003第55回宗教法学会

愛媛大学を会場として標記学会が開かれるということで参加してきた。元同僚だった三土修平さん(『靖国問題の原点』日本評論社,2005年,asin:4535584532,および『頭を冷やすための靖国論』ちくま新書,2007年,asin:4480063412,の著者。宗教法学会誌『宗教法』第26号,2007年に「戦後改革の矛盾の顕在化としての靖国問題」33-52ページ,を寄稿している)から10月の某学会時に会い,来松されることを耳にし,また同僚で学会の世話役をつとめているTさんに誘いいただいたからだ。1日だけの,研究報告5本というこぢんまりとした学会だった。午前の部はパスして午後の部を聞いた。

  1. 百地 章(日本大学)「靖国関連訴訟の現状と問題点」
  2. 瀧澤信彦(北九州大学)「靖国憲法――愛媛玉串料訴訟最高裁判決の意義――」
  3. 安西賢誠(真宗大谷派専念寺住職・愛媛玉串料訴訟原告団長)「愛媛玉ぐし料訴訟を提起して」

百地報告は,宗教的人格権や宗教的(非宗教的)自己決定権を否定した靖国参拝訴訟関連判決は妥当とし,殉職自衛官合祀訴訟最高裁判決(最大判昭和63.6.1)での靖国神社の祀る自由を認めた事案も原告側主張の問題点を突いたものと評価した。国家賠償法訴訟における争点(法益侵害の有無,職務行為性,違法性の有無)のうち,法益侵害の有無でもって憲法判断を避けたのは当然とした。さらに,大阪台湾人訴訟(大阪高判平成17.9.30)と福岡訴訟(福岡地判平成16.4.7)において原告敗訴のうえで違憲を付したこと(「傍論」)については,三審性を基礎とする違憲審査制の否定につながり,目的と効果の認定の仕方に問題があると指摘した。そのことは愛媛玉串料訴訟判決(一審:松山地判平成1.3.17,控訴審判決:高松高判平成4.5.12,上告審判決:最大判平成9.4.2)の手法を踏襲したことでも疑問があるとした。報告者はかつての同僚でもあり,靖国関連訴訟への立場からすればこの論点で整理したかとの感想をもった。
瀧澤報告は,愛媛玉串料訴訟のキーワードに社会的儀礼論をあげ,戦没者慰霊が靖国神社でおこなわれるのは公的・国家的儀礼としての世俗的行為と認定したことに特徴をまとめた(とくに二審)。社会的儀礼論には歴史的系譜を押さえることが重要だとし,5度にわたる「靖国神社法案」(1969年以降)の失敗を受けて,同法案の成立を最終目標としながらも次善策として「天皇及び国家機関員の公式参拝」,「外国使節の公式表敬」,「自衛隊儀仗兵の参列参拝」の立法化を目指す「表敬法案」(内閣委員長私案)が提案され,中曽根「公式参拝」(1985.8.15)の根拠に「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会報告書」(1985.8.9)に結び付いたことを挙げる。同時に,これら社会的儀礼論は,すでに「英霊にこたえる会」の結成趣意書(1976)や自民党自主憲法期成議員同盟による文書(1983),自民党政務調査会内閣部会小委員会(1983)などで展開されたものと趣旨を同じくしていた。これに対し一審および上告審(津地鎮祭最高裁判決の「目的・効果」基準を援用)においては,国と宗教との結び付きという弊害を未然に防ぐことこそが政教分離規定の目的であるとの見解(予防主義)にもとづいているとし,アメリカのエンドースメント・テスト原理の影響があるのではないかと示唆した。愛媛玉串料訴訟は,政教分離規定の解釈・適用の発展・進展と捉えるべきと報告をまとめた。愛媛玉串料訴訟の積極的意味を認める報告は,百地報告とは逆の観点からのものであった。
安西報告は,原告団長としての15年間を回想し,真宗のもっていた戦争責任,差別体質,宗派内対立の問題が提訴当時同時に提起されていたことから,宗教に帰依する意味と教団の体質を問うことと同じであったことを明らかにしていた。靖国問題玉串料問題とは即報告者自身の信仰の問題でもあったことを吐露されていた。
激論が交わされたわけでもなく,淡々とした学会だったことが印象に残る。短時間しかない質疑の時間は学会として改善事項だろう。