023「視座」という言葉

宮台真司・鈴木弘輝・堀内進之介著『幸福論――<共生>の不可能と不可避について――』(NHKブックス1081,2007年3月30日,asin:414091081X)を読んだ。宮台とともに宮台大学院ゼミ生鈴木と堀内の鼎談を収めたもので,幸福に向けた社会設計,なかでも市民の積極的政治参加を通じて社会設計をはかろうというフィールグッド・プロジェクトについて批判的吟味を企図したものだ。「ホットなセッションを紙上に再現」(15ページ)し,「相互呑み込み構造」(=「ウロボロスの蛇」)(15・16ページ)というが,議論のプロセスはせめてキャンパス内か南大沢近辺に留めてほしいものだ。『幸福論』は評者を「幸福」にしなかった。
本書では市民社会派として丸山眞男をあげいくつか批判をしている(116-120ページ,173-174ページなど)。他方,本書には評者が市民社会派の専売特許だと思っていた「視座」という言葉が頻出している。本稿はここから思いついた断想だ。
ある特定の意味を付与されながらある特定の分野で使用されてきた言葉が,いつのまにか日常語として定着してしまう場合がある。いつのまにかというのは歴史の流れの結果からいえることであって,日常語として普及さすべき意識的(ときに強制的)な場合もあれば,それこそ知らぬ間に巷間に受容されてしまっている場合もある。そこで「視座」のついたタイトルの本を「はまぞう」のAmazonの和書で検索してみる。副題にも使われている書籍はこの段階で348冊ある。「視座」の実際の使用例はかなりの数にのぼり,社会科学,自然科学を問わない。大部分は「視角」や「視点」と言い換えられる。あえて「視座」でなくてもいい。「視座」が「視角」あるいは「視点」と同義として普通につかわれるようになったがゆえに,書き手の好みの問題として処理できる。『幸福論』でも市民社会派を批判しながら「視座」を連発しても責められない。
ところで,『岩波国語辞典』(2000年11月,第6版)の「視座」には,「物事を認識する時の立場。▽観点と対象とのかかわり方を含めて言う。1960年ごろに社会科学で使い始めた語。」とある(▽は「補足的説明」の意味。第3版,第4版では「昭和30年代後半に社会科学が使い始めた語」と表記していた。)。79年12月,第3版以降の収録である。『広辞苑』(1998年11月,第5版)には「物事を見る立場。視点。」とだけある。76年12月の第2版補訂版までは収録されておらず,83年12月の第3版以降の収録である。手持ちの辞書でこれ以外には,『日本国語大辞典』(小学館,74年5月,第1版)が,「知識社会学で,個人が,置かれた状況によって条件づけられた形で,社会に対し,社会を見る視点,座標をいう。転じて,一般に,物を見る姿勢,視点。」と特徴ある解説をしている。
「視座」という言葉が社会科学の専門用語から日常語に転化する契機となったのは,直接には故内田善彦の使用からである。「社会科学の視座」というのがそれだ。岩波文化講演会(68年10月,京都)での講演速記に加筆し,『思想』69年1月号に掲載したものだ(現在は,第8回大仏次郎賞を受賞した『作品としての社会科学』岩波書店,1981年2月および著作集第8巻に採録されている)。「視座」の意味するところを述べている箇所を引用しておこう(原文にある強調は省略)。

私は「社会科学の視座」という題をつけました。この題を人に見せたところが,変な題だ,いったい,「視座」というのはどういう意味だ,広辞苑にも出てないぞ(笑)といわれまして,調べてみますと,なるほど出ておりません。「四座」,観世流だとか,そういうのはありましたけれども(笑い),出ていないんです。変えるのもしゃくなんで,これは内田義彦の造語である,出てくるはずだから安心しろ(笑)と見得を切った。見得を切ったあとで,思い返してみますと,丸山眞男君が「幕末における視座の変革」という有名な論文を書いている。それをすっかり忘れていたらしいんです。そのほか気をつけて見ていますと,ちょくちょく使われております。私の造語なんかではない。結構ある程度市民権をもった言葉です。(中略)
視座という言葉を使いますと,認識された結果よりも,真実に人間が接近してゆく現場を想い起させる。あるいは,見る個々人それぞれの見方とか,あるいはその時代の人特有の見方とか,人間が見る作業,見る見方の方に重点が移ってきて,そういう意味で,多様なもの,それぞれ違うもの,変化するものを思い浮かばせる。同時に,多様であり変化しながらそれぞれの主観においては絶対的なものが,ここには籠められていて,独善におち入り勝ちな既成の「客観的真理」の相対化を,主観の絶対性に依拠して企てる。さらにまた,見る人の見方によって違うということから,およそ客観的真理なるものはないんだという相対主義への傾きを持った言葉だと思うんです。

ある時期の社会科学では,「視座」を使うことは市民社会派に与することを意味し,反市民社会派はこの言葉を忌避した。『幸福論』の「視座」はこうした文脈で使用していないし,内田の問題意識と無関係だ。「視座」が「視座」として意味をもった時代は過ぎ去り,抜け殻だけが一人歩きしていると形容したらどうだろう。

「ことばは,いったんつくり出されると,意味の乏しいことばとしては扱われない。意味は,当然そこにあるはずであるかのごとく扱われる。使っている当人はよく分からなくても,ことばじたいが深遠な意味を本来もっているかのごとくみなされる。分からないから,かえって乱用される。文脈の中に置かれたこういうことばは,他とのことばとの具体的な脈略が欠けていても,抽象的な脈略のままで使用されるのである。」(柳父章翻訳語成立事情』岩波新書,1982年4月,22ページ)

言葉は思想を表現する。思想と言葉が社会に一定受容され一般性を持ち始めるとき,今度はそれらが相対化される。相対化が進めば,それらがもともと帯びていた色彩も褪せてくる。この段階を経て,あらためて言葉が意味していた思想を問い直すという作業が必要になる。「視座」はいま一度検証されてしかるべき言葉である*1

*1:こういうとつぎのような批判があるだろう。「司馬氏の作品群は,戦前からいわゆる講座派・労農派の論争や,それをぶり返した戦後啓蒙史学の『明治絶対主義』論など,旧い轍のぬかるみにはまってどうにも抜けられなくなっていた学界の動向などとは無縁のところから発想されて,たちまちあざやかに新しい近代日本史像を繰りひろげてゆき,その結果学界の『論争』や『課題』や『成果』をいかにも旧弊な色褪せたものにしぼませてしまった。そのことをいまだに知らぬかにあくせくと,某々氏の『テーゼ』や『視角』や『視座』などの検証に暇をつぶしているのは,気の毒にも当の国史の学者・教師の狭い小さなサークルばかりでなのである」(芳賀徹司馬遼太郎『酔って候』文春文庫版,75年5月,での解説)。