されている現状がある。したがって,学生が前近代を含む歴史素養を十分に有しているわけではないことを前提に,大学における法学教育の内容を再検討する必要があろう。そのためには,1年次生を対象に法史学の入門講義を開講し,高校までの歴史素養を確認・発展させて,上位年次の法学専門科目につなげていかねばならない。
報告書では,高校での履修と受験との関係については示唆するにとどまり,踏み込んだ言及はしていないが,評者は,文系・理系,国公立を問わず世界史Bと日本史Bのどちらかをセンター試験で必修にするぐらいの入試改革が必要だと思っている。