荘則棟(Chuan Tsetung,1940年8月7日〜2013年2月10日)が亡くなった。彼の選手全盛時代の卓球はオリンピック競技にはなく,2年に1度開かれる世界選手権がチャンピオンを決める大会だった。その世界選手権大会で,1961年(北京),63年(プラハ),65年(リュブリャナ)で優勝した(準優勝は3大会とも中国の李富栄。3度目は李が負けてくれたことは「事実」と明言している)。3連覇は荘しかいない。
67年,69年の世界選手権には文化大革命中で参加できず,71年の名古屋大会で復帰し団体で優勝した。シングルスは2回戦でカンボジア選手と対戦することになっていたが,ロン・ノル政権下のカンボジアということで棄権させられたエピソードがある。荘はこの時までに中国チームのエースであり,中国の国内外の条件がよければ6連覇した可能性がある。
また,この時のアメリカ人選手との偶然の遭遇から米中外交が一気に進み「ピンポン外交」としてよく知られている。その後,若くして国家体育運動委員会主任(スポーツ大臣)に就任したが四人組追放とともに失脚・投獄された経験もある。
56年の世界選手権での荻村伊知朗,田中利明にあこがれて卓球を始め,両ハンドを駆使した攻撃卓球を完成させた。高橋浩には通算1勝3杯と唯一負け越している。
『卓球王国』のアーカイブでインタビュー記事(「伝説のチャンピオン,波瀾万丈の人生を語る」)を読むことができる。
- vol.1 (2003年7月号)→http://www.world-tt.com/archive/20030732.pdf
- vol.2 (2003年8月号)→http://www.world-tt.com/archive/20030884.pdf
- vol.3 (2003年9月号)→http://www.world-tt.com/archive/20030992.pdf
- vol.4 (2003年10月号)→http://www.world-tt.com/archive/20031024.pdf
- vol.5 (2003年11月号)→http://www.world-tt.com/archive/20031110.pdf
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