481矢野誠一著『落語のこと少し』

書誌情報:岩波書店,viii+211頁,本体価格:2,100円,2009年12月10日発行

落語のこと少し

落語のこと少し

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落語評論・落語批評が成り立つのか,という懐疑的な姿勢と裏腹に,古今亭志ん生や八代目桂文樂(著者は旧字体へのこだわりがあり,人名や用語に旧字体を使っている)への落語賛歌が際だっている。著者の青春物語とも現代落語への警句とも読めてしまう。
古いものでは1883年の文からごく最近のものまで落語に関する文章を集成したエッセイ集である。落語の解説めいたものもあれば落語家の人物評や落語文学論もある。落語はもともと能とおなじく一過性の藝(芸は略字)であり,たまたま聴くことに恵まれた人の個人的体験に終始する。ところが,1884(明治17)年に出版された三遊亭圓朝の高座速記録『怪談牡丹灯籠』13編13冊――田鎖式速記による――によって,二葉亭四迷や山田美妙の言文一致体文学誕生のきっかけになっていく。落語速記が藝としての落語から独立した新しい娯楽読物になっていく。漱石の妙な宛字も落語速記本の影響という。
浄瑠璃や芝居が藝の言葉として日本語の固有性を追求してきたのにたいし,落語は藝としての様式性が希薄でむしろ日常の言葉と結びついていた。それゆえ東京の日常生活語の規範は落語速記に多く残っているという。落語に出てくる熊さん,八っつあん,横丁の隠居たちの立ち振る舞いがそのまま通用したのは1923年9月1日の関東大震災までであり,「ただただ落語に描かれる世界だけが,独立したものとしてむかしながらの姿のまま凍結してい」き,これら落語が「古典化」(132ページ)する。
評者の落語体験は高座はもとよりなく,速記本ならぬ文章化された古典落語本からでしかない。名人落語を聞きまくり――ただし,「いまの私は自分より年長か同世代の落語家にしか,関心がもてな」いという(「あとがき」)――,「落語が真底輝いていた時代への回顧と,こころからなる讃歌」(同上)は,落語をさらに身近に感じさせてくれる。