419アーロン・スキャブランド著(本橋哲也訳)『犬の帝国――幕末ニッポンから現代まで――』

書誌情報:岩波書店,xi+260+30頁,本体価格3,200円,2009年9月29日発行

犬の帝国―幕末ニッポンから現代まで

犬の帝国―幕末ニッポンから現代まで

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旧旗本の佐久間家には,「お姫(ひい)さま」とよばれている娘がいた。多美という名前である。秋山好古はこの娘を「狆(ちん)」とよんだ。佐久間家の女中よしは,好古・真之兄弟を「陪臣」・「獣」と蔑んでいた。好古と多美はその後結婚し,7人の子どもをもうけた。「坂の上の雲」のエピソードに出てくるこの「狆」は,ジャパニーズ・スパニエルという歴とした犬である。
数世紀も前に中国から輸入し,徳川時代中期には武家や商人の裕福な女性たちの愛玩犬だった。黒船に乗ってやってきたペリーに,将軍家は米や干し魚とともに4匹の狆を贈った。ペリーはそのうちの2匹に「ミアコ(ミヤコ)」と「シモダ」と名づけて,英国海軍のスターリング提督経由でヴィクトリア女王に贈ったという。ペリーの水兵は他の2匹に「マスター・サム・スプーナー」と「マダム・イェド」と名づけた。この2匹は船旅で死んだが,ペリーはさらに2匹(「イド」と「ジャップ」)の狆を手に入れ,1匹だけがアメリカに渡った。
こうした犬にまつわる事実をいくつか挿入した本書は,幕末から現代日本にいたる「忠誠と文明という帝国主義的語彙」がいかに犬に投影されてきたかを辿った異色の歴史書である。植民者の犬=文明・純血種,土着の犬=原始・野生種という犬を通じた帝国主義や植民地化のメタファーは,植民地主義者の人種混交への強迫観念の反映であった。犬を通じてある犬の種類を特定の国民国家と同定し,また帝国主義の対象となった地域の犬を下位に置く秩序感というわけだ。
新興の植民地帝国として変容を遂げた日本は純血の日本犬(にほんいぬ)を見いだすことで,日本の卓越を東アジアの畜犬に示す。日本の帝国主義としての「発展」は日本犬の国民の犬,植民主義の犬への変身にほかならない。西郷隆盛の愛犬はあの銅像のようなピンと立っている耳(日本犬の特徴のひとつ)をもつ犬ではなく,本当は虎という名の大型の耳の垂れた洋犬だった。左耳が半分垂れたあの忠犬ハチ公国立科学博物館に剥製がある)は主人への忠誠を示す日本犬の特徴を表すためには両耳はピンと立っていなくてはならなかったのだ。 
犬観の変容から見える日本近代史におけるイデオロギーの形成は,消費と文化資本のメタファーとして描く現代日本の犬模様にまで生かされている。
本書は戦前期の日本語文献も渉猟した著者による原書(英語)の翻訳であるが,オリジナルの日本語文献に再度当たって再現している。

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