231前田裕子著『水洗トイレの産業史――20世紀日本の見えざるイノベーション――』

書誌情報:名古屋大学出版会,vi+247+83頁,本体価格4,600円,2008年5月15日発行

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かつて松山の大渇水を経験した(1994年)。減圧からはじまった渇水対策は一日のうちの一定時間しか使えない時間給水にいたった。一番困ったのはなんといってもトイレだった。生理的欲求は時間給水にあわせられない。とくに大のほうの処理は,風呂の残り湯をバケツに溜めてその都度流すという状態だった。地震や水害などの避難所生活を余儀なくされた時,一番困るのはトイレの衛生状態と聞く。
本書は蘊蓄を傾けたいわゆる「トイレ学」でも「トイレ話」を主題としたものではない。ほとんど注目されてこなかった水洗トイレ国産化の過程を工業化の視点からまとめた労作である。水洗トイレがもたらした3つのイノベーション――公衆衛生面,清潔面,心理面――を問題意識に,TOTOINAXを中心とした衛生設備機器メーカーによる水洗トイレ化(=工業化)の検証を焦点としている。
日本の水洗トイレ普及率は推定90%。音を隠すためのフラッシュ,そして擬音装置や暖房・温水洗浄もいまや一般化している。節水型トイレも標準となりつつある。自動開閉や自動洗浄,タンクレス・トイレも登場している。「最悪の汚物」であった尿と糞便の排泄空間から快適空間への変化は,ものづくりの不断の追求の結果でもある。著者は,衛生陶器と水洗金具を鍵として日本のトイレの工業化の独自のプロセスを描いている。経営史視点であるかぎりでは衛生設備産業や関連する住宅産業の労働者の実態や労働条件などの分析が抜けるのはいたしかたないだろう。
今年は「国際衛生年」とのこと。本書でも引用していた「国際衛生年(2008年)のスタートに寄せる潘基文国連事務総長メッセージ」では,「今日でも,世界中で20億人以上が基本的な衛生サービスを受けられないでいます。開発途上国では,下水の9割以上がそのまま水路に排出され,本来なら利用できる水資源を汚染するケースも多く見られます。水質汚染と十分な衛生設備の欠如に関係する病気で命を失う人々は,1週間で42,000人に上ると見られます。この状態を放置するわけにはいきません。」(国際連合広報センタープレスリリース,http://www.unic.or.jp/new/pr07-101-J.htm
「衛生という人間の福祉の基本要素」(同上)を考えるとき,トイレ(水処理を含む)を欠かすことはできないだろうし,日本における水洗トイレのイノベーションが対置されていい。