283東アジア最古の縄文期埋葬犬の骨不明と「失敗史」(五論)

考古学専攻の同僚から,春成秀爾・小林謙一編『共同研究 愛媛県上黒岩遺跡の研究』(国立歴史民俗博物館研究報告第154集[http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/kankoo/ronbun7.html],2009年9月,六一書房[http://www.book61.co.jp/book_html/N04109/],すでに絶版)を借りて,眺めてみた。上黒岩遺跡が1961年5月に発見されて以来,第1次から第5次調査(1961年10月,1962年7月,同年10月,1969年8月,1970年10月)をもとに資料整理と現状調査(2004年〜2006年)を経てようやく調査報告書とまとめられたものがこれだ。
研究の概要,遺跡の環境と調査経過,出土遺物,分析・考察,研究の成果と課題,を620頁にまとめている。出土遺物や受傷人骨を含む28体の埋葬人骨の分析は詳細で,素人にとっても興味深い。投槍や弓矢を使ってニホンジカ,イノシシを主に中小動物を捕獲し,クリ,クルミ,各種の草木の芽や根茎などの植物質食料の採集を生業としていたことや,動物の骨髄をさかんに食べていたらしい痕跡,山間地に位置しながら狩猟だけではなく生活空間でもあったことなどがわかる「縄文草創期」(16,000〜11,700年前)から「縄文早期」(11,700〜7,000年前)の貴重な研究成果だ。
「調査後38年たってから,調査に参加しなかった者たちが集まって精一杯作成し刊行する報告書」(545ページ)には敬意を表したい。このエントリー(下記関連エントリー参照)で過去4回触れてきた,埋葬犬2頭についてはこうある。

上黒岩遺跡の出土の動物骨は今回の調査でもニホンジカとイノシシが主であって,第3次調査までの概要をまとめた金子浩昌の報告[「洞窟遺跡出土の動物遺存体」,日本考古学協会編『日本の洞窟遺跡』424〜451ページ,平凡社,1967年]を追認することになった。ただし,第2次調査時にA区第4層の埋葬人骨に伴った2頭の埋葬犬[江坂輝弥・岡本健児・西田栄「愛媛県上黒岩岩陰」,上掲書224〜236ページ]については,標本の所在が明らかでなく,今回の報告から落ちてしまったことは,それが押型文土器の時期までさかのぼる縄文時代最古例であっただけに,まことに惜しいことであった。(528ページ。文献の引用の仕方は本文と異なる。)

ならば,「標本の所在が明らかでなく」なった事情に触れてしかるべきではなかったろうか。画竜点睛を欠くと言わざるをえない。
さらに,出土遺物は,「慶応義塾大学民俗学考古学研究室,上黒岩遺跡考古館,※※※(個人名で遺跡発見者:引用者注),愛媛県歴史文化博物館,国立歴史民族博物館に収蔵保管」(IIIページの例言)に,人骨の一部は「新潟大学医学部」に保管されているという(1ページ)。このうち国立歴史民族博物館の「石偶3点,有茎尖頭器5点,土器2片など計16点の遺物が文化庁から管理替えされて館蔵品」(IIページ)となっている。また,「これまで,知られていない上黒岩遺跡の資料も確認され,当遺跡の資料が極めて多くの場所に保管されている」(3ページ)。「本報告書をお届けする」(IIページ)だけでなく,研究は一区切りついたわけだから貴重な遺物などはすべて遺跡の跡に立つ上黒岩遺跡考古館にあるのがふさわしい。「館蔵品」はともかく,「収蔵保管」・「保管」は一時的な措置だからだ。 

  • 1年前のエントリー
  • 2年前のエントリ
    • おさぼり