805松本善明著『謀略――再び歴史の舞台に登場する松川事件――』

書誌情報:新日本出版社,190頁,本体価格1,500円,2012年7月10日発行

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松川事件(1949年8月17日早暁)の現場近くには2つの碑が建っている(評者未見)。ひとつは事件の翌年の春に建立された殉職者追悼記念碑「殉職之碑」である。「過激思想もまた台頭す」の一文がある。もうひとつは松川事件無罪確定(1963年9月12日)一周年に合わせて建立された「松川記念塔」である。広津和郎の一文「人民が力を結集すると如何に強力になるかということの,これは人民勝利の記念塔である」が刻まれている。
松川事件被告側弁護人のひとりだった著者は,この事件には3人の殉職者がいたという事実を直視し遺族補償と時効が成立したとはいえ国家賠償裁判確定判決で問われた警察・検察・裁判所の責任をあらためて問題にしている。
著者に送付された「真犯人」らしき人物からの手紙と著者周辺で起こったいくつかの「怪事件」(泥棒事件,尾行事件,お手伝いさん誘拐事件と急死事件,担当医の不審死,お手伝いさんの世話をした保母の行方不明など)への文章は当事者として初めて公開したものだ。「真犯人からの手紙は真実で,亀井事件(お手伝いさん事件のこと:引用者注)は謀略事件ですが,松川事件に関係があるかどうかわかりません」(134ページ)。また,事件の犯行の背景を探り,有力な状況証拠になるとしたベトナムに関する米国防総省極秘研究の資料(1971年)から,「(ベトナムでの1954年10月の:引用者注)鉄道破壊には,日本駐在のCIA特別技術チームを加えたチームワークを必要としたが,同特別チームは赫々たる成果をあげた」(174ページ,186ページ,187ページに英語原文)を提示している。「アメリカの謀略組織」の存在にあらためて触れている。
菅生事件にも紙数を割き,「日本の検察庁の腐敗は最近明らかになったのではなく,当時からの伝統的なもの」(157ページ)と断じている。この事件当時次席検事の,謀略事件ということを承知の上で起訴したことを告白した文章の一節も引用されている。
「日本の黒い霧」は,真犯人の追及(刑訴法改正で12の重罪を時効から外したが,1995年4月28日以降の事件が対象)と被害者にたいする国家の責任(犯罪被害者等基本法の施行は2005年4月1日であり,それ以前の事件については適用されない)を曖昧にしたまま,まだ晴れていない。