020東アジア最古の縄文期埋葬犬の骨不明と「失敗史」

akamac2007-06-01

地元新聞『愛媛新聞』5月31日付のトップニュースは,下記だった(地図は久万高原町のホームページのものを縮小した。http://www.town.kumakogen.ehime.jp/intro/traffic/index.html)。

縄文期埋葬犬の骨不明 久万高原・上黒岩遺跡
上浮穴郡久万高原町の上黒岩岩陰遺跡から埋葬された状態で見つかった縄文時代早期中ごろ(約8000年前)の犬の骨2体が所在不明になっていることが,30日までに分かった。人が犬を飼っていたことを裏付ける埋葬犬の骨としては,東アジアで最古。専門家から「日本人のルーツを探ることもできる貴重な資料で,大きな損失」との声が上がっている。
同遺跡は旧美川村にあり,慶応大の江坂輝弥現名誉教授らが中心となって1961年から順次発掘し,2体の犬の骨は62年7月の2次調査で出土した。犬の骨としても国内で2番目の古さ。
関係者によると,現在,同遺跡の遺物は,慶応大をはじめ,久万高原町や県歴史文化博物館(西予市),国立歴史民俗博物館(千葉県),新潟大のほか,研究者の個人宅でも保管されているという。
しかし,出土品の種類や数などを記したリストや保管場所の詳しい記録など,遺物の全体像を把握する基礎資料は作られておらず,埋葬犬の骨も発掘後,どう扱われたかなどは詳しく分からないのが実情。

上浮穴(かみうけな)郡久万高原(くまこうげん)町の上黒岩岩陰(かみくろいわいわかげ)遺跡(http://www.town.kumakogen.ehime.jp/culture/ruins/)がある久万高原町は,松山市から高知県に向かう国道33号線沿いにある町である(地図の赤の部分)。同遺跡(71年に国の史跡指定)の遺物は報告書作成のため,調査終了ごとに慶応義塾大学が持ち帰った。その後,遺物の一部は他大学や専門家に研究のため手渡されるなどして,現在少なくとも11カ所に分散している。問題なのは,出土品のリストさえ作られず04年に国立歴史民族博物館が調査報告書の作成に着手するまで全体像を把握する作業はおこなわれなかったことである。報告書は来年度中に刊行予定だというが,多くを持ち帰った慶応義塾大学の責任は免れないと思う。『愛媛新聞』の記事には慶応大学民俗学研究室の佐藤孝雄准教授の発言として,発掘直後には同大で骨を保管していた可能性は高いとしながらも,「少なくとも10年以上前から所在不明で,探索を続けている。なくなった経緯は分からない」とある。『愛媛新聞』では事実を書くだけで,発掘当事者や保管にたいして責任を問うことをしていないが,科研費の不正受給やセクハラなどと同じくらい,あるいはそれ以上の問題ではないだろうか。大学には説明責任がある。
網野善彦は『古文書返却の旅――戦後史学史の一齣――』(中公新書1503,1999年10月15日,asin:4121015037)で,資料館設立のために全国から集めた大量の文書を収集したものの,設立構想挫折のためにその文書の調査・返却を果たさざるをえなかった事情を記した。研究のために集めた文書は,研究ゆえに一時的に供与されたものであって,最終的に持ち主に返すのが当たり前だ。網野は40年の歳月をかけ,未研究のまま放置された資料の返却をやり遂げた。考古学の遺物も同様である。研究のためだからこそ,持ち帰りも一時保管も許されたのであって,研究が終了したら遺跡を管理する組織や機関に返却するのが当然だ。ましてや,その遺物が紛失したとしたら言語道断。網野は「今後の文書調査・整理にわずかでも役立つ教訓」として「失敗史」を敢えて書いた。報告書がどのような内容になろうとも,遺物紛失の失敗の汚点はそのまま残る。徹底した糾明を望む。