022東アジア最古の縄文期埋葬犬の骨不明と「失敗史」(再論)

6月1日に本ブログで『愛媛新聞』トップニュースを取り上げ,コメントを付した(https://akamac.hatenablog.com/entry/20070601/1180704171)。直後の同新聞では,生活文化部・高橋正剛「不明の代償――上黒岩遺跡埋葬犬――」(上)(中)(下)(6月3日,4日,5日)の署名記事が掲載された。この署名記事は,既報のとおり約8,000年前の埋葬犬の骨がなぜ所在不明になっているかの背景を詳しく紹介したものだ。(上)では現在の研究ではDNA分析が可能であり,縄文時代の犬の起源や系統の探索が可能になっており,「貴重な資料」が所在不明になっていることの損失は大きいとする。(中)では61年から70年に計5回発掘されその遺物は慶応義塾大学に保管されていることを紹介し,高橋記者撮影の慶応義塾大学民俗学考古学研究室の写真(上黒岩岩陰遺跡の出土品が収蔵されている木箱)が添えられている。記事には,「複数の動物考古学者は『骨は発掘後間もなく,第三者の手に渡ったのではないか』と推測する。動物骨の鑑定や研究には特別な知識が必要で,江坂氏が専門家に分析を依頼した可能性が高いからだ。(改行)だが,貸出の記録もなく,江坂氏は高齢で現在,体調を崩し,関係者も話を聞けない状態という。」と記録されないまま分散している危険性に触れている。(下)では遺跡の国史跡指定(71年)を機に発掘地に「上黒岩考古館」が建設された時点(74年)で,館として報告書の刊行と遺物返却を催促したという。「しかし,同大側は膨大な数の遺物の研究に時間が掛かっていることや,同考古館は温湿度管理や収蔵スペースの点で保存施設としては不適切などとし,返還は実現しなかった」。自宅に保管している県外の研究者の意見として,「『文化財は研究があってこそ生かされる。専門家が持っていて,研究を継続する方が有益だ』と強調。仮に地元から返還請求があっても『簡単には返さない』と断言する」。
2008年に報告書を出す国立歴史民俗博物館では2007年1月17日から2月25日に展示「縄文時代のはじまり−愛媛県上黒岩遺跡の研究成果−」を企画した。これには ,「歴博共同研究「愛媛県上黒岩遺跡の研究」(代表 本館研究部考古研究系 春成秀爾,平成16〜18年度)の研究成果をとりまとめ,研究展示を行います。現地測量調査,遺物整理,調査記録・写真整理,周辺環境調査,遺物のレプリカ法観察結果,年代測定の研究成果を示します。 愛媛県久万高原町教育委員会慶應義塾大学などより借用した上黒岩遺跡出土品と,本館所蔵の資料を一堂に展示します。併せて,愛媛新聞社が調査当時に報道した記事や愛媛県歴史文化博物館収蔵の調査時の写真記録をパネル展示します。」(http://www.rekihaku.ac.jp/events/promenade/e070117.htmlより。ボールド体は引用者)
歴博にも出土品の一部があるらしいことがわかる。慶應義塾大学歴博の展示のために又貸ししたわけだ。また,慶應義塾大学民俗学考古学研究室のトップページには「現在,専攻が所蔵する資料・標本類は,国宝や重要文化財を含め数万点。それらは,大正時代から幾多の発掘調査や民族調査が実施されてきた結果,収集されたものです。」(http://www.flet.keio.ac.jp/~toru38/ethnoarch/index.html)と謳っている。
評者の論点はただひとつだ。再び網野の著書を紹介しよう。網野は,対馬・宗武志(そうたけし)家文書返却の旅で,対馬歴史民族資料館にむかう。当時の研究員・津江篤郎にこう言われたという。「網野さん,これは美挙です。快挙です。今まで文書を持っていって返しにこられたのはあなたがはじめてです」(30ページ。ボールド体は引用者)。慶應義塾大学民俗学考古学研究室)は,74年段階で上黒岩考古館から遺物の返還を要求された。それを即刻実行すべきである。「簡単には返さない」と断言している研究者も同様である。所在不明になった埋葬犬については大学として責任をもって調査し,報告する義務がある。