068田中克彦著『エスペラント――異端の言語――』

書誌情報:岩波新書1077,xiv+220頁,本体価格740円,2007年6月20日

エスペラント―異端の言語 (岩波新書)

エスペラント―異端の言語 (岩波新書)

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エスペラントは当時はロシア領だったポーランドに住むユダヤ人ルドヴィーコザメンホフによって1886年に考案された新言語である。日本ではこれよりも早く森有礼によって簡略化した英語公用語が提起されている。トルストイエスペラントを2時間で習得したとは有名だ。著者は言語学者として著名だが,根っからのエスペランチストではない。

エスペラントはヨーロッパで生れた言語であって,もともとアジア人が使うことなんか予定していない。その証拠に,中国,日本など,アジアの言語から単語一つさえ取り入れてはいないじゃないか。ちょっと見ただけでもフランス語まがいの単語ばかりで,聞いた印象もイタリア語みたいじゃないか。こんなことばを国際語だの世界語だなどと呼ぶことじたいがおかしいんだ。アジアでひろめようというのがそもそも無理なんだ――私たちは,エスペラントについてこのような意見を聞かされることが多い。そういう意見を吐く人は,たいていが物知りで,ひとかどの教養人だと自ら思い,たしかに外国語にもある程度の知識がある。しかしほんとうはエスペラントの文法など開いてみたこともない――じつは,この本の著者も,ちょっと前までかなりそれに近い人だったのだが――といったふうの人なのだ。それにもっとわるいことには言語学も多少かじっていて,その知識をふまえたような顔をしてエスペラント無効論をとなえる。(120ページ。ボールド体は引用者による。)

「本気でエスペラントに心ひかれるようになった」(あとがき)著者が,エスペラントの言語としての特徴,エスペラントの批判者・批判言語,アジアのエスペラントについて語り,「ヨーロッパの諸言語から,いろいろ面白そうなところを集めて詰め込んだ宝石箱」を「開く鍵」(終章)を提供しようとしている。言語について日本語,英語などの自然言語エスペラントのような人工言語と区分することが多い。そもそも人間がいないかぎり言語は出現しないわけだから自然言語というのは自然ではないし,既存の言語をすべて人工言語というのもいかにも人工的だ。著者は,前者を民族言語,後者を計画言語と呼び,民族言語を尊重した上で計画言語の国際補助語(国際媒介語)としての活用を提言する。ただし,森有礼の英語公用語化論に触れた個所では英語公用語について肯定的に紹介している。「英語は生れながらの国語になっていて,漢字がおぼえられない苦しみからも,英語がうまく話せない悩みからも解放され」(はじめに)ると。
エスペラントはその成立からして「正統の言語学の伝統からみて異端の言語」であり,「政治的には危険な脅威の言語」(はじめに)であった。日本に生まれたわれわれは生まれた時点で言語の選択の余地はなく日本語を使う。それを「ある特定のことばの中に閉じこめられ,それを使わされている」(はじめに)と認識するかどうかは別として,世界に7,000ほどある言語のうちの一つにすぎない英語が公用語化している現状こそ異常であることは間違いない。本書には,言語学の未来は中国語の知識なしにはありえないとの指摘,宗教のエスペラントを使った布教,中国のエスペラント放送,国際性とナショナルな自立の維持としてのモンゴルのエスペラント普及など,ことばをわれわれの手にするための素材が詰まっている。輸入語=漢字とかなを意識的に使い分けた文章とともにエスペラントへの誘いを素直に受けとめたい。