183中村哲先生喜寿記念『思い出文集』

書誌情報:中村哲先生の喜寿を祝う会事務局編,2008年5月17日発行(非売品)

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5月17日(土),評者の敬愛してやまない中村哲先生(京都大学福井県立大学鹿児島国際大学の各名誉教授)が喜寿を迎えられ,お祝いの会があった(京都大学百周年記念時計台記念館国際ホールI)。評者は経済学史学会準備のため出席できなかったが,昨日この会の開催にあわせて作成された『思い出文集』が届いた。先生の記念講演「研究生活55年」と祝賀会があり,盛会だったと漏れ聞いた。
下記はこの『思い出文集』に掲載してもらった評者の駄文である。「恩師以上の恩師」といってもいいほど中村先生にはとにかくお世話になった。

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「『資本論』研究会」と「『経済学批判要綱』研究会」
小生の直接の恩師は故平田清明先生である。平田先生が名古屋大学から京都大学に移った2年目に指導生となった。中村哲先生は恩師以上の恩師というべき先生のおひとりである。記憶が定かではないのだが,80年代のはじめ,中村ゼミの渡哲郎さん[現阪南大学]から,中村ゼミの大学院ゼミのサブゼミとして「『資本論』研究会」をやることになった,ついては専門家がいる,参加しないか,との話が舞い込んできた。『奴隷制農奴制の理論』(東京大学出版会,1977年4月)の著者にこうして偶然知遇を得ることになった。2週間に1度開かれる研究会は,中村ゼミの面々(渡,吉田秀明[現大阪経済大学],塩路洋[現京都大学]さんなど)だけでなく,当時助教授だった下谷政弘[同上]さん,人文研助手の堀和生[同上]さんも熱心に参加されていた。『資本論』を最初から講読していくもので,小生も含めて院生が交代でレポートをした。根っからの厚かましさを発揮して,「労働の二重性」論や資本循環範式論,再生産(表式)論について勝手に報告させていただいたこともある。当時平田ゼミでは夏の信州・追分での合宿以外では古典を読む機会はなかったから,中村「『資本論』研究会」で得た刺激は貴重な財産である。中村先生は,方法論としては見田石介理論をベースにされていた。実際,見田『資本論の方法』(弘文堂新社,1963年;のちに『見田石介著作集』第4巻,大月書店,1977年所収)を読んで,「『資本論』でつかわれている方法――上向法――についてさらにはっきりした認識をうることができ,それはすべての科学に妥当する分析と綜合の方法であることを理解した」(前掲書,「あとがき」)と書かれていることと対応しよう。
1985年1月に愛媛大学に職を得てしばらくしてから,「『経済学批判要綱』研究会」をするから京都に出てこないかとのお誘いをいただいた(96年3月)。月一回のペースで研究会を続け,その成果が中村編著『『経済学批判要綱』における歴史と論理』(青木書店,2001年1月)である。当時出不精で,熱心な参加者ではなかったにもかかわらず,小生の出番と編著タイトルの選定を任せていただいた。中村先生はじめ,事務局を担っていた石川康宏さん[現神戸女学院大学],角田修一さん[現立命館大学],牧野広義さん[現阪南大学],野田公夫さん[現京都大学]には感謝の言葉がない。
中村先生は,堀江英一先生の『産業資本主義の構造理論』(有斐閣,1960年;のちに『堀江英一著作集』第4巻,青木書店,1976年所収)をして,「論理構成の見事さ,『資本論』をはじめとするマルクス主義古典の体系的理解の厳密性に大きな影響をうけた」(前掲書,「あとがき」)と書いておられる。中村先生は研究会を主宰するなかで初期の前資本制やその後の東アジア理解にいたる理解の前提に歴史理論の確認と彫琢を課題とされていたかもしれない。小生は,ふたつの研究会をつうじて中村歴史理論の完成過程に関わる機会を与えていただいたわけで,研究者冥利につきるといわざるをえない。
(1979年度〜1984年度大学院在籍,赤間道夫)