1639高嶋航著『スポーツからみる東アジア史——分断と連帯の20世紀——』

書誌情報:岩波新書(1906),264+8頁,本体価格940円,2021年12月17日発行

東京オリンピックの開会式でNHKの W アナウンサーがチャイニーズ・タイペイ選手団の入場時に「台湾」と紹介したことが話題になった。中国は台湾を含めてひとつであるとの立場から,台湾の国際大会参加の際,「国名」呼称に条件をつけてきた経緯があるからである。その後,呼称問題はどうなったのだろうか。台湾がチャイニーズ・タイペイとして最初に参加したオリンピックはサラエボ冬季大会(1984年)だ。
東アジアは分断国家を抱えている(きた)ため,政治とスポーツを考える恰好の場となる。中国と台湾,北朝鮮と韓国,かつての南北ベトナムがそうである。アジア大会において韓国,北朝鮮,日本,台湾,中国が揃うのは1990年,オリンピックにおいては1992年である。中国のオリンピック参加はレークブラシッド冬季大会(1980年),夏期大会はロサンゼルス大会(1984年)である(1980年のモスクワ大会はボイコットによって不参加)。モスクワ大会とロサンゼルス大会ではボイコットがあり,スポーツへの政治介入として現在も評価が分かれている。
中国のスポーツ選手が戦後最初に来日したのは,1956年3月29日,第23回世界卓球選手権大会(東京)であり,それほど昔のことではない。戦後日本が世界選手権に参加したのは,スケートと卓球が最初と二番目である。
東アジアの一角に分断国家を抱えて始まった戦後の東アジアのスポーツは世界政治に深く関わり,時に政治化することで競争と分断の歴史を刻んできた。アラブ諸国の資金力によるアジアスポーツ界の主導権や中国の圧倒的な競技力も東アジアの特徴である。
ピンポン外交や統一コリアを実現した卓球の動向に一章を割き,冷静な視点で歴史を概観していた。