236二村一夫著『労働は神聖なり,結合は勢力なり――高野房太郎とその時代――』

書誌情報:岩波書店,xv+298+7頁,本体価格2,800円,2008年9月25日発行

労働は神聖なり、結合は勢力なり―高野房太郎とその時代

労働は神聖なり、結合は勢力なり―高野房太郎とその時代

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高野房太郎 (1869.1.6 [明治元年11月24日]-1904 [明治37].3.12)は日本労働運動史の巻頭を飾った人物である。高野岩三郎の兄である。著者の房太郎研究30年の集大成である。房太郎は,35年の短い生涯ながら,明治時代に日本で最初に労働組合を論じただけでなく実際に労働組合と生協組織の結成に尽力した。著者は,日米各地に資料と足跡を確認し,これまでの日本労働運動史研究に新事実を加えている。本書は,「評伝であると同時に『歴史探偵の捜査報告書』」(はじめに)と表現しているように,房太郎の初めての評伝であるとともにそれをつうじての日本労働運動史研究でもある。
評伝としての本書は,長崎に出生を得てから中国・青島での死までの房太郎の生涯を,アメリカ・サンフランシスコでの実業家志望時代も含め,丹念かつバランスよく叙述している。この評伝という大きな縦糸に,労働運動にかかわる横糸が随所に張りめぐらされ,通説や事実のいくつかを修正・確認していく。2段組で小さめのフォントサイズは決して読みやすくはない。「謎解きのプロセス」(はじめに)は見事といっていい。
評者の関心を引いたいくつかの点から本書を紹介してみよう。
房太郎が働きながら通った横浜商法学校(Y校,現横浜市立横浜商業高校)時代の描写。校長の見沢が明治期のベストセラー『西国立志編』の原本であるスマイルズ『セルフヘルプ』が原書で講義されていたという。福沢諭吉の説く「独立自尊」と英語の基礎が房太郎の生涯に大きな財産になったと思われてならないし,それ以上に西洋思想導入期の雰囲気を感じる。(参照:平川祐弘著『天ハ自ラ助クルモノヲ助ク――中村正直と『西国立志編』――』→http://d.hatena.ne.jp/akamac/20070507/1178531320
房太郎は渡米後製材労働者やウェイターなどとして働きながら学び,一家の戸主として送金までしている。実業の世界での失敗が房太郎をして労働組合運動へと導く。房太郎の労働組合必要論は日本の国家としての繁栄・富強,そのための労働者の境遇の改善にあった。「房太郎は,死ぬまでただの一度たりとも,自分を労働者だと考えたことはない」(69ページ)。同時にこのサンフランシスコ時代に,のちに日本最初の労働組合になる労働組合期成会の母体になる職工義友会を結成する。労働運動家・房太郎の出発点になった職工義友会の創立にいたる事情と理由が日付の確認とともに提示されている。房太郎はアメリカでゴンパーズに出会う前に日本の労働組合の基本方針――相互救済活動と協同組合活動――を自ら考えだしていたことも指摘されている。さらに,当時アメリカ西海岸で中国人排斥運動があった。その中心が白人の労働組合であった。房太郎が構想した労働組合の原型はこの時の見聞もあったであろうことも示唆されている。
同じくサンフランシスコ時代に,ジョージ・マクニール編『労働運動』とジョージ・ガントン『富と進歩』に出会う。前者から労働運動を,後者から経済理論を学び,ゴンパーズ以上に影響を受けている。また,負債一掃のためにアメリカ海軍のお雇い水兵になるが,ゴンパーズには「(日清戦争の)戦時特派員」として見栄を張る日清戦争は日本人労働者の高賃金に結果し,日本の労働者全体の生活水準を上昇させるとして,戦争に対する批判的な視点が欠如している。「ナショナリスト」房太郎の実像もきちんと描かれているといえよう。
アメリカ海軍から脱走して,念願だった労働者の地位改善の事業に邁進する。糊口を凌ぐ職場は横浜での翻訳記者であった(ちなみに,夏目漱石が大学卒業後に横浜の英字新聞『ジャパン・メール』の記者を目指すが叶わず,愛媛県尋常中学校の教師として赴任したエピソードもさりげなく挿入されている。)。職工義友会創設については書簡や日記から従来の房太郎協力説を排し房太郎主導であったことを説得的に展開している。さらに房太郎の労働組合創設に経営者(秀英舎,現大日本印刷)ながら協力した「日本のロバート・オーエン」佐久間貞一にも紙数が割かれている。
本書のタイトルは房太郎の執筆による『職工諸君に寄す』からだ。

労働は神聖なり,結合は勢力なり,神聖の労働に従ふ人にして勢力の結合を作らんか,天下亦(また)何者か之に衝(あた)る者あらんや。我が日本の職工諸君の為すべきこと唯夫れ結合を為すにあるのみ,組合を設くるにあるのみ。(212-2ページ,帯)

虐げられていた労働者も同じ人間であること,労働者の労働がなくてはこの世はなりたたないことを表したものである。房太郎が好み,名刺の裏に刷り込んでいた。房太郎の評伝としての本書のタイトルの意味がここではじめて了解できる。
房太郎の構想した労働組合は,職人をもとにしていた。将来的には欧米型の職業別組合のようなものであっても,組織した鉄工組合は欧米のクラフトユニオンとは異なり,またいわゆる職業別組織でもない。正確には金属機械関係労働者の産業別組織であった。工場労働者の社会的地位の向上をめざす社会運動団体であると同時に相互扶助を目的とする友愛組合的存在だった。房太郎は一時横浜において共働店(生活協同組合)を作り活動する。著者は生活安定をはかるのと共済機能を重視した労働組合運動に限界を感じたからではないかと推測している。また,共働店は各地に誕生するが,掛け売りによる売掛金のこげつきによって破綻していく。
鉄工組合に復帰してからは,片山潜との労働組合組織理解の齟齬,経営側からの組合攻撃,組合員の帰属意識の脆弱さなどによって,治安警察法公布以前に鉄工組合の衰退ははじまっていた。
著者は,本書を閉じるにあたって,房太郎の業績を4点にまとめている。(1)労働組合という言葉さえ知らなかった時代にその意義を伝えたこと,(2)サンフランシスコでの職工義友会と東京での再結成の中心人物であったこと,(3)労働組合を実際に組織し,無給専従役員として運動に専念したこと,(4)生活協同組合運動の最大の貢献者であったこと。
本書の原型はネット上の『二村一夫著作集』「高野房太郎とその時代」(2000年から始まり,2005年末までの100回の連載)(http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/book-support.html)である。今後ともウェブ版の改訂・追加が予告されている(http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/nk/diary17.html#katsujibon)。「細部にこだわって調べ」(あとがき)た事柄について片々たる紹介では意を尽くすことはとうてい不可能だ。房太郎の評伝を通して黎明期の労働運動史研究に新しい光を当てた著作であることはまちがいないであろう。
本エントリー以前に本書に言及した下記ブログ参照。