117鳥飼玖美子著『通訳者と戦後日米外交』

書誌情報:みすず書房,iii+382+17頁,本体価格3,800円,2007年8月3日

通訳者と戦後日米外交

通訳者と戦後日米外交

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ある世代にとっては著者の名前は「百万人の英語」や「NHKテレビ英会話」などでおなじみだろう。評者の小学校時代の夢は通訳者だった。その夢は大学受験時まで続き,ある時までの第1志望は某外大のフランス語科だった。なぜフランス語なのか,はてまたさらに転向して経済学部になったのかは自分でもよくわからない。
「いきなり」閑話休題。著者の『歴史をかえた誤訳』(新潮文庫,2004年,asin:4101459215)では,米兵による強姦事件の審理の際,被害者の助けを求める必死の叫び声を,通訳者が Please, help me! (Help me, pleaseだったかな?)と訳したことによって,加害者との合意があったとされてしまったという不幸な事実(被害者はその後自殺)があることを紹介していた。通訳ひとつで無辜の女性の命を奪ってしまう例として今でも鮮明に覚えている一節だ。
本書はさらに大きなスケールで,同時通訳の先達(西山千,相馬雪香,村松増美,國弘正雄,小松達也)からの聞き取り(=オーラル・ヒストリー=ブルデューハビトゥス論の展開)を随所に織り交ぜ,欧米の通訳論を紹介する意欲的な書物である。5人の同時通訳のオーラル・ヒストリーは,戦後の日米外交史と交差する。本書で披露される外交史の裏面も本書の魅力のひとつといえるだろう。欧米の通訳論から演繹される「見えない」・「見えてはいけない」通訳者たちの存在は,5人の歴史から一部肯定され,一部否定される。ただ,欧米の通訳論は紹介の域を超えていない印象が強い。
著者は,通訳者を異文化接触を橋渡しするコミュニケーションの専門家として,黒衣を演じるなかで臨機応変な決定をする創造的な人間として,透明性や匿名性を超えた存在として描く。オーラル・ヒストリーの理論化こそ本書の特徴だ。