271東アジア最古の縄文期埋葬犬の骨不明と「失敗史」(四論)

愛媛県・上黒岩遺跡の調査報告書が発見以来50年を経てようやく刊行となったことについては「三論」で触れた(『共同研究 愛媛県上黒岩遺跡の研究』2009年9月,六一書房)。上黒岩遺跡がある久万高原(くまこうげん)町で記念のシンポと現地見学会が開かれた(11月14日,久万高原町HP→http://www.kumakogen.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=174)。
さらに,その後,地元の愛媛新聞の社説(11月18日付)では「上黒岩遺跡報告書 価値再確認と活用の契機に」(→http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017200911183410.html)が,今日の朝日新聞には「小石に刻まれた女性像やヤジリ刺さった人骨… 本格的な報告書 愛媛・上黒岩遺跡」の記事が出ていた。愛媛新聞の社説では「膨大な出土品はおもに慶応大が持ち帰っていたが少なくとも11カ所に分散,刊行は困難とみられていた。東アジア最古の埋葬犬の骨が不明となるなど,管理のずさんさが明らかになっている。」と明確に指摘しつつ,「長年,出土品返還を求めてきた旧美川村に対し,慶応大などは保管設備の充実や学芸員雇用など,受け入れ体制整備を求めていた。」と,評者には意味不明の経過を記している(「再論」参照)。持ち帰ったほうがなぜ要求を出す権利があるのかまったく理解できない。
朝日新聞の記事では「(前略)遺物は地元や同館(国立歴史民俗学博物館:引用者注),慶応大,新潟大などに分散して保管されていた」と書き,共同研究の成果がようやく刊行されたことを強調する内容だ。
共同研究にケチをつけるつもりはない。「分散して保管されていた」とはなるほどうまい表現だ。地元以外の遺物は研究名目で持ち出されたままになったというのが真相なのではないかと評者は思うのだが,どうだろう。